326話 開かずの扉

「よっ……と」

 

 水の王館へ戻ってきた。でも直接、執務室には戻らなかった。他の王館に倣って僕も少し館内をチェックしておこうと思う。

 

 ただ、僕の権限では火精のように警備を増やすことは出来ない。出来たとしても信頼できる高位精霊があまりいない。第一、信頼できる精霊なら、王館での戦闘に巻き込みたくない。自分の領域や本体で控えていて欲しいと思う。

 

 かといって、金精みたいに結界を強化することも、土精のように埴輪ガーディアンを改良することも出来ない。木の王館は精霊のために逃げ場を確保していたけど、そもそも働き手がいないからそれは必要ない。潟たちを避難させれば済む話だ。

 

 だから僕が出きるのは建物の劣化や破損箇所がないか調べる程度だ。今から修理は間に合わないかもしれないけど、応急処置くらいは出来るだろう。

 

 ボロボロになった竜宮城を目の当たりにしているので、防げるものは未然に防いでおきたい。

 

 昔は僕が王館中を掃除して回った。理術を覚えるまでは手作業だった。焱さんに掃除の仕方を教えてもらって、王館の端から端までひとりで掃除していた。

 

 理術を覚えてから、掃除は一瞬で済むようになった。それから昇格して、侍従長のすることではないと言われても時々、こっそり掃除していた。

 

 流石に太子になってからは出掛けることが多くなって手を出していない。掃除は泥と汢に任せきりだった。

 

 泥と汢も基本的には僕の私室と執務室、それから僕が頼んだ場所を掃除するから、それ以外は管轄外だ。

 

 普段通らない建物の端の方は、さぞかし汚れているに違いない。そう思ってわざと王館の端に水流で移動してきたのに、汚れも破損も見つからない。

 

 何の手入れもしていないのに、綺麗なままで、まるで時が止まっているようだ。他の王館に比べたら人気もないのは確かだけど、外気は入るから砂埃くらい溜まってもおかしくない。

 

 ベルさまの結界は埃すら通さないってことか。

 

 磐石だ。ここを突破するのは厳しい。逆に免やその配下がこの結界すら通ってきたら、僕では太刀打ちできないかもしれない。

 

 何気なく壁に手を触れると、いくつか修復された跡が見つかった。見ても分かりにくいけど、指先に僅かな段差を感じる。

 

 その辺り一帯の壁は黒の色合いも異なった。見事な修復で本当に目立たないけど、塗られた黒の輝きが新しい。

 

 十年も掃除に勤しんだのに、気づかないとは情けない。それとも逆に掃除に夢中で気に止めなかったのかもしれない。

 

 それに……この場は見覚えがある。霈の義姉上が逝った場所だ。外に投げ出された精霊もいて、王館があちこち壊れかけていた。崩れる前に即位をしろとベルさまに誰かが言っていた。

 

 その後、ベルさまが即位して、修復したのだろう。

 

 壁に手を触れたまま、王館の奥へ歩を進める。ここならもう外の砂埃も入ってこない。

 

 ここは……?

 

 ぼんやりと扉が見えた。僕の目がおかしくなったのかと思った。数回ゆっくり瞬きしてみても扉はぼんやりしたままだ。周りを見てもしっかり見えるから僕の目がおかしいわけではなさそうだ。

 

 こんなところ、あったかな?

 

 霞がかかったような扉のぼんやりしたノブに手を掛けた。するとノブの部分から勢い良く水が吹き出した。

 

「うわっ!」

 

 思ったよりも量が多くて、頭からずぶ濡れだ。すぐに乾かそうとして違和感を覚える。

 

 懐かしい感じがする。

 

 潟とは少し異なる塩の気配。以前にも包まれたことがある。これは……確か……

 

 ーー往生際が悪いのぅ。わしの本体を使うと言ったじゃろうーー


「先生……」 


 先生の海水だ。リヴァイアサンに飲み込まれたときの感覚と同じだ。

 

 もしかしたら、ここは先生の部屋……?

