374話 水理王と沌

 世界に活力が湧いている。五人の理王が力を合わせて世界を取り戻した。

 

 カオスにメチャメチャにされかけた世界が秩序が帰って来た。

 

 互いの属性を尊重し、助け合い、時には諌めながら、秩序を保っている。世界が輝いて見えた。

 

「これが……理王の……」

 

 沌のせいで迷走していた理力も正しい道が分かって、意気揚々と流れていく。世界を満たす理力が快適に流れていくのを感じて、『理王は喞筒ポンプである』と先生が言っていたことを思い出した。

 

 何て言っていいか分からない。僕の知っている言葉では表現できなかった。世界が満たされて僕の胸もいっぱいになるようだった。

 

 呆気に取られる僕を見てベルさまは笑った。

 

「流没闘争の時には理王ではなかったから、地道に戦うしかなかったけど……それに比べると楽だよ」

 

 これだけの仕事を楽だというベルさまは……すごい。でもそれは逆に、流没闘争の際が比べ物にならないくらい辛かったということだ。

 

 ベルさまは氷柱牢獄の中にいるカオスに向き直った。沌の顔は縦に傷が入っていた。

 

カオス、覚えておくが良い。お前が何度、ルールを壊そうとも、余は……理王たちは何度でも修復する」

 

 眉の間に入った傷のせいで、カオスの顔は不機嫌に見えた。どのみち機嫌は良くないだろう。


雲泥子ウンディーネルールさえなければ雲泥子ウンディーネは命の時間を縛られなかった」


 しつこい。

 

「しつこいですね」

 

 僕の思いを潟が代弁してくれた。

 

 沌が氷柱牢獄に閉じ込められているのを見ると、月代での出来事を思い出す。

 

 メルを閉じ込めた焱さんの檻を、カオスは素通りした。そこで初めて理術が効かないという事象を確認した。

 

 でも今のカオスはどうだ。

 

 氷柱牢獄から出ようとする素振りすらない。ベルさまの氷柱牢獄が強すぎるからだ。氷柱一本一本は太くない。

 

 だけど密度が違う。温度も違う。

 

 玉鋼があったとしても切れないと思う。刃が触れた瞬間に凍りつくだろう。

 

雲泥子ウンディーネはともかく……何故、ルールがあるか、考えたことがあるか?」

 

 ベルさまが氷柱牢獄に近付いて沌に語り掛けた。ベルさまの息が氷柱に掛かると、それだけで氷柱が太くなった。氷柱の隙間が少し埋まって沌の顔が見えづらくなった。


「支配者が円滑に統治をするため、でしょう」

「違う」

 

 カオスは迷うことなく答えた。それに対してベルさまの答えはもっと速かった。

 

「誰しもひとりでは生きられない。だが他者と生きることで対立を生むこともある。だからその折り合いを付けるためにルールが必要なのだ」

 

 時には譲歩し、時には主張する。他者を尊重することと、譲ることは同義語ではない。お互い意思をもった者同士。尊敬しあえる関係になれば問題ないが、そうなる前に衝突を生むこともある。

 

 そのためのルールだ。

 

 水は火に強い、といった単純なルールでさえ、もし存在しなければ世界は混乱に陥る。

 

 もし水が火に強くなかったら。火は遠慮なく水にぶつかってくるだろう。水もまた反撃するかもしれない。

 

 水が火に強いから、火精を相手にするときは少し威力を弱めようと気を使う。火精も迂闊に水精に手を出すようなことはしない。


「ふっ……綺麗事を。無駄なルールで縛られた世界がいかに醜いか。明らかに成立している事象でさえ、ルールが出来ていないから認めない。そういう世界ですよ、水の星は」

「例えば?」

 

 ベルさまが畳み掛けた。

 

「例えば……生まれた子を確認しているのに記録がないから存在を認めない、などですね」

「他人に認められる必要がどこにある。生まれただけで存在意義があるだろう」

「……何かにつけて他者による認定が必要なのです。意味のないルールで支配されたがる……人間とはそういう生き物ですよ」

 

 精霊には永遠に分からないだろうという顔をされた。


 沌の後ろで奥都城おくつきの最後の塊が真っ二つに割れた。中から水が噴き出ている。

 

 噴き出した水はすぐに形を変え、落下する塊を無視して宙に漂っている。ベルさまが左手の指を突き出すとスッと絡み付いてきた。

 

ルールさえなければ……」

 

 きっとそのあと雲泥子ウンディーネを失わずに済んだのに……と続くのだろう。

 

「そういえば……理術が効くかどうかはお前の判断によるそうだな」

 

 ベルさまがカオスの呟きに答えるように、一見関係なさそうな質問を投げ掛けた。

 

 沌は顔を上げてベルさまを見た。

 

「『凍湯怒涛とうとうどとう』」

 

 ベルさまの指に絡み付いていた蒸気が、隙間をぬって氷柱牢獄の中へ入っていった。蒸気はすぐに白い靄になり、カオスの体にまとわりついた。

 

 沌は靄の様子を目で追っていた

 

「ぁああぁついっ! ……ぁあぁつ、さ、寒いっ! ぅあぁあ熱っっつっつぅおぁあつっつ冷めたい暑ぅうあ!」

 

 沌が氷柱牢獄の中で暴れまわっている。軽くパニックを起こしているようだ。ベルさまが一体何をしたのか……見ているこちらもパニックだ。

 

「どうした? 煮えたぎる氷に凍った湯。ルール上あり得ない事象に耐えられないか? 理術は効かないのではないのか?」

 

 ベルさまの冷静な声はカオスの耳に届いていないだろう。

 

 ガンガンと氷柱を足で蹴って、苦しさを紛らわせているようだけど、氷柱はビクともしない。バキリと折れる音がしたと思ったら、カオスの足の方だった。

 

 攻撃が通用するかどうか……カオスが理術だと判断したときは効かない、と確かに沌は言っていた。

 

 でも理力を吸収できないほど強力な理術なら効くとも言っていた。ベルさまの場合、後者だと思う。

 

 ベルさまの展開した理術は僕の知らない理術だ。先生に理術は全てマスターしたとお墨付きをもらったのに。そもそも凍った湯など意味が分からない。

 

 ベルさまが指を下ろすと、カオスは苦痛から解放された。ぐったりと氷の床に伏して、肩で息をしている。


「皆で生きるためには何事もルールがなければ収まらない。ルールが時代や環境に合わなくなったとき、我々はそれを改定することを厭わない」

 

 沌はベルさまの話を聞いているのか聞いていないのか分からない状態だった。それでもベルさまは続ける。 

 

「この世に意味のないルールなどない。もしあれば我々理王が改定する」


 佐を設けるときも理王会議を開いて、ルールの改定を行った。必要があれば長い長い理王会議でも耐えなければならない。歴代の理王もそうやって精霊を治めてきたのだろう。

 

 いずれ僕もそうならなければならない。でもそれは……まだまだ先のことだ。


「……ふっ……全ての……民が、納得する……ルールなど……あるものか」


 カオスは苦しそうに息をしながら合間合間に悪態をついた。

 

「それは無論だ。それでも出来る限り多くの精霊が恙無く暮らせるように努めるのが我々の仕事だ」

「……偉大な、統治者、だ」

 

 カオスは皮肉を言いながらゆっくり上体を起こした。顔の傷は広がることもなく、血を流すこともなく、秀麗な顔の一部としてすでに馴染んでいた。


「もう良い、よく分かった。あなたが理王である限り理を壊すことは出来ない。私は雲泥子ウンディーネの元へ参ります」

 

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