305話 宣戦布告
「宣戦……布告?」
王館に宣戦布告なんてバカな話聞いたことがない。頭にじわじわと血が昇っていく。
「はい。足りない理力を王館の人員で補填させていただきましょう。王館には高位精霊が集まっていますからね。理力を集めやすい」
「ふ、ふざけるな!」
頭が熱い。自分から蒸気が上がったのが分かった。辺りが一瞬曇って、すぐに霧散していく。
「ふざけてなどいません。理力補填のため、王館に宣戦布告致します。十日後に王館に総攻撃を仕掛けます」
口は開いたり閉じたりをしているのに、言葉が出てこない。何と返せばいいのか全く分からなかった。
怒りで頭は茹で上がりそうなのに、指先は異常に冷たかった。
「雫が悪いのですよ?私のことを地獄へ案内しておけば、こんなに多くの人間を引きずり込まずに済んだのですから」
「なん……」
喉が乾いて仕方がない。自分の中の水分が全て蒸発したようにカラカラだ。
「聞きたいのは、『魂や理力を集めて何に使うのか』ですか?」
「そうだ」
恐らく他にも聞くべき事はあると思う。でも宣戦布告のことで頭がいっぱいだ。少し氷水に浸かりたい気分だ。
「以前も申し上げた通り、私は愛する者を取り戻したい。そのために
「ときを戻す……だと?」
まともに話せていない自覚はある。免の言葉に短く答えるか、
免は余裕たっぷりのいつもの様子に戻っている。……いや、違う。免に余裕があるのではなくて、僕がいっぱいいっぱいだから、そう感じるだけだ。
「魂も理力も……すべては時を戻すために。
「そ、そんなことが許されると思っているのか!?」
反論とは言えない反論しか返すことができない。冷静になれない自分にイライラする。
「許し? 誰に許しを乞うのです。私はこの世界では誰にも……何にも属しておりません」
免はそういうと外したままだった帽子を被り直した。襟を糺したり、袖を直したり、いちいち動きがわざとらしい。
「そろそろ魄失の群れが私の
「待て。もうひとつだけ答えろ。お前は人間をどうやって引き入れた?」
どうせ答えないだろうと思っていた。引き留めたところで無駄だ。免はずれてもいない帽子を直して、少し時間を作った。
「答える気はありません。お仲間が元気になったようですよ?」
免の視線が僕の後ろに向いている。振り向かなくても分かる。潟がこちらに向かっている。
「先々代のご子息は乱暴者ですから、お悔やみを申し上げたところで、襲われそうです。今、ここで私が傷つくわけにはいきません」
免の足がズブズブと沈み始めた。いつもの退散の仕方だ。潟も間に合わないだろう。
「私を止めないのですか?」
「止めてほしいのか? 十日後に来るんだろ?」
僕がそう言って免を追わないでいると、免の唇が少し開いた。そんなに驚いたことを言ったのだろうか。
「私を止めることなど出来ません。もうすぐ……もうすぐ
免は自分に酔ったように顔を撫でた。今の免からは狂気しか感じない。目的のためには手段を選ばないという典型的な狂人だ。
「雫さま!」
潟が僕の元へ来る頃には、免は頭まで沈んでいた。攻撃しようとする潟を制して宥める。
「潟、攻撃したら搀や挽も反撃してくる。僕たち二人じゃ勝てないよ」
「しかし、みすみす……」
すでに免の姿はなく、そこにいた形跡すらない。いつものことだ。
「宣戦布告してきた。十日後に王館に来るらしい。今、追わなくてもすぐ会うことになるよ」
「……はい?」
聞き返す潟の気持ちは良く理解できた。王館に宣戦布告など恐ろしい。そんなことを考える精霊が今までにいただろうか。
「まさか……そんな……ご冗談を」
ひと房垂れた潟の前髪が、いつもよりも少し長く感じた。それだけで潟が疲れているように見える。
今、潟に伝えるべきではなかったかもしれない。
「ごめん、潟。先生を失ったばかりで……こんなこと聞かされて嫌だよね」
「いえ、滅相もない。しかし、本当に免が宣戦布告してきたのですか?」
「僕も信じられないよ。……でも免は必ず来る」
免自身が来るか、配下が来るか。
総攻撃と言っていたから全員で来るかもしれない。しかも菳から王館の情報を引き抜いている。菳が持っている王館の情報は、向こうも全て把握していると思った方が良い。
逆に僕たちは、曖昧な敵の数しか分からない。免と
以前、免ひとりに太子三人でも逃げられている。正直、勝てる自信がない。
「勝てるかな……」
「どうなさいました、急に」
今までは免が退く形で難を逃れてきた。今度は違う。
不安を脱ぎ払うように視線を上げると、王館の一部が見えた。竜宮はいつもなら王館の真上に停泊するけれど、この位置だとそれは出来なさそうだ。思ったよりも低い位置を飛行している。
恐らく損傷が大きすぎて高度を保てないのだろう。隼さんの様子が気になったので、菳と合わせて回収に向かう。
「本当に王館で戦いになるとすれば、勝たなければ理にかないません。各太子だけではなく、理王も戦闘に加わることになります」
理王も……か。
理王は強い。それは疑いようがない。
太子を経験している理王方は、当然ながら何らかの戦闘を経験しているはずだ。しかも流没闘争を経験した方々がほとんどだ。僕なんかよりも皆、強いに決まっている。
恐らく僕は理王や太子の中では最弱だ。もしかしたら他の侍従や側近よりも弱いかもしれない。
でも……ベルさまを戦わせるのは嫌だ。
ベルさまが強いのは分かっているけど、強いから戦ってほしいとは思わない。
「御上を戦いに巻き込みたくないなぁ」
七竈の根本から枕を拾い上げる。菳は仰向けになって寝ていた。兔らしからぬ格好だ。
『王館に接近中。上空での停泊は不可能です。着地点を決定してください』
王館は近い。ベルさまに会える。
「水の王館の演習場に止めてください」
『了。水の王館、演習場へ着陸します』
ベルさまに会ったら、伝えることがたくさんある。
免のこと。雨伯のこと。菳のこと。恒山のこと。そして先生のこと。
何から話そうか、今の内に頭を整理しておかないと、支離滅裂になりそうだ。
「雫さまは、本当に御上のことを愛していらっしゃいますね」
「うん」
即答した。否定する理由がない。
潟の顔は穏やかなのに寂しそうだった。
竜宮が降下を始めたことで風向きが変わった。潟の前髪が揺れている。
「先生だって潟のこと愛してたでしょ?」
「…………そうですね」
潟は
日差しに目を細めた顔が、先生に似ていると言ったら、潟は怒るだろうか。
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