閑話 塩湖 潟~雫との出会い②

 父も母もいない屋敷は、広いのに窮屈だった。使用人も忙しくて私に構う暇などない。父に認めてもらいたくて熱心に取り組んだ課題も、もう届かなくなった。自然と足が外へと向いた。

 

 屋敷は父の海と私の塩湖のちょうど中間にある。どうせ出掛けるなら広い方がいい。

 

 独りで海へ入るなど数十年ぶりだ。何をするでもない。ただブラブラと一日を潰すだけだ。

 

 外へ出ると早速精霊が絡んできた。王館に口をきいて欲しいとか、領域を広げて欲しいとか、私に言うのはお門違いだ。

 

 今まで無視していたクセに、父が理王になったというだけでこれだ。対抗手段として、無視を決め込んでいたら態度を急変させた。胸ぐらを掴まれたので振り払ったら、今度は狭い溝川どぶがわに連れていかれた。

 

 何人もの精霊に囲まれたので、こちらもそれなりの報復をした。

 

 私としては軽く抵抗したつもりだったが、ここで長年の父の教育の成果が発揮されてしまった。気づけば全員立っていなかった。それどころか起き上がれないほどの重傷を負わせていた。

 

 その時、倒してしまった輩は二度と絡んでくることはなかった。その結果、一度、潰しておけば絡んでこないということを学んだ。それから突っ掛かってくる者は容赦なく捻り潰した。

 

 遠巻きに見ている分には構わない。相手にしなくて楽だ。

 

 絡まれなくなった分、好意を示す者も出て来た。男性だったり、女性だったり、性別未決の熱帯魚だったり、両性具有の蚯蚓ミミズだったり、様々な精霊が寄ってきた。

 

 放っておいて欲しいと思うときもあったが、所詮暇潰しだ。一夜限りの付き合いがほとんどだった。

 

 しかし、蚯蚓ミミズの相手は楽しかった。全身をくねらせて反応を示すものだから、つい本気で遊んでしまったこともある。おかげで蚯蚓のツボを押さえるという特技を身に付けてしまった。今後、役に立つとは思えなかった。

 

 二、三回会った精霊もいた気がするが、いちいち顔など覚えていない。

 

 長い夜が潰せれば相手は誰でも良い。そうやって何年も家に帰らず過ごしていた。

 

 そんなある夜、うつぼに襲われた。うっかり巣穴に踏み込んでしまったらしい。元来獰猛な鱓だ。当然怒り狂っていた。そのため少しばかり抵抗されたが手込めにした。

 

 意外に相性が良かった。ご満悦の鱓を体に巻き付けたまま、朝日が差し込む水面をウロウロしていたら、今度は水棲馬ケルピーに絡まれた。

 

 水辺に棲む馬群が、浅いとはいえ、海に入ってくるのは不思議だ。馬群に囲まれ、面倒だと思っていたら、先頭にいた馬が人型になって近づいてきた。


「おい、お前…………っぶフぉっ!」


 話し方が気に食わなかったので、取り敢えず殴っておいた。

 

 人型の水棲馬は他の馬仲間たちに支えられ、勢いよく起き上がった。鼻から血を流している。


「ってめぇ! ……ぐわっはぁ!」

 

 今度は殴るついでに鼻に塩を詰めた。傷口にも入ったようで、鼻を押さえてのたうち回っている。

 

 他の馬はオロオロしているだけで、襲ってこない。心配をしている風だが介抱もしない。人型になれないのかどうかは知ったことではない。


 今の騒動でうつぼが逃げてしまった。残念。もう一晩泊めてもらおうと思っていたのに。 

 

「いってーぇ! しみる!」


 塩を塗り込む必要はなかったかもしれない。海中で怪我をすれば傷口にしみるのは当然だ。

 

 ゴロゴロと転がりその辺の海草を巻き込んでいる。小魚たちから迷惑そうな視線を向けられた。

 

 何故か私が悪いような目を向けられている。無視しても良かったが、数多い小魚の視線が思いの外、鬱陶しい。

 

「チッ!」

 

 今回だけだと自分でもよく分からない言い訳をして、人型を陸に引き上げた。当然のように他の水棲馬たちも付いてきたので、この間抜けが頭で間違いないだろう。

 

 大気中の水分を集めて、真水の水球を作る。それで軽く鼻を洗ってやる。

 

 何故、こんなことをしているのか自分でも分からない。

 

「あぁ……あー、助がっだー……」

「何か用か?」

 

 また面倒なことになるのは御免だ。

 

