327話 先代水理王の部屋

 水理王の正装。壊れた部屋。

 本人からの名乗り……この方が先代水理王。

 

 何て言ったら良いのか……弱いというのは不敬だけど、敢えて言うなら本人そのものが弱々しい。理力が弱いとか、体力がないとかそういうレベルではない。

 

『淼は……』

「はい」

 

 呼ばれたので返事をしたものの、その後が続かない。口をパクパクさせているのは分かるけど、声が出ていない。

 

 でも、急かさずに待つ。たぎるさんだって極度の恥ずかしがり屋で、最初は無口だった。あらいさんだって、緊張すると吃りが出てしまう。それと一緒でそれぞれの個性だ。別に悪いことではない。

 

『……淼は即位した……?』


 か細い声が辛うじて聞き取れた。語尾が上がっているから疑問形だろう。そして恐らく、淼というのは僕ではなく、ベルさまのことを指しているに違いない。

 

「御上は今、三十三代目ですよ」

『……そう』

 

 返事は素っ気なかったけど、意思の疎通が出来た。一歩前進だ。

 

『淼は……』

「はい」

 

 遠慮がちではあるけど、またベルさまの質問だ。そんなにベルさまのことが気になるのか? 何だかモヤモヤする。

 

『余を……消しに来た?』

「はい?」

 

 予想外の質問にすぐ反応できない。ベルさまについて、何を聞かれるのかと考えていたところだ。

 

『それとも殺しに来た?』

「どう……」

『も……良い。余は……やっと逝ける』


 先代水理王が泣いている。灰色の目から灰色の頬を伝って、灰色の涙が流れていく。

 

 僕が先代を傷付けに来たと思っているらしい。

 

「落ち着いてください。僕は何もしないと言ったでしょう? 貴方を害しはしませんよ」

 

 そう言いながら踏み出すと、床に倒れていた骸骨に足が触れた。あまりの冷たさに声が出そうになった。

 

「……っ!」

『気を付けて……それ、余のからだ……先代の水で凍ってる』

「先代……えーと、三十一代目のってことは海水ですか?」

 

 先代さまは黙って頷いた。声は小さいままだけど、会話が滑らかになってきた。

 

 先生は海水だったから、真水を凍らせるよりも温度が低い。通りで冷たいわけだ。

 

「こちらは、先代さまのからだだったんですね」

『……そう。余のからだ


 先代は手の甲で涙を拭う仕草をした。でもすでに涙は乾いていて拭き取れていない。それに気づいていないらしい。

 

「…………」

『…………』

 

 二人とも会話が進まない。やっと会話のキャッチボールが出来るようになったと思ったらこれだ。

 

 どうしよう。こんなところに先代さまがいるとは思わなかった。今まで話題には何度もなったけど、まさか会うことになるなんて……。 

 

『何しに……来たの?』

「え? ……あ、あぁ、あの、見たことのない扉があったので、つい……」


 正直に答えたけど、まずかったか。

 

 この先代水理王とベルさまとは不仲だったはずだ。通信による意思の疎通も出来なかったと聞いている。

 

 理力も読み取れないし、何を考えているのか、全く分からない。

 

 何も言わなくなってしまった。このまま居座り続けるのは結構辛い。

 

「お邪魔したみたいなので、帰りますね」

『扉が見えた……先代……亡くなったの?』

 

 去ろうとしたら震える声が僕を止めた。先代水理王が先代と言うと混乱しそうだ。

 

「……そうですね」

『そう……。余も一緒に逝きたい』

 

 一体何を言い出すのか。

 この状況をどう理解すれば良いのか分からない。

 

 亡くなっているはずの先代水理王が、先生と一緒に逝きたいとはどういうことだ。

 

「貴方はどうしてここにいるんですか?」

 

 先代は悲しそうな目でこっちを見た。何だかとても悪いことをしている気になってきた。

 

『先代が残した罰……。余が……まで、半死半生』


 半死半生……やっぱりマリさんみたいだ。でも鋺さんは骸骨姿で動けていた。でもこの状態を見ると、こころからだが分離されている。

 

 本人の意思次第か、それとも鋺さんと少し違うのか。

 

「半死半生なら、この姿で動けるのですか?」

『部屋から出られない。先代の結界があるから』  

 

 微妙に質問と答えが噛み合っていない。

 

 でも大体分かった。動けたとしても部屋からは出られないと言いたいのだろう。

 

「その結界……多分、解除されたと思いますよ」

『そっか……そうだった』

 

 漣先生の結界が扉を隠していたのなら、ぼんやり見えた時点で、結界が消えかかっていたはずだ。その後、僕が触れたことで飛沫しぶきが上がって、扉がハッキリ見えるようになった。だから完全に解除されたはず。

 

「だから僕が入って来られたんです。先代さま。もし動けるなら部屋から出てみませんか?」


 このままここに放っておけない。先生が罰を与えたらしいけど、結界が解けたなら部屋から出るくらいは良いだろう。どのみち、半死半生は治らない。

 

 免が攻めて来たとき、仮にこの部屋が崩れたら、この方はパニックになるだろう。それだけならともかく、魂が分離した状態では真っ先に免の餌食になる。からだが残っているとはいえ、集めやすい魄失状態だ。

 

『出ない。ここなら……安全』

「そうですか」

 

 頭の中では、ベルさまに何て言おうかすでに考え始めていた。でも本人の意思を無視して連れ出すことはしない。皮算用だった。

 

『先代は余を守ってくれた。だから……余に科した罰もちゃんと受ける』

 

 律儀なのか、それとも臆病なのか。どちらかと言えば後者だろう。でもいずれにしても、ちゃんと罰を受けようという意思があるあたり、しっかりしている。

 

「何の罪を犯したんですか?」

 

 以前に聞いたことを思い出した。先代水理王は流没闘争の原因を作ったと。今のところ、この方がそんなに大それたことをするようには見えない。でも、気を付けないと何をしてくるか、分からない。

 

『余がしたこと、しなかったことと……どちらも罪だった』


 誰か分かる精霊ひとに解説してほしい。 

 

 一体、この方に何があってこんなことになっているのか。

 

『皆、黙ってた。でも知ってた……余が強くないって』


 先代水理王が弱いのかと垚さんに聞いたとき、不敬だからやめろと言われた。

 

 でもいくら弱くても水理王になるくらいの精霊がそんなに弱いわけはない。水精をまとめあげ、理力を正しく流す役目を担えなくなってしまう。

 

 だとしたら弱いのは心の方か。

 

「先代さま。したこととしなかったこと……良ければ僕に教えてもらえませんか?」

『……話したことない』 

 

 そう聞いて、なるほどと思った。単なる会話が苦手な精霊のだと思ったけど違う。苦手なことに違いはないだろうけど、この方は、きっと誰にもゆっくり話を聞いてもらったことがないのだろう。

 

「ゆっくり聞きますから。どうしてこういう状態になったのか、教えてもらえませんか?」

 

 灰色の人型がゆっくり動いた。それに合わせて僕が一歩下がったら、先代は自分のからだに腰かけてしまった。


『…………余は低位だった』

「奇遇ですね。僕もですよ」

 

 間髪入れずに答えたら先代が意外そうな顔をした。でもすぐにふと視線を下げてしまう。

 

『……高位にさせられた』

「させられた?」

 

 僕が高位になったのはベルさまのお陰だ。させられたとは思ったことがない。

 

「余は………………精霊を食べた」

 

 先代の言葉を理解するのに少し時間がかかった。意味を理解した瞬間、背中にぞわりと鳥肌が広がっていった。

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