279話 各王館の事情

「あー、行っちゃったー」

 

 菳は少し残念そうだ。漕さんが気に入ったらしい。漕さんに迷惑がられないと良いのだけど。

 

「僕たちも帰るよ」

「はーい……ふぁー」

 

 菳が欠伸を連発している。早く帰らないと色々まずい。菳の波乗板を掴んで王館へ移動を試みる。執務室にベルさまの気配を感じて、着地点をそこにした。

 

「ベルさま、ただいま戻りました」

「ふはー、水理皇上、ただいまーです」

 

 ベルさまからおかえりの言葉はなかった。執務席で水球に話しかけている最中だ。どうやら漕さんと話をしているようだ。

 

 少し待つことにする。肩に重みを感じたと思ったら、菳が僕に寄りかかって寝ようとしていた。さっき途中で起こしたから眠いのだろう。

 

「あぁ、雫もたった今帰館した。確認しておく」

 

 水球が一気に縮んで見えなくなった。漕さんとの話は終わったようだけど、どうも僕に話があるらしい。

 

「おかえり、雫。ご苦労さま」

「戻りました。僕に何か確認したいことがあるんですか?」

 

 単刀直入に尋ねた。何か不手際があったのだろうか。衡山への立入禁止は守ったはずだ。

 

「魄失の話だよ。雫、捕縛したのは何の魄失だったの?」

「何の…………そういえば確認していませんでした」

 

 魄失と言えど元は精霊だ。元々の性質が強く出る。海中で何も感じなかったということは水精か、それとも水に弱い火精か。火山にいたことを踏まえれば、火精が濃厚だ。

 

「そんなもの確認しなくても接すれば分かるよね」

 

 つまり意識して対峙したかどうかの問題だ。そこまで考えなかった。……というより何も感じなかった。面目ない。

 

「……すみません」

「いや、違うよ。別に怒っているわけじゃない。ただ、雫が何の精霊か気づかないなんて珍しいと思ってね」

 

 ベルさまが少し慌てたように早口になった。何だか気を使わせてしまったようで申し訳ない。

 

「今から確認してきます」


 仮に水の精霊が元でない場合、いつまでも水の王館の牢に入れておくのは良くない。各王館に引き継ぐ必要がある。すぐにでも確認しないと後々面倒だ。

 

「いや、今は良いよ。後で一緒に行こう。それよりごんも初仕事大義だっ……眠そうだね」

 

 ベルさまが僕を引き留めながら、菳に話を振った。でも残念ながら、菳は上下の目蓋が既にくっついている。揺すってもピクリともしない。眠気が限界だったようだ。


 初仕事で十分活躍してくれた。菳なりに緊張もしただろうし、疲れたのかもしれない。

  

ごん、今日はもう下がって良いよ」

「んごぴ」


 本格的に寝始めてしまった。水をあげても良いけど、今日の仕事は終わりだ。起こさないでおいてあげよう。

 

「潟さん、どこにいる?」

『雫さま! おかえりなさいませ。ぬりぬたの特訓が終わったところで、雫さまの私室に向かうところです』

 

 手は空いているらしい。潟さんを呼び出して木の王館へと送り届けてもらうことにした。

 

 ちょっと嫌そうだったのは気づかないフリをしておいた。菳を肩に担いで潟さんがいなくなるのを見届ける。

 

「潟もあれでよくやってるよ。泥と汢がすけに指名されてからは特に頑張ってるよ」

「二人とも選ばれたんですか?」

 

 それは喜んで良いのか?

 推薦したのは僕だけど、いざ指名されると本当に良いのかと迷いが生じる。

 

「二人まとめて金の王館から指名が来た」

「え、すけって一ヶ所に二人いて良いんですか?」

 

 二人はずっと一緒にいるから、ここでバラバラにされるよりは良いと思う。ただでさえ、新しい仕事で不安だろうから、一緒なら支え合える。

 

「ひとりしか置けないっていうルールは作らなかったよ?」

 

 言われてみればそうだ。僕が勝手にひとりだと思っていただけだった。

 

「本当は泥を金の王館に、汢を火の王館に推薦したんだけど、火では汢が選ばれなくてね。そうしたら鑫が、出来れば二人まとめて指名したいと言ってきたんだよ」

 

 金の王館はいざこざがあったばかりだから、念を入れたのかもしれない。もしくは鑫さんの気遣いだろう。

 

「二人一緒なら心強いですね。それに鑫さんなら二人を任せても安心です」

「あぁ、他の候補者が男ばかりでね。金理が嫉妬するといけないから、女性が良いそうだ」

 

 そんな理由……。

 

 いや、精霊ひとにはそれぞれ色々な事情があるから、突っ込んではいけない。

 

 二人とも僕の側から離れていく。部屋は残しておくし、いつでも帰ってきて良いと言った。でも喪失感がある。娘を嫁がせる父親の気持ちは、こんな感じなのかもしれない。

 

 土と木の候補者が急に辞退した気持ちが、今なら少しだけ理解できる。

 

「それと……土の王館から謝罪が来たよ」

「何の謝罪ですか?」

 

 僕がいない間に何か新しい事件でもあったのか。

 

「土の候補者取り下げに関しての謝罪だよ。今度は侍従長が土理王の名代として来たよ」

「あぁ、それですか」

 

 前回、辞退を伝えに来たのは侍従だった。今回は格上の侍従長だ。侍従長が来るだけでも意義があると思うけど、土理王の名代というところに土の王館の本気を感じる。

 

「土の王館からすれば恥以外の何でもないからね。総力をあげて誠意を見せてくるよ」


 総力の誠意という言葉に凄みがある。実害はなかったのだから、そこまでしてもらわなくても良い。

 

「土の王館は今、土師クリエイターを欠いているからね。埴輪ガーディアンを作製するのも動かすのも、土理が代わりにやっている。だから忙しいのは事実だ」

 

 埴輪達ガーディアンズは土の王館の警備を担っている。結界もあるだろうけど、それだけでは不安だ。事実、免は結界をすり抜けている。同じようなことを企む輩がいないとも限らない。

 

 見回りという点だけでも埴輪達の存在は不可欠だ。

 

土師クリエイターは今後、どうなるんでしょうか」 

「さぁ……。土師クリエイターは師弟関係の結び付きが強くて、通常は引退するまでに弟子を土師に育て上げる。けど、グレイブはまだ若かったから弟子を取ってなかったんだよ」


 私たちの口出すところではないけどね、とベルさまは捕捉した。確かに僕にはどうすることも出来ない。

 

 けど土師が若い内に欠けてしまったことは、タイミング的に予想外だったはずだ。地獄タルタロスを開けることを命じた土理王さまなら、多少予測はしていたかもしれないけど……。

 

「まぁ、土理のことだから新しい土師クリエイターに目星はつけてると思うよ」

「もう次の土師クリエイターが決まってるんですか?」

 

 ベルさまはうーんと軽く唸って天井を見上げた。勿論、そこには何もない。

 

「確証はないけどね。私の予想が正しければ、そんなに間をあけずに決まると思う」

「僕の知ってる精霊ひとですか?」

 

 ベルさまは軽い笑いを見せた。ハッキリとは教えてもらえなさそうだ。

 

「知らないと思うよ。私も知らないし」

 

 知らない精霊が土師になることを何故予想できるのだろう。ベルさまの頭の中を覗いてみたくなった。

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