293話 理の制約

「雫さま、このままここにいても仕方ありません。一旦、竜宮城を離れましょう」

 

 潟さんが僕の腕を掴んで立たせた。少し強く掴まれた痛みで冷静になれた。

 

 潟さんの言う通りだ。

 

 ここでこうしていても菳は戻って来ない。養父上に会えるわけでもない。

 

 養父上ちちうえから人間の情報を聞き出そうとしてここまで来たのに、肝心の養父上がいなければ話にならない。

 

「ごめん、潟さん。潟さんだって怪我してるのに」

「いいえ、お気遣いありがとうございます。これしき何ともありません」

 

 そうは言っても何となく左足に体重をかけないようにしている。

 

 搀の相手をしてドリルで出来た傷はそのままだ。僕はある程度治せたけど、潟さんはまだ左足に痛々しい傷を残していた。

 

 服の穴と同じ大きさで足に穴が開いていて……生々しくて見ていられない。

 

「潟さん、自分で治せる?」

 

 戦闘中は必死だったから、潟さんに聞きもせず僕の水球を飲ませてしまった。

 

 もしかしたら要らなかったかもしれないと思って、確認すると潟さんは首を横に振った。


「本体が塩水ですので自分の理力を使うと、かえって治りが遅くなるのです。ですが大丈夫です。ご迷惑はお掛けしません」 


 確かに塩水を塗り込んだら悪化しそう。

 

 水球を薦めても遠慮されそうだから、勝手に水球を潟さんに足に乗せた。またしても傷の持ち主に許可を取らず、傷口に水球を押し込んだ。


 穴の周りに広がった血の染みは消えていないけど、傷は多少良くなるだろう。

 

 潟さんのお礼の言葉を聞きながら辺りを見渡す。木は何本も折れ、一見無事な木も枝が折れている。

 

 石像は元の形が分からないほど細かくなっている。潟さんが搀に蹴り飛ばされたときにぶつかったせいだ。背中からぶつかっていった。

 

「潟さん、背中は大丈夫?」

「は? 背中?」

 

 背中も痛めているならまとめて治してしまおうと思ったけど、潟さんはキョトンとしている。

 

 背中から石像にぶつかったことは忘れているようだ。

 

「大事ございませんが…………あぁ! 背負って欲しいのですか? どこかお怪我でも? いえ、私は嬉しいと言いますか光栄と言いますか」

「いや、そうじゃなくて」

 

 大丈夫そうだ。いつもの潟さんだ。

 

 止まっていた噴水が、突然水を吹き始めた。竜宮城に到着したときはまだ水が上がっていたから、戦闘中の過重力で止まっていたのだろう。

 

 通常の重力に戻って息を吹きかえしたように見える。……と言っても土台から傾いていて、中盤は半分ほどかけている。


「……負けたんだね、僕」

 

 噴き出した水の音が今は虚しい。潟さんは何も言わずに僕の言葉を待っている。今まで免の関係者はうまく処理してきたと思う。

 

 暮さんは別として……。それに逸も追い払っただけだけど、他は皆倒してきた。

 

 メルベンも……それに兄上だって。

 

「格が違った……今までの敵と全然」


 言い訳をしているみたいで恥ずかしくなってきた。

 

 でも二人とも戦い方が全然違った。理術を全く使ってこない上、接近戦でも身体戦ではなく、道具を使っていた。

 

 それは近距離でも道具を使うことはある。ひさめの義姉上のように手に武器を装着することもあれば、普通に剣で戦うこともある。

 

 でもそれは自分の体の動きに伴った攻撃だ。挽は動きこそ素早かったけど、攻撃自体は筒だけだった。搀に至っては重力装着を使って色々と仕掛けてきた。

 

 道具による攻撃や補助がほとんどで、理術の出番が全くない。そもそも理力をほとんど感じなかった。

 

「仰りたいことは分かります。あの二人からは理力をほとんど感じ取れませんでした」


 やっぱり潟さんも感じていたらしい。たまに感じ取れた金の理力は、挽の筒から放たれた玉からだった。

 

 まるで理力がないみたいだったけど、そんな精霊はいない。僕が『一滴の雫』だった時でさえ、僅かとはいえ理力はあった。

 

「魄失でももう少し理力はあるでしょう。まるで魂が入っていないようでした。およそ精霊とは思えません」

「精霊ではない……とすると人間……とか?」

 

 牢の魄失を思い出した。ベルさまでさえ、近づいても性質が分からなかった存在だ。

 

「まさか……いや、しかし」

 

 潟さんにも人間の魄失を見てもらった方が良いかもしれない。

 

「いずれにしても……王館へ戻ろう」 

 

 菳のことを木理王さまに報告しないといけないし、ベルさまには雨伯の件について相談する必要がある。

 

 菳……僕が佐に選ばなければこんなことにはならなったのに。彼の人生を大いに狂わせたに違いない。

 

「あ」

「どうなさいました」

 

 菳は僕の佐だ。

 

 佐を同行させないと太子は王館の外へ出られない。

 

「……潟さん、やっばりひとりで王館に戻ってくれる?」

「と言いますと? ……帰館前に城内を捜索なさるのでしたら私もお手伝い致します」

 

 確かに。

 

 勝手に誰もいないと思っていたけど、もしかしたら隠れている精霊がいるかもしれない。


「いや、そうじゃないんだ。僕……しばらく王館には戻らないよ。このまま菳を探しに行く」

「どういうことですか?」

 

 佐がいないと僕は王館から出られなくなってしまう。

 

 そうすると菳を取り戻しに行くこともままならない。

 

 それに……水精に問題が起きても視察にすら行けない。免やその配下が水精を襲っても助けに行けない。そして、先生を迎えに行けない。

 

 僕がそう伝えると潟さんは神妙な面持ちで、しばらく黙っていた。

 

「確かに……今、戻ればそうなりますね。ですが帰館なさらなければ『佐を伴って王館から出た』ままですから、何と言うか……グレーゾーンと言いますか……」

 

 昔から……王館に入ったときから僕はそんなことばかりだ。

 

 高位精霊しか王館に上がれないという理があるのに、何故か下働きになっていた。その上、指南役せんせいまで付けて磨いてくださった。

 

 それもこれも全部ベルさまのおかけだ。

 

「ですがそれでは御上にもお会いできません。雫さまはそれで宜しいのですか」


 ベルさま……には会いたい。

 会いたいと言うよりいつも側にいたい。

 一緒にいたい。

 隣にいて欲しい。

 

 でも……。

 

「……仕方、ないよ。大丈夫……連絡は取れるからっ!」

 

 潟さんに向けて言った言葉だけど、半分は自分に言い聞かせたようなものだ。

 

 通信が出来るようになった今、ベルさまの声はいつでも聞ける。

 

「だから大丈夫! 潟さん、先に帰って御上に事情を説明して」

「それは出来ません」

 

 潟さんにしては珍しく、きっぱりと僕の言葉を拒絶した。

 

「雫さま、お忘れですか? 太子はひとりでの行動を制限されています。菳がいない今、私が帰館すれば雫さまは、おひとりになります」


 迂闊だった。帰館しなければ良いかと思ったけど駄目か。同伴しているのが佐ではない時点で、ルール的にちょっと危ない気もするけど……。

 

「潟さん、一緒に来てくれる?」

「はい、喜んで!」

 

 潟さんに付いてきてもらって良かった。

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