340話 火付役と消火

「ベルさま、僕……」

「良いよ。行っておいで」


 まだ何も言っていない。一瞬、視線が交わっただけなのに、ベルさまは了承の意を示してくれた。 

 

 僕が火の王館に応援へ行くなど、烏滸おこがましいかも知れないけど……。


「お待ち下さい、雫さま。火の王館へ救援に行かれるつもりでしたら、なりません。この非常時に水太子が水の王館を離れるなど……」

 

 潟の小言が始まった。無視して行っても良いのだけど、付いて来るに違いない。そうなると流石に水の王館が手薄になる。

 

「確かに火精は火を消すことは不得手です。しかし、酸素の消費を抑えれば火は弱まり、やがて消えます。火理皇上がそれを実践なさるはずです。雫さまが向かわれる必要はありません」 

 

 火理王さまの青い髪がちらついた。酸素の消費を抑えているから、水精みたいな青い色をしている。それが怒りで真っ白になると、周りの精霊が窒息してしまうらしい。

 

 潟の言い分も尤もなだけに反論できない。行く必要がない気もしてきた。

 

「潟は無礼だわ」

「……急に何ですか、添」

 

 さっきまで潟が添さんを支えるようなていだったのに、添さんが急にツンツンし始めた。

 

「だってそうじゃない。御上の結界だけだと不安だから、太子も残れって言ってるんでしょ」

 

 いや、潟もそこまでは言っていない。ベルさまだけでは不安だなどと、本人を目の前にして言えるはずがない。 

  

「そうは言っていません。御上、誤解なさらないでください。緊急時に太子が不在だと問題だと申しただけです」

「太子なんて普段から視察ばっかりでいないことが多いんだから、居ても居なくても良いじゃない」

 

 不在が多くてごめんなさい。うっかり謝罪したくなる勢いだ。視察が太子の主な仕事なんだけどな、と心の中だけで反論しておいた。

 

「雫さまの仕事に口を出すとは、添こそ無礼ですよ!」

「潟ほどじゃないわよ。大体ね、いつもいつも雫さまー、雫さまーって私という妻がありながら、鬱陶しいのよ!」

「雫さまのお世話が私の仕事です。それが普通でしょう」

「だからって褥の中で『あぁ、雫さま。今日も麗しく愛らしいお姿でした。もう食べてしまいたい』とか言ってんじゃないわよ!」

 

 鳥肌が立ってしまった。ベルさまは怒るかと思ったのに案外余裕そうだ。


「それとこれとは話が別です。兎に角、雫さまに火の王館へ行かれては困ります」

「何で潟が困るのよ!」

「私がお供できないからですよ! 私まで付いて行けばここが手薄になってしまいます」

「何で潟まで行くのよ!」


 夫婦喧嘩がエスカレートしていく。巻き込まれたくない、というのが正直な感想だ。その二人の間を縫うように、漕さんが僕の肩を離れ、ベルさまの元へ泳いでいった。

 

「雫、漕も行くそうだ。連れて行くと良い」

「漕さんが?」


 漕さんがベルさまの首を一回りすると、僕の元へ帰って来た。髪をくすぐりながら定位置であるかのように僕の肩に乗った。

 

「潟、良いだろう。短時間だ」

「すぐに帰ってくるよ」

 

 今度こそ潟の言葉を無視した。ベルさまが何とかしてくれるだろう。

 

 焱さんの気配を探して火の王館へ移動する。

 

 ……と目の前が真っ赤な炎に包まれた。息を吸おうとしたら熱気と煙が入ってきて、咳き込んでしまった。

 

「ごほっごっ……く、『特大水球ヒュージボール』」

 

 肩に漕さんを乗せたまま、水球の中へ避難する。

 

 思ったよりも大火事だ。水球の中でもゴウゴウと燃える炎の音が聞こえる。火の王館が火事になるとは火精の皆さんも思わなかったに違いない。

 

 焱さんの隣をイメージして、移動してきたはずだから、この近くに焱さんがいるはずだ。

 

「焱さーん!」

 

 声をはってみたけど、そもそも水球の中で声がくぐもっている。届かないだろう。

 

 まずは消火だ。燃えている物があるなら、物質そのものに水をかけないと意味がない。火に水をかけたところで火は消えない。

 

 でも、それは一般的なルール。今回は火が自身の力だけで燃えている。火の理力自体を弱めないと意味がない。

 

