295話 竜宮城の地図

 竜宮城は王館から離れるように動き続けている。王館はもう目視では確認できない。感覚でおおよその方向は分かるけど距離が掴めなくなっていた。

 

 城下の景色を確認すればある程度の場所は把握できる。でも、恒山は行ったことのない場所だ。何のイメージもできない以上、水流で移動はできない。

 

 空を通って雲で行くか、地道に歩いていくか……しかない。現在地を正確に知りたい。


「雫さま! 現在地が分かりました」

「潟さん、地図が見つかったの?」

 

 城内で地図を探していた潟さんが戻ってきた。大きな板を抱えている。

 

「勝手ながら雨伯の私室と思われる部屋に侵入致しました。……罰は受けます」

「いや、罰は僕が受けるよ。それで地図はあった?」

 

 養父上は怒らないと思うけど、怒らないから良いということでもない。養父上に会えたらきっちりお叱りを受けよう。

 

「はい。壁に貼ってありましたものを剥がして参りました」

「……壁ごと?」

 

 地図と言う割には大きな物を抱えているとは思ったけど、僕の前に置かれた地図は木の板が付いていた。

 

「壁から剥がれなかったので、壁紙ごと剥がそうしたところ、何故か壁ごと取れまして」

 

 ……どんなお叱りでも受けよう。

 

 茶器を避けたテーブルの上に潟さんがドンッと板を置いた。

 

 紙の地図……だと思ったけどそうではなさそうだ。黒っぽい鏡のような板に地図が描かれていた。地図に重なるように僕の顔が映っている。

 

 中央にある大きな建物が王館で間違いない。そのやや南。赤い丸が点滅しながら移動している。これが竜宮城だろう。

 

 思ったよりも竜宮城の移動が速い。強い風が吹いているわけでもないのに、どうやって動いているのか。

 

 王館から見て南下を続けている……ということは北に位置する恒山からはどんどん離れている。

 

「恒山はこの辺りだよね」

 

 この地図には文字が一切書かれていない。描かれてた地形と記憶を頼りに、王館北の山を指差す。

 

 つっ……と。

 ほんの一瞬、指先が地図に触れた。

 

 その瞬間、地図から熊蜂の羽音のような低音が鳴り始めた。黒い地図が一気に白く変わった。飛び退いて地図から距離を取る。

 

「な、何?」

『起動中。しばらくお待ち下さい』

 

 今度は女性の声がした。この地図に誰か入っているのか?

 

 恐る恐る近づく。潟さんは近づきながら剣の柄に手を触れている。

 

『未承認の指紋を確認しました。お名前をどうぞ』

「あ、僕、雫です」


 思わず返答してしまった。真名を答えるのは良くなかったかもしれない。

 

『シズク…………検索中。しずく……照合。雨の一族と確認しました。前回の更新から二百年経過……情報を更新します』

「えーっと……」 

 

 多分この女性が言っているのは雨垂れのしずくのことだ。精霊ひと違いなのだけど、指摘して良いものかどうか。

 

『並びに……当主・はれるの不在を確認。よって当主代行・霆に指揮権を委譲します』

 

 いかずち……雷伯のことだ。でも雷伯もここにはいない。僕や潟さんが何かを言う前に女性はどんどん話を続ける。

 

『霆の不在を確認。よって当主補佐・ひさめに指揮権が委譲します』

 

 霈の義姉上がここにいるわけない。まだ地獄タルタロスで療養中だ。……というか義姉上は当主補佐だったのか。

 

『霈の不在を確認。よって同・げつに指揮権を委譲します』

 

 霓さんもいない。分かっていることを改めて言われると悲しくなってくる。

 

『霓の不在を確認。よって同・はくに指揮権を委譲します』

 

 女性の声が知っている名前を次々とあげていく。雷伯、霓さん、霸さん、ほうさん、みぞれさん、あまごさん……。

 

 一回だけとは言え、食卓を囲んだ精霊たちだ。


ながめの不在を確認。よってしずくに指揮権を委譲します。……しずくの存在を確認。暫定当主代理と認定します』

「え?」

 

 当主代理……暫定?

 雨伯の代わりってこと?

