386話 昨日の敵

 コツコツと石壁に靴の音が響く。僕の靴の音だ。

 

 変な気分だ。いつも靴音を立てて近づいてきたのはカオスの方だった。僕からこうやって近づくのは……もしかしたら初めてかもしれない。

 

 沌は牢の中で座り込み、僕が距離を詰めるのを待っている。


「待ちましたよ。早く私を雲泥子ウンディーネの元へ送ってください」

 

 カオスは垚さんが言うほど腑抜けてはいなかった。

 

 灰色の髪はやや色が抜けていて、そのせいか少しだけ歳を増したように見える。瞳は灰色に戻っていて、昔の……まぬがの姿を忍ばせた。


「ほら、早く」

 

 免が顔を上げて、自分の喉をむき出しにして見せた。僕に斬れということだ。沌にも分かるように服をめくって腰を指差した。

 

「丸腰だ」

 

 残念ながら武器を持っていない。僕の剣は金の王館へ修理に出してある。優先的に直してもらえることにはなっているけど、時間はかかるだろう。

 

「だったら何をしに来たのですか? 私の無様な様子を嘲笑いに来たのですか?」

「頼みがある」

 

 返答もせずにいきなり本題に入ったので、沌が反応するまでに少し時間があった。


「…………この私に頼み? 冗談でしょう?」

雲泥子ウンディーネの子を助けてほしい」

 

 僕がそう言うと、沌は更に間を空けた。その間、僕も身動きせずに黙っていた。

 

「水理王に何かありましたか?」

 

 沌は膝を立てて、腕をその上に乗せた。

 

「水の星へ人間の魂を返した。その反動を受けてとめて、理力過剰の状態だ。お前に御上の理力を奪ってほしい」


 隠すことなく単刀直入に切り出した。切り出すだけでなく、用件まで一気に述べた。もう腹を探りあう必要はない。

 

 沌は表情を変えずに、膝に乗せた腕を揺らしている。

 

「私にそれを頼むのですか?」

「そうだ」

 

 一度僕から目を逸らし、沌は立ち上がって近づいてきた。格子に阻まれていなければ、互いの服が触れるほどの近さだ。

 

「私に理力を奪えと、そう言ったのですか?」

「そうだ」

「発狂したのですか? それとも発熱でも?」

 

 沌は自分の額をペタペタと触って熱をはかる仕草をした。

 

「至って正常だ」

「じゃあ、健忘症ですか? 私が何をしたのか、もう忘れたのですか?」

「他者から理力を奪って、精霊界を混乱に貶めた」

 

 許されることではない。僕も許さない。それは紛れもない事実だ。

 

「……その私に、理王の理力を奪えと? 私がそれを利用すると思わなかったのですか?」

「どう利用する気だ」

 

 僕がそういうと沌は黙ってしまった。答えがないのだろう。

 

 養父上の言うとおりだ。雲泥子を取り戻すことが出来ないと分かった以上、沌には理力を集めるメリットがなにもないのだ。

 

「奪った理力を利用して、再び雲泥子を取り戻す計画を立てるかもしれません」

「雲泥子は戻らない」

「……随分とハッキリ言いますね」

 

 沌も分かっているはずだ。散々かき回した結果がこれだった。

 

「世界の理力に還元されていなかった。でも身罷った。ということは魂がどこかに留まっているはずだ」

 

 僕がそう告げると沌は信じられないといった顔をしていた。

 

「魄失になっていないと良いが……」

「いや、この世のどこにも雲泥子の気配はないのです」

「探し漏れがあるかもしれないじゃないか」 

「私が雲泥子を見落とすはずがない」

 

 カオは首を振って、事実の受け入れを拒んでいる。今まで自分自身の判断に穴があるなんて、思いもしなかったのだろう。

 

 沌は失った雲泥子を取り戻すことばかり考えていた。雲泥子が失われていないという可能性を考えなかったのだ。

 

「世界は広い。もし、成功して、御上が目を覚ましたら、探しに行くことを認めてもらうよう進言する」

 

