324話 火の王館で

「ブハハハハッそれで、水理皇上は何しに来たんだよ」

「……僕のこと心配して来てくれたんだよ」

 

 焱さんの執務室へ無事到着して、事の次第を話すと大笑いされた。

 

 これには焱さん相手でも、ちょっと頭に来た。僕がどれだけ悩んだか、教えてあげたいくらいだ。

 

「焱さん、言っとくけど元はと言えば……」

「分かってる。悪かったな」

 

 両手を上げて素直に謝罪されてしまい、ぐっと言葉に詰まる。こういう率直なところが焱さんだ。

 

 悪く言えば、熱しやすく冷めやすい。良く言えば気持ちの切り替えが早い。

 

「ただ、申し訳ないんだけどよ。火理王おかみには黙っててもらえねぇ?」

「……焱さんがそう言うなら構わないけど」

 

 別に警備兵が叱られるのを見たいわけではない。

 

 焱さんは普段、火精みうちに厳しい。そして自分で言うのも変だけど、僕には甘い。その焱さんがそう言うのだから事情があるのだろう。

 

「皆、臨時に召集された奴ばっかだからよ。雫の顔も徽章の型も教えてねぇんだ。責任は俺にある。ホントに悪かった」

 

 焱さんはそう言って本気で頭を下げてきた。

 

「ちょちょちょ焱さん、やめて!」


 焱さんの肩を掴んで頭を戻させる。ここは焱さんの執務室だ。焱さんの侍従が待機している。侍従らしく、常に焱さんを意識しているだけかもしれないけど、僕としてはジトッと見られている気がする。

 

 『火精うちの太子に何させるんだ』と言われているようで、居心地が悪い。僕が悪いみたいだ。

 

「必ず埋め合わせはするからな」

「良いって別に」

 

 もうこの話は終わりだと顔を前で手を振った。

 

 焱さんがほっとした顔をしたとき、廊下からドタドタと二、三人の激しい足音が聞こえてきた。


「失礼します、焱さま!! 大変です! 囚人に逃げられました!」

「急に姿をくらますなど、免の手下に違いありません! 即刻、閉門を!」

 

 聞き覚えのある声だ。僕は彼らに背を向けて座っているので、顔は分からない。ノックもせずに太子の部屋に入って良いのか。

 

 焱さんの表情から、駄目だということはすぐに分かった。焱さんは一瞬彼らを睨み付け、壁に張り付いていた火精に視線を送った。

 

 焱さんの視線を受けて、気配を消していた侍従が動いた。

 

「……ここは太子の執務室だ。入室の許可を取ってから入るように」

 

 焱さんの侍従は、飛び込んできた火精と僕たちの間に入ったようだ。ここまでの進路を妨げているらしい。


「うるさい! どけよ、たかが侍従のクセに!」

「戦えねぇくせに、偉そうに指図すんじゃねぇ!」

 

 何だか、荒れている。

 

 焱さんは前髪をワシワシと掻いていて、イライラしている。

 

ゆう、少し教育しろ」

「かしこまりました」

 

 侍従が丁重に返事をした直後、ゴキッ、ドンッ、ビリッ、バキッ、パァンッ、ドカッという暴力的な音と振動が伝わってきた。

 

 僕の視界に入らないところだけど、何が行われているか分かってしまう。

 

 随分、手荒な教育の仕方だ。


「悪いな、うるさくてよ。ゆう、もう少し静かにやれ」

「かしこまりました、焱さま。失礼致しました、淼さま」

「いぃいいいいいえ、僕にお構い無く」

 

 自分の声が震えている。焱さんに笑われてしまった。

 

 堅苦しい謝罪のあと、物音が一切しなくなった。思わず火精の安否を気にしてしまう。

 

 でも舐めてかかった方が悪い。『たかが侍従』と言ったけど、着ている物を見れば、ただの侍従ではなく、侍従長だと分かる。

 

 僕も侍従長だったからよく分かる。僕の場合、他に誰もいなかったから、侍従長だったけど火精は違う。焱さんだけで三人の侍従がいると言っていた。

 

 その三人の中に侍従長が入るかどうかは分からないけど、候補が多ければ優れた者が選ばれるのは当然だ。

 

 昨日今日入ったばかりの新人に、どうこうできる存在ではない。

 

「臨時に召集された奴らは、とりあえず王館の境界に配属してあるんだ。普通は問題が起きにくいからな」


 静かになったのを確認して、焱さんが説明してくれた。


 僕が金の王館に初めて行った時、金精を殴り飛ばしたのは、きっと普通ではない。

 

「いきなり門の警備とか上空警戒とかに回せないからよ」

「じゃあ、他の王館の境界も皆、新人さんが就いてるってこと?」

 

 それはそれでどうなんだろう。境界を狙われたら危ない。


「そうだ。だが、あと五日で多少使えるように調整する予定だ」

「あと五日で何とかなるの?」

 

 僕と比べるのも失礼な話かもしれないけど、僕は理術が一通りこなせるようになるだけで、何ヵ月もかかった。

 

 尤も、理術に関しては皆高位精霊だろうから、大丈夫だとして、問題は王館の内部構造だ。かなり広くて複雑な造りの王館を一から覚えるとなると大変だ。

 

「まぁやることは多いけどよ。火理王おかみ教育しごきが入るから半端ねぇぞ」


 火理王さま直々の教育……。

 ちょっと怖い気もしてきた。

 

 侍従長からの教育でさえ、あんな感じなのに理王直々となったらどうなるのだろう。命は助かるだろうか。

 

「一度、侵入されてるからな。警備は厳重にしておきたい」

 

 そういえば焱さんも寝所に入ってきた奴がいた。土の王館で免と戦闘になったことが目立ちすぎて、ついつい忘れがちだ。

 

 『免が土の高位に化けて侵入』と『配下が火太子の寝所に侵入』……どちらも危機感をもって当たり前だ。

 

 焱さんの話に目処がたったところで席を立った。

 

「僕そろそろ火理王さまのところに行ってくるよ」

「あぁ、俺も行ってやるよ。また牢にご案内じゃ申し訳ねぇ」

 

 焱さんはそう言うと、作業の手を止めて茶器の中身を一気に飲み干した。

 

 そう言えばお茶を出されていたのを、すっかり忘れていた。さっきの侍従長が用意してくれたものだ。折角だから僕も一口頂いた。

 

「焱さんのやることは終わったの?」

「ま、俺が考えるのは人員配置だけだからな。いざとなったら俺が先頭に立つだけだ」


 それはそうだ。

 王太子たるもの、精霊を守るために率先して戦わなければならない。臨時に招集したからと言って、任せきりというわけにもいかない。

 

 焱さんに送ってもらい、火理王さまの執務室へ着いた。警備兵は焱さんを見ると、すぐに取り次いでくれた。焱さんに来てもらって良かったかもしれない。

 

「焱、案内ご苦労。淼、自ら何事かあったか?」


 魄失の小瓶を出そうとして、ふと思い出した。ここ数日で各理王に会ってきたけど、ちゃんと挨拶をしていない。

 

 いつか土の王館で侍従長に注意されたのを、このタイミングで思い出した。思い出してしまったからには、せめて火理王さまだけでもちゃんとしなければ。

 

 焱さんの面子にも関わる。片膝をついて挨拶をしようとした。

 

「火理王さまにおかれましてはご機嫌……」

「今更、堅苦しいことは不要である。火鼠の衣まで貸した仲ではないか」

 

 中途半端に屈んだ姿勢で顔を上げる。

 

 机の端で、火理王さまの青い髪が揺れているのが見えた。

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