 

 それよりこの女性は誰だろう。雨伯一族に詳しいところを見ると、もしかして隠れていた精霊か。

 

「まだ城内に精霊が残ってたんだね」


 潟さんの顔を見た。潟さんは返事をしない。眉間にシワを寄せて地図を睨んでいる。敵かどうか見極めているときの顔だ。

 

 確かにこの女性が生存者とは限らない。挽と搀の仕掛けた罠かもしれない。油断は禁物だ。

 

『雫の操作を許可します。目的地をどうぞ』

 

 操作を許可すると言われても困る。

 

 こちらの困惑を他所よそに、一方的に話が進んでしまう。どう対処して良いか分からない。 

 

「えーっと、失礼ですが貴女は誰ですか?」

 

 敵だとしても襲ってくる気配はなさそうだ。今後のことを考えてなるべく丁寧に対応する。竜宮城の使用人かもしれないし、もしかしたら一族の誰かかもしれない。

 

 僕はさっき名乗ったし、僕のことを知っているみたいだから自己紹介はいらないだろう。

 

『アナタハダレデスカ…………認識。私はMシリーズAP型、製造番号三三九〇六、バージョンⅣです」

「い、良いお名前ですね」

 

 随分長い真名だ。雨伯一族の名前ではなさそうだけど、ちゃんと名乗ってくれたから良しとしよう。でも残念ながら半分以上聞き取れなかった。それは秘密だ。

 

「えーっと、エムシリさん? で良いかな? 出て来てくれませんか?」


 顔を見て話がしたい。詳しく話を聞きたい。

 

『目的地をどうぞ』

「雫さまが出てくるよう仰せです。出てきなさい」

 

 潟さんがイライラしたように話しかけた。なるべく穏便に進めたいのに……まだ剣を抜いていないだけマシか。

 

 返事の代わりにキーンと音がした。耳鳴りみたいでちょっと不快だ。

 

『オオセデス……検索中。大背……照合。仲位の金精・わけるの領域です』

 

 誰それ。

 

『竜宮城の移動を開始しますか?」

「……いや、開始しません」 

「了。移動を取り消しました。目的地をどうぞ」

 

 どうやらこの女性は竜宮城を動かす力があるらしい。


 危うく領域を侵すところだった。女性と話が噛み合わない。僕たちの言葉の一部しか聞き取れていないみたいだ。

 

「雫さま、いかが致しましょう。地図をこじ開けますか?」

「いや、それは失礼だよ。敵でなければ」

 

 ただでさえ雨伯の部屋から引き剥がしてきたのだから、これ以上の無体は良くない。潟さんはそのことをすっかり忘れているらしい。 

 

『シツレイダヨ……検索中。該当する地名及び精霊名が存在しません』

 

 それはそうだろう。

 

 会話に参加する気はあるみたいだから質問の仕方に気を付ければ、情報を得られるかもしれない。


「貴女は地図の精霊ですか?」

「雫さま、そんな精霊がいるのですか?」

『地図の精霊…………検索中。該当する地名及び精霊名が存在しません』 

 

 ここまで話をしても出て来てはくれない。姿を見せてくれない上、少しぶっきらぼうな話し方だ。きっと相当な恥ずかしがり屋さんか、とてもマイペースな精霊なのだろう。

 

「何の精霊かは分からないけど、敵ではなさそうだよ」

 

 潟さんの手を剣から外させた。

 潟さんはしぶしぶといった感じで手を下ろす。

 

「恒山へ行くのに、この女性をひとりにしておけないよね」

『コウザン……検索中。恒山……照合。立入禁止エリアです。移動を開始しますか?』

 

 何だって?

 

「恒山へも行けるの?」

「雫さま……」

 

 潟さんは複雑そうな顔をしている。僕も不安はある。会ったばかりで顔も分からない精霊を頼って良いのか。

 

「ちなみに泰山は?」

『泰山……照合。立入禁止エリアです。移動を開始しますか?』

 

 行けるのか。……それならこの女性にお願いするのが最短だ。

 

「恒山へ行きたい……んだけど、お願いできる?」

『了。目的地・恒山。ナビゲーションシステム起動。移動を開始します』

 

 一瞬、体がガクンと揺れる。竜宮城の動く向きが変わった。

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