 沌が顔を上げた。

 

「但し、監視はつく。それに進言はするが通るとは限らない。水の王館の一存では決められないことだ」


 カオスに関わることは五属性全てが被害者だ。理王会議が開かれるレベルの大事だ。水理王だけで決めることは出来ないだろう。


 それに雲泥子を探し出せる保証はない。魂が留まっているというだけで、姿が分かるとは限らない。それにもし魄失化していたら僕たちの出番だ。

 

「良いでしょう。どうせ覚悟は決めた身。僅かな望みにかけましょう」

「やってくれるのか」

 

 沌は顎に手を当てて少しだけ首を動かした。

 

「奪った理力はもらっていいのですか? 人間の魂のように珠化しますか?」

「そんなことが出来るのか?」 

 

 鼻で笑われてしまった。やるかと言われて、出来るのかと確認する必要はなかった。時間の無駄だ。

 

「早速参りましょう。水理王の元へお連れください」

「あぁ……」

 

 格子の一本を掴んで移動に備える。 

 

「ひとつ聞いていいか?」

「何です?」

 

 両手で格子を掴み、沌を見下ろした。 

 

「雲泥子を見つけたら……お前はどうする気だ?」


 一緒に水の星へ帰ると以前のまぬがは言っていた。今、雲泥子を見つけたとしても魂だけだ。

 

「雫はどうなんです?」

「僕?」

「雫は水理王を助けてどうするのですか?」

 

 ベルさまを助けて、一緒に暮らしたいだけだ。側にいて欲しい。寿命を迎えるまで長く共に過ごしたい。

 

「私も雫と同じ気持ちだと思いますよ」

 

 沌は僕の返事を待たなかった。僕の心を見透かしたようだ。


「でも雲泥子は……見つけても魂だけだ」

「それでも良いのです。どんな姿でも良い。何なら魄失でも良いのです。そうでしょう?」

 

 ベルさまがどんな姿でも良い。それはそうだ。寅の姿から戻れないというなら、それでも良い。

  

「でも……抱き締めたい」


 魂だけでは抱き締められない。父上のように……そこにいるのが分かるのに、触れることすら出来ないのでは悲しすぎる。

 

「熱いですね」

 

 沌が茶化してきた。からかわれたって構わない。僕の気持ちは変わらない。

 

「行くぞ」

 

 格子を掴んで牢ごと移動する。カオスを水の王館の離れに連れていった。

 

 部屋は狭いから外だ。水浸しだった庭は湿っていたけど、水は引いていた。土理王さまと木理王さまのお陰だ。

 

「これは……凄まじい」

「これでもマシになった方だ」

 

 カオスは眉を潜めていた。散々理力を集めて、巨大な理力の塊に慣れているはずのカオスでさえ、そう感じるらしい。 

 

「ここから理力を奪えるか?」

「やってみましょう」 

 

 カオスは格子の中から手を伸ばした。

 

 邪魔にならないように脇へ避ける。でもいつでも飛び出せる場所だ。沌が協力する振りをして、ベルさまを襲おうとするなら……素手でも首を掻き斬ってやる。

 

 でもそんな僕の心配を他所に、沌は深呼吸を繰り返して集中しているようだった。

 

「参ります」 

 

 長く時間をかけて息を吐き出すと、顔を上げて一気に空気を吸い込んだ。

 

 その直後、沌は吹き飛んだ。ガシャンッと派手な音を立て、後ろの格子に背中から叩きつけられた。

 

「お、おい!」

 

 カオスはズルズルと落ちてきた。背中を強打したらしく、咳き込んでいる。

 

「大丈夫か?」

「くっ……不覚でした」

 

 口元を拭いながら沌は忌々しそうに呟いた。僕がよく知っている沌の表情だった。


「私としたことが……水の星からの反動という時点で気づくべきでした」

「何だ? どこか問題でもあったのか?」

 

 理力を奪うという計画は……恐らく成功していない。

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