 

 僕が乾かすまでもなく、海水に意思があるみたいに勝手に蒸発していった。それから少し遅れて、ぼんやりした扉がハッキリ見えるようになってきた。

 

 ベルさまと僕が使っている執務室と、同じような扉だ。それよりもやや大きいかもしれない。

 

 思いきって、再びノブに手を掛ける。今度は濡れることはなかった。ノブを回しながら扉を押す。

 

「失礼します」

 

 誰かがいるはずはないけど、先生の部屋だと思うと自然と挨拶が出た。中は思ったよりも暗い。まだ日中だと言うのに、夕方のようだ。


「ん?」

 

 今、何か聞こえたような気がする。扉を中途半端に開けたまま、中の様子を窺う。小動物が住み込んでいるくらいなら構わないけど、そんな気配はない。

 

 足を踏み入れようか迷って視線を走らせる。すると、一点で視線が止まった。床の上に見慣れた水理王の正装が広がっていた。

 

 誰かが倒れている。ベルさまでないことは確かだ。銀髪が見えないから。

 

 それでも惹き付けられるように自然に足が向いた。後ろで扉の閉まる音がする。

 

「あの、大丈夫ですか?」


 この期に及んで免の配下とか本人とかだったらどうしよう。念のため十分な距離を取ったけど、扉はしまっているし、逃げ場がない。

 

 いや、駄目だ。逃げている場合ではない。もし、免ならここで討たないと駄目だ。

 

 それでも反応がないので、顔が見えるところまで近づいた。

 

「あ……っ!」

 

 骸骨だ。

 歯まで揃った見事なまでの白骨。

 

 情けない悲鳴を上げずに済んだのは、瞬間的に、マリさんのことを思い出したからだ。

 

「なん……」

『今度は何……?』

 

 骸骨が喋った……のではなかった。

 

 骸骨の足元に人型が立っていた。髪も目も肌も全部灰色で、免を連想させる。もし、骸骨と同じ装いでなかったら、攻撃していたかもしれない。

 

 先生の部屋だと思ったけど、どうやら違ったみたいだ。

 

『今度は、何をするの?』

「え?」

 

 言葉のひとつひとつが弱々しい。視線を合わせようとしても交わらない。すぐに下を向いてしまって、こっちを見てくれない。酷く脅えている。

 

『……』

「僕は何もしませんよ」

 

 何をすれば良いのかという質問に対しては返答がおかしい。でも相手の視線を得るには十分だった。

 

 背中を丸めて、僕を下から窺いつつ胸の紋章で目を止めた。初代理王である父上の紋章だ。

 

『君は…………淼?』

「はい、太子の雫です。貴方は……その格好、水理王の服ですよね」

 

 どうしてそんなものを着ているのか、聞こうと思ったけど、相手を萎縮させそうなので、止めておいた。

 

「貴方は誰ですか?」 

 

 代わりに身元を聞いても良いだろう。僕は名乗ったのだから問題ないはずだ。

 

 でも、なかなか返事が返ってこない。その内、部屋の様子がおかしいことに気づいた。

 

 まず、壁紙が目についた。引っ掻いたような傷もあれば、爆発したかのような破れ方もしている。

 

 机は……多分、机だった物は足が全部なくて転がっている。更にカーテンは途中から外れて床に引きずっており、辛うじてぶら下がっている具合だ。

 

 書棚も、ガラスが嵌まっているはずの部分は空洞で、中身が入っていない。すぐ下の床に数冊落ちているけど、棚を埋めるほどの冊数ではない。

 

 天井には、電飾があったであろう跡がある。でも代わりの燭台があるわけでもないので、明かり取りがなにもない。

 

 こんなに破壊された部屋があることに、どうして今まで気づかなかったのか。


『余は……余は』

 

 人型がやっと口を開いてくれたとき、ベルさまの言葉を思い出した。

 

 

 ーー理王の執務室は、先代理王が退位したときに破壊してしまったから使えないーー

 

 

 この精霊……まさか。

 

 口の中で何かモゴモゴ言っているみたいだけど、聞き取れない。

 

「すみません、もう一度言ってもらえますか?」

 

 余計に目を逸らされた。会話に失敗したかもしれない。何度も口を開いては閉じを繰り返し、やがて意を決したように喉を上下させた。

 

『……余は、第三十二代……水理王……おさめ

 

 絞り出されたか細い声は、蚊のなくような音だった。

 

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