396話 玄武伯と水太子

 玄武伯と向かい合って座っているのに、見下ろされている気分に陥っていた。恐らく威圧を受けているのだろう。同属の……しかも太子である僕でさえ、これだけの圧を受けるとは……玄武伯の実力の底が見えない。

 

 でも、この感じはベルさまを思わせた。玉座から広間に向かって、視線を落としているときに似ている。

 

 顔も理力も似ていなくても雰囲気は似ているのか、と感心してしまった。不機嫌さを顔に出さないところも、

  

「……何がおかしい」

 

 ベルさまのことを考えていたら、顔が緩んでいたようだ。自然と口角が上がってしまった。意思の力で顔の筋肉を引き締める。


「いえ、先程の発言を謝罪します。やはり御上は貴方に似ているようです」

 

 玄武伯の目が細くなった。若造が何を言い出すのかといった感じだろうか。


「そのようなことはない」

「顔も理力も似ていない点については撤回しません。でも雰囲気がそっくりです」


 面積の狭くなった目の奥で、かすかな光が揺れた。

 

「……御上が私に似ているわけがない。私の子は皆、氷之大陸に滞在しておる」

「でも御上は……」

「私の子は息子四人のみ。淼どの、御上が私の子などと冗談が過ぎる」

 

 僕の言葉を遮って、玄武伯が嘲笑うような声をあげた。

 

 どういうことだ。ベルさまは玄武伯の子どものはずだ。ベルさま自身が言っているし、先生だってそう言っていた。軟禁中の澗さんだってお兄さんだし、玄武伯の子ではないと否定する理由がない。

 

「先程は聞き間違いかと思い、深くは聞かずに流したが、そうではなさそうだ。淼どの、もし御上が私の子だと思われているならば、認識を改めてもらいたい」

 

 反論する余地がないほどの威圧感。会ってから一番強い威圧だ。壁が迫ってくるみたいで、走ったあとみたいな息苦しさがあった。

 

 玄武伯はまつりごとに関わることを嫌う。理王が自分の子だということを認めたくないのか。澗さんに絶縁の選択肢を与えるくらいだ。自分の中で子どもをひとりいなかったことにするくらい、平気でやりそうだ。


 最初に一悶着あったとはいえ、水太子とこのように対面で話してくれるだけでも、まだ良い方なのかもしれない。

 

 でもこの程度で怯んで帰るわけにはいかない。目的は親子関係を確認することではない。

 

「そうですか。それはどうでも良いことです」

「なん…………いや、左様か。ならば改めて伺うが、ご用件は何だ?」

 

 玄武伯の僅かな動揺を見逃さなかった。

 

「御上が玄武伯の御子であろうとなかろうと、要件はひとつだけです。御上の真名を教えていただきたい」

「御上は私の子ではない」

「それは先程も聞きました。でも御上の真名をご存じでしょう?」


 玄武伯は少しだけ首をかしげた。

 

「さぁ……知っていたら何か?」

 

 潤さんたちの話から判断して、玄武伯は僕が訪問した目的を、すでに分かっているはずだ。分かっていてこの態度は、演技に違いない。

 

「御上がご危篤でいらっしゃるのです」

「…………」

 

 玄武伯は身動きひとつしなかった。動揺が円卓を通して伝わってくる。玄武伯の脈に合わせて、卓が揺れているように感じた。

 

 王館のことをすべて知っていると思ったのは、僕の勘違いか?

 僕が訪問した理由を分かっているわけではなかったのか?

 

「ハッハッハッハッ!」

 

 玄武伯の大きな笑い声が壁に跳ね返された。何重にも笑い声が重なりあって、不思議な音を醸し出している。

 

「淼どのは本当に冗談がお好きだ。それもたちの悪いものばかり。御上の気配は謁見の間にあられる。危篤なわけがないであろう」

「…………それは」

「淼どの。御役と芝居じみた揉め事を起こしてここへ来たのならお分かりだろう。氷之大陸は謁見の間と隣接している。玉座の様子は常に分かるのだ」


 ……なるほど。玄武伯が分かるのは謁見の間の様子までか。王館のすべてを把握しているわけではなかったのか。

 

 玉座を通して隣接しているとはいえ、行き来は滅多にしない。最も近くて最も遠いお隣同士といった感じか。

 

 中途半端な情報だけが把握されていて、肝心なところは伝わっていなかった。

 

「御上は謁見の間に魂の一部を縛り付けてあります。だからそこに、御上の気配があります」

「何……?」 

「御上は水の王館で最も守りの固かったところで、おからだを休めています。木理王、土理王のご助力で小康状態を保っています」

「…………左様か」

 

 玄武伯の自信を砕いてしまった。罵倒されたり、暴力を振るわれたりしないだけ、まだ良いか。

 

 卓上の拳が少し震えている。怒りか、それとも……。


「それはお気の毒に」

 

 声がやや低くなった。意図的に落ち着かせようとしたのかもしれない。


「では淼さまがご即位なさるのか。即位の儀への出席要請ならば謹んでお受けする所存。息子の誰かを名代として遣わそう」

「いえ、違います。僕はまだ即位するつもりはありません。僕は御上の真名を教えていただいたらすぐに帰ります」

 

 カリカリ音がするので、何だろうと思っていた。どうやら玄武伯が机の下をカリカリと引っ掻いているらしい。

 

 胸から上は全く平常だけど、明らかに動揺している。本人には言えないけど、ちょっと親近感が湧いた。

 

「謁見の間を通して、御上に関して何かをお尋ねになりたいのだとは分かっていた。しかし、真名を知って何をなさるのだ」

 

 玄武伯はベルさまの真名を知っているとも知らないとも言わずに、ぐっと本題に近づいた。知らないわけがない。

 

 玄武伯がどんなに否定しようともベルさまは玄武伯の子だ。

 

「僕は御上と……いえ、ベルさまと」

 

 愛称までは知っているぞという意味も込めて、呼び方を変えた。それを聞いた玄武伯から、カリカリという音さえ止まってしまった。

 

「魂繋をしたいと思っています」

 

 玄武伯が固まってしまった。そんなに長い時間ではなかったと思う。まばたきにして二、三回だろうか。でもとても長い時間に感じた。

 

「……魂繋だと?」

 

 重低音。怒っている。

 

 氷の卓が小刻みに震え、細かい氷の粒が踊り始めた。

 

「お互いの意思は確認しました。ただ、僕がベルさまの真名を知らないのです。ベルさまを助けるためにも、真名を教えて下さい」

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