323話 投獄
開戦まで八日。
朝になるのを待って、火の王館へ向かった。焱さんの執務室へ直接移動できるけど、やめておいた。
机の上に着地してしまった苦い思い出があるからだ。それに焱さんに会う前に、火理王さまに
火の王館はあまり来る機会がなかった。どちらかと言えば焱さんが水の王館に来てくれたから、僕がこっちに来たのは数えるほどだ。
火の境界あたりに警備が二人立っていた。明らかにこちらを警戒しているので、声をかけた。
「おはようございます」
不信感を持たれないよう声をかけたのが、逆効果だったらしい。
残念ながら挨拶を返される代わりに、武器を手に取られた。
「お、おおお前は……な、何者だ!」
「ささささては免の配下だな!?」
……うん。仕事熱心で大変良いことだ。
金の王館でも身分証明を求められた。彼らは何も間違ってはいない。
そもそも約束もなしに謁見の間に連れていってくれる木精に問題がある気がする。僕が偽物だったらどうするつもりだったんだろう。今更ながら心配になってきた。
「僕は……」
「皆、出会えー! 免の襲撃だー!」
「逃げられないぞ、覚悟しろ!」
話を聞いてもらえない。腰の徽章を見せようと思ったのに、駄目だった。
年輩に見えるけど、火精は寿命が短い分成長が早いから、年齢が読めない。尤も水精も雨伯や添さんみたいに、幼児姿の場合もあるわけで、一概に判断は出来ない。
「待ってください、僕は……」
一歩踏み出したら、火精のひとりに呼び笛を吹かれてしまった。甲高い音が壁を伝わって響き、あっという間に十人以上の火精が集まってきた。
「ぼ、僕は水太子です!」
「だ、騙されるものか! 徽章の偽物まで用意して周到な!」
「大人しくしろ!」
徽章の偽物って。……偽物を作ることが難しいから身分証明になるんだけど、それを言っても聞いてもらえなさそうだ。
どうしたら信じてもらえるか考えていたら、あっという間に縄を掛けられて、あっという間に牢に入れられた。
「何で……?」
見張りすらいない牢の中で呟いてみても、返答は返ってこない。
魄失の尋問で、牢に入ったことはある。でも入れられたのは初めてだ。
多分、出ることは出来る。牢に掛けられた鍵は南京錠だ。中から容易に手が届く。その鍵穴に水を流し込んで凍らせれば、鍵が出来てしまう。強度が必要だから、氷の温度を相当低くする必要がある。
問題はそこだ。強化された氷の低温に、火の理力に満ちた牢自体が耐えられるかどうか。氷ひとつで牢ごと壊れるというのは大袈裟かもしれないけど、万が一ということもある。
只でさえ面倒なことになっているのに、僕の加減次第で余計に面倒なことになったら嫌だ。それに仮に牢を壊さず出られたとしても、脱獄に代わりはない。
水太子が脱獄……醜聞過ぎる。出来ればちゃんと出して欲しい。
やっぱり焱さんの執務室へ直接行くべきだったか。何で歩いてきてしまったのだろう。
『……ベルさま、ちょっと良いですか?』
結局、ベルさまに通信を入れた。これが一番安全に出られる方法だろう。
ベルさまが何らかの事情で応答がなければ、潟に来てもらおう。潟は何をしでかすか分からないから、それは最後の手段だ。
『……雫か。どうした? 火理に会えなかった?』
『あの、ベルさま。実はですね。今、投獄されてまして……』
我ながら恥ずかしい話だ。僕に太子としての威厳と、ベルさまみたいな圧倒的な理力があれば、こんな情けないことにはならなかっただろうに。
いや、逆か。威厳はともかく、火精にとって水精の理力は脅威だ。僕が無意識に理力を振り撒いて威圧していたのかもしれない。
だとしたら、結局、僕のせいじゃないか。
『渡した魄失なら火理の判断に任せるよ』
『いえ、そうではなく……僕が』
『は?』
『僕が牢に入れられたっていうか』
耳の奥の方でピシリと音がした。一瞬で何かが凍りついたような不穏な音だ。ヒューという寒々しい風も聞こえる。
『……すぐ行く』
『あ、あの、来ていただかなくても火理王さまに連絡を取っていただければ……っ!』
間に合わなかった。
ザッと短い波音と共にベルさまが来てしまった。
『……お待たせ』
全く待っていない。
鉄格子がカタカタと鳴っている。まるで震えているみたいだ。壁までピシピシ言い始めた。
これはまずい。氷の鍵が云々ときうレベルではなく、壊れる。
『べ、ベルさま! どうかお静まりください!』
「雫、落ち着いて。直接話してごらん」
静まるのは僕の方だった。
ベルさまが目の前にいるのに脳内で話しかけてしまった。
それでも僕の言いたいことが分かったらしく、理力を大幅に抑えてくれた。ほんのり暖かくなった気がする。
「それで、何で投獄されてるの?」
「実は太子の偽物と思われてしまいまして」
ベルさまの眉が跳ねる。
「徽章を携帯してないの?」
「いえ、持ってます。でも徽章も偽物って言われて」
「へぇ……造った金理への侮辱だね」
怒ってる怒ってる。まずいぞ。口元は笑みの形の時は心底怒っているときだ。
「面目ないです」
「雫のせいじゃな……いや、雫のせいか」
そう、僕が不甲斐ないせいだ。でも改めて言われるとショックが大きい。
「雫は急激に強くなった。なり過ぎた。初代理王がかけた制限も破るほど強い。そんな雫に恐れを抱かないわけがない」
「僕、火精から怖く見えますか?」
「見えるんじゃないか? 昔の雫は火に弱かったけど、今は……ね」
ベルさまが懐かしいものを見るような目で鉄格子の向こうを見つめた。そこには通路と壁があるだけだ。
ベルさまは今、何を思ってるのだろう。ベルさまの感情は読み取れても、考えていることまでは分からない。
「良く考えたら、水理王と水太子が揃って火の牢に入ってるなんて面白いよね」
「面白くありません!」
ベルさまは怒りを保ちつつ、この状況を楽しみ始めていた。
「……一番穏便に出られる方法は何ですか?」
「この状況が穏便でない以上、そんな方法はないね」
僕の希望はあっさり崩れた。だったらベルさまを巻き込まなければ良かった。
「とりあえず誰か呼んでみたら?」
「……誰かいませんか?」
返事は返ってこない。僕を牢に入れてすぐにいなくなってしまったから。
「見張りすらいないんです」
「人手不足だね。じゃあ、諦めて脱獄してみたら?」
私がやろうか、というベルさまを止める。やっぱりそれが良い。牢を壊したくないし、焱さんに事情を話すのが一番だ。可哀想だけど、さっきの火精にはお叱りを受けてもらおう。
「直接、焱さんのところに行きます」
「じゃあ、私はここで待ってるよ」
「分かりま……えぇ!?」
自分の声がゴンゴンと響く。ベルさまはひとしきり笑ったあと、冗談だと言って、水の王館へ帰っていった。
とても疲れた。
でもベルさまと二人で牢に入るなんて、少し冒険した気分だ。楽しかったのも気のせいではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます