388話 潟と添

「潟!」


 土の王館にカオスを返し、水の王館へ戻ってきた。執務室に戻るとちょうどよく潟がいた。

 

「雫さま、お戻りになられましたか」

 

 潟は机を拭く手を止めて、どこかほっとしたように僕を見た。そういえば潟の手を振り払って執務室から出ていったのだった。すっかり忘れていた。

  

「その……御上のことですが」

 

 潟が安堵の顔を見せたのは短い時間だった。すぐに眉にシワを寄せて、僕から目を逸らした。

 

 それを無視して正面から潟に近づき、両手で潟の両腕を掴んだ。

 

「潟。魂繋たまつなってどうやるんだ?」

「た……はい?」

「潟はどうやって魂繋したんだ?」

 

 潟は何度かまばたきを繰り返した。しばらく沈黙していると、顔色の悪かった潟の肌に血の気が戻ってきた。


「つ、ついに手取り足取りお教えする機会が……」


 潟の両腕を掴んでいた手を、潟にがっしりと握り返された。

 

「しかし、今は御上がそれどころでは……あぁ、でも折角の雫さまからのお誘いを断るわけには、今すぐ寝室に……あぁでも御上が」


 潟の動きがおかしい。握られた手が痛い。先ほど振りほどいてしまった罪悪感から、放してと言いにくい。

 

「潟! 配偶者つまである私の前でよくそういうことが言えるわね!」

 

 意外なところから添さんが助けに入ってくれた。机の下を片付けていたらしい。

 

 添さんが潟の手をほどいてくれた。僕の手首にはくっきりと潟の手型が残っている。


「添。これは決して浮気などではありません。雫さまと御上のため。そしてあくまでも指導の範囲です」

「何が指導の範囲よ。指導なら義父上ちちうえの仕事でしょう。潟に太子の教育をする権利なんてないわ」

 

 夫婦喧嘩なのか、それともただの掛け合いなのか。いずれにしても、質問したはずの僕は会話に入れてもらえない。

 

「これは太子教育ではありません。大人の精霊としての教育です。雫さまは鈍……失礼、大変純朴でいらっしゃるので……きっと初夜はご苦労なさいます」

 

 潟が再び僕の手を握ってきた。下ろしていた腕をぐいっと引っ張られて肩が痛い。


「私にお任せください。御上との夜が素晴らしく……忘れられない夜になることを保証いたします」

 

 潟の顔が近い。添さんの助けを期待したいところだけど、横目で見たらただ呆れているだけだった。

 

 魂繋の仕方を聞きたかっただけなのに、どうも話が噛み合っていない気がする。

 

「ベルさまと過ごす時間はいつだって素晴らしいし、夜以外も忘れたくない」

 

 執務室で仕事をしているときだって、一緒にお茶を飲んでいるときだって、ほんの小さなことだってこの胸に刻んでおきたい。忘れたくない大切な時間だ。


「な、い、いきなり夜だけでは満足できないと仰るのですか!?」

 

 潟が盛大に鼻血を噴いた。目の前にいる僕にかからなかったのは、血の方が勝手に避けてくれたからだ。


「もう! いい加減にしなさい! そこは潟の出る幕じゃないわ! 御上に任せておけば平気よ!」

 

 添さんが柔らかそうな布で潟の顔を抑えた。そのままソファに引っ張っていき、潟を座らせた。

 

「大体、聞いたのは魂繋の仕方よ。からだを繋ぎたいなんて言ってないわよ。ねぇ?」


 添さんに同意を求められ、コクコクと頷く。潟の口からはまだうわ言が漏れているようだった。


「潟はちょっと休んでなさい」

 

 添さんはパタパタと小走りに奥へ入っていき、手際よく僕にお茶を用意してくれた。

 

「添さん」 

「魂繋の仕方は教えてあげるから、淼サマも落ち着きなさい。少し休みなさいよ。急に出ていったり戻ってきたり忙しいわ」

「あ、ありがと」

 

 添さんはここに来たばかりのころに比べるとかなり柔軟になったと思う。

 

 知り合う前からの印象が最悪だったから仕方ない。魂繋したばかりで、配偶者が出仕したまま帰ってこなかったら、誰だって怒りを覚えるだろう。怒りの矛先がその原因である僕に向くのは自然なことだった。

 

「添さん、ごめんね」

「何よ、突然」


 僕にお茶を渡したあと、ちゃっかり自分の果実汁ジュースを用意しているあたりは抜け目がない。

 

「潟を返してあげられなくて」

「今さら?」

 

 添さんは鼻で笑った。チラッと潟に目をやって血の付いた布をひっくり返した。

 

「返せないからお前も来いって言ったんじゃない。だから一緒に来てあげたのよ。謝られる覚えはないけど、感謝はしてよね」

「ありがとう」


 素直にお礼を言うと、添さんはまた鼻で笑った。

 

「添さんはどうして潟と魂繋たまつなしたの?」

からだの相性が最高だったからよ」


 そこは魂の相性ではないのか。

 

「……冗談よ。お子さまにはまだ早いわ。御上が回復したら教えてもらいなさいよ」

 

 幼児姿の精霊に子供扱いされてしまった。でも魂繋している以上、添さんの方が大人かもしれない。それに『御上が回復したら……』とベルさまが回復することを疑っていない発言は、添さんを大きく見せていた。

 

 添さんは手頃な椅子を持ってきて、潟と僕の間に座った。そこからなら、ソファで休んでいる潟の様子も見えるし、僕の話をするにも遠すぎない。

 

「私の父は先代の水太子に仕えてたのよ。書記官としてね」


 添さんが急に自分のことを話し始めた。今までこんなこと初めてだ。落ち着いて茶器に口をつけた瞬間、頭の中に小さな疑問が浮かんだ。

 

「先代の水太子って……」

「今の御上よ」

 

 驚いてお茶を飲み違えそうになった。初めて聞いた。


「知らなかった」

「言ってなかったじゃない」

 

 隠す意図はなかったのかもしれないけど、そういうことは教えてほしかった。

 

「もしかして沿ふちっていう名?」

「そう。何だ、知っているんじゃない」

 

 知りはしない。ただ、添さんを王館に住まわせるかどうかという話のときに、名が出ただけだ。

 

 沿の子である添さんを大事にするのは悪いことではないと、ベルさまは言っていた。

 

「ベルさまが言ってたんだ。何故、添さんの領域を視察の対象にしなかったか分かるかって。その時は分からなかったけど、最初から信用してたんだね、沿ふちさんとそえるさんのこと」


 添さんがまた鼻で笑った。どうやら鼻で笑うクセは、照れているのを誤魔化そうとしているから、のようだ。

 

「聞いた話では即位する直前まで仕えてたそうよ。崩れる王館の中、即位に向かう太子を庇ったって聞いてるわ」

 

 父上に見せてもらった過去の光景を思い出した。

 

 今よりも少し若いベルさま。

 倒れるひさめの義姉上。

 

 崩れる王館の中に、その二人の他にもうひとり精霊がいた。『淼さま、危ない!』と言う声だけを残し、窓から放り出されていった。

 

 添さんの父親だったんだ。

 

 霈の義姉上とベルさまに気をとられ、あまり注目していなかった。もっとよく観察しておくべきだった。父娘だというからには、やっぱり似ているのだろうか。

 

「何よ。他人の顔をジロジロと」

「いや、別に」


 添さんの顔を見ても、沿ふちさんの顔は思い出せなかった。

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