「あのさ、他に言うことねぇ?」

「喧嘩か? それとも夜這いか?」


 そう聞くと、人型の男は顔のパーツが崩れそうなほど驚いていた。

 

「いや、夜這いて……」

 

 なるほど。朝早くに夜這いは出来ないと言いたいわけか。

 

「問題あるか? 今から始めれば夜になる。しかし、悪いが貴様の相手は御免だな」

 

 顔も体も好みではない。体の筋が固そうだ。抱き心地が悪いに違いない。

 

「違ぇよ! だ……誰がお前の……ブッはっ!」


 何だか分からないが、腹が立ったので腹に一撃をお見舞いした。勢い余って砂浜を抉り、無様に体がめり込んでいる。

  

「私はせき。『お前』じゃない」

「……ふブッぐヴェ」

 

 何を言っているのか分からないので、砂から引きずり上げた。

 

 相変わらず他の馬たちは遠巻きに見ているだけだ。頭として信用されていないのか。それとも、これくらいではヤられないと踏んでいるのか。

 

「ぶっは……何すんだ、ゴるぁ!」

「は?」

 

 窒息の危機から救ってやったのに、この口の聞き方は何なのかと思う。礼儀作法の教育を受けていないのかもしれない。私が仕付けてやろうか。

 

「あぁあいや、あの、あのっすね! あ、貴方様が、うぅうつぼの姐さん、追い払ってくれたんよね?」

「いや? 一夜を共にして頂いただけだ」

 

 何ならもう一晩相手をして欲しかった。それなのに、こいつらのせいでいなくなってしまった。恨みがましい目を向けてみたが、勝手に手を握ってきた。

 

「ありがとうございやっしたっ!」

「は?」

 

 ゴツゴツした手は流石に馬らしく、中指が異常に発達していた。ペンを持つのは難しいかもしれない。

 

「俺たち、あのうつぼに脅されてたんす!」

「脅された?」

 

 素敵な女性だった。ちょっと……いや、かなり凶暴ではあったが、分かり合えればそんな些細なことは気にならない。

 

 凶暴は凶暴だが誰かを脅すようには思えなかった。

 

「俺たちがしたイタズラを根に持ってて……それで毎日、真珠ひと粒ずつ届けないと……」

「待て、イタズラと言ったか?」

 

 この先の話に付き合う気が失せた。やはり元凶はこいつのようだ。彼女ではない。

 

「そっす。姐さんの巣穴にたこの玩具投げ入れたんすよ」

 

 好物がやって来たと思ったら玩具だったというわけか。こいつらはその様子を楽しんで見ていたのだろうが、鱓の側からすると腹立たしいことこの上ない話だ。

 

 生死が掛かっている食事を、気まぐれのイタズラでおびやかされたのでは怒って当然だ。


「お前が悪い」

「あ、俺、かちわたって言いやす! この馬群の若頭っす!」

 

 そんなことは聞いていないが、聞く耳を持っていなさそうだ。

 

 ここ何年も感じていなかった疲れを感じて、家のベッドで休みたいと思ってしまった。

 

「あ、潟の兄貴! どこ行くんすか?」

「帰る」

 

 早くひとりになりたかった。こんなに賑やかに騒がれたのは久しぶりだ。送るという馮を無視しても勝手に付いてきた。

 

 数年ぶりに屋敷に戻ると、少し印象が変わっていた。門はこんなに低かっただろうか。父付きの精霊が何度も目をこすって私の姿を確かめている。こんなに小さかっただろうか。

 

「坊ちゃまぁあ! 今までいったいどちらに!」

「その辺をブラブラと。ただいま帰りました」

 

 使用人には敬意を持って接するべし、と父から煩く言われていたので、その癖が抜けない。

 

 私が坊っちゃまと言われた瞬間、馮が吹き出していたので、屋敷の外へ突き飛ばしておいた。大体、どうして家の中まで入ってきているのか。

 

「坊っちゃま、取り急ぎ王館へお向かいください。何年も前からずっと登城命令が届いております」

「登城命令? ……まさか」

 

 何年も何年も暇をもて余していた私にとっては最上の吉報だ。

 

 父の下で腕を奮う時が来た。父に教えてもらったこと、自分で学んだこと、その全てを父の元で発揮できる。

 

 使用人が預かったという任命書を紐解く。父から認めてもらったという気持ちは、そこで一気に冷めてしまった。

 

「坊っちゃま、おめでとうございます。水太子の侍従武官にご就任だそうでございます」


 祝辞を伸べられている気がするが、返事は出来なかった。

 

 何度見ても水太子付。

 理王ちち付きではなかった。

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