 しかも火元がひとつではない。神経を研ぎ澄ませて、ざっと読み取ってみた感じだと三十数ヶ所。慣れない火の理力だから、読み違えているかもしれない。


 雨を降らせればすぐに消火できる。でもそれでは、火の王館にいる火精を弱らせることにもなってしまう。

 

 ひとつずつ潰していくしかない。

 

「漕さん、水球を飛ばすから手伝ってくれる?」

 

 漕さんにそう告げると心得たとばかりに僕の肩から離れ、特大水球ヒュージボールから出ていった。


「漕さん、行くよ! 『水球乱発』」

 

 三十個以上の水球を空に浮かべる。

 

 漕さんが水球の群れに突っ込んで行き、その内のひとつを尾びれで弾き飛ばした。

 

 少し離れたところで水蒸気が上がった。漕さんはそれを確認するとすぐに、また別の水球を弾く。漕さんの場所から火元が確認できるようだ。確実に消火場所を捕らえている。


 僕も雲で昇れば良いのだけど、火に巻かれて雲が蒸発しそうだ。

 

 漕さんに消火を任せて、その間に僕は要救助者を探す。煙が収まるにつれ、倒れている精霊ひとが何人か見つかった。

 

「大丈夫ですか? しっかり!」

「ぅう……ぅ」

 

 うつ伏せの状態からひっくり返して頬を叩く。意識はあるみたいだ。見た目の火傷はほとんどない。煙を吸ったか。

 

 息はちゃんと吸えている。水精や木精なら僕の水を飲ませるけど、火精はどうだろう。逆効果か?

 

「……ぁあ、び……淼さ……」

「喋らなくて良い。焱さん! 焱さん、どこ!?」


 近くに焱さんがいるはず。焱さんがいれば火精の手当ての方法が分かる。仰向けに寝かせて、首もとを緩めた。


「っ!」

 

 喉が真っ黒に焼け焦げていた。

 服は焦げていないところを見ると、喉の中から焼けている。


「淼……ま、ヒュー……えんは、ヒュー、今……」

「喋るな!」

 

 他所の精霊につい命令口調だ。こんなに喉が焦げていてよく声が出せる。火に耐性のある火精だからかもしれない。

 

 焱さんの気配を探す。いるのは分かる。でも忙しなく動いていて掴めない。

 

 仕方ない。もう一か八かだ。

 

「少しで良いから飲んで。もし嫌だったらすぐに吐き出して良いから」

 

 口元に泉の水を持っていく。いつもよりかなり小さめにした。二本の指で摘まめる程度だ。

 

 火精は嫌な素振りひとつ見せずに大人しく水を口にした。でも、焼けた喉で飲み込めなかったらしく、せてしまった。

 

 かえって申し訳ないことをした。背中を擦りながら謝罪をする。

 

「ごめん、ダメだったか。今、焱さんを探してくるから」

 

 空を見上げると、ちょうど漕さんが僕の真上を泳いでいくところだった。そこから焱さんを探せないだろうか。

 

「お待ち下さい。淼さま、少し、楽になりました」

 

 そういう火精の喉は黒さがかなり薄くなっていた。通常の肌の色にかなり近い。飲めなくても効果はあるらしい。自分の泉の水なのに、恥ずかしながら未だに効果が良く分かっていない。


「治ったの?」

「まだ喉は痛みますが……問題ありません。感謝いたします」

「うん。それは良いんだけど、焱さんはどこにいるの?」

「焱は……只今、戦闘の最中さなかでして……」

 

 何故か口ごもる火精にちょっと違和感を覚えた。戦闘中なのは当然だ。今まさに攻撃を受けているのだから。

 

「結界の中に入られたってこと? 誰が攻めてきたの? 免の配下? それとも本人?」

 

 質問攻めにしてしまう。水太子に睨まれてちょっと可愛そうだ。

 

「それが……その……っ!」

 

 火精の視線が僅かに僕から逸れた瞬間、体が動き始めた。火精の腕を取って、反射的に前方右の石の陰に飛び込んだ。

 

 数拍おくれて草の焼ける臭いがする。僕たちを狙ったのか。それとも流れ弾か。

 

「……申し訳ありません、淼さま」

「何で謝るの?」


 助けたことに対して謝られる必要はない。そう言ったら火精は首を振った。

 

「今の攻撃は火付役インスティゲーターです」

「……………………は?」

 

 言っていることの意味が理解できない。たっぷり間を取って理解しようとしたけど出来なかった。

 

「今、火の王館は火付役インスティゲーターひょうから攻撃を受けています」


 火精が指差した先には巨大な鳥と、それに対峙する火太子の姿があった。

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