278話 衡山の一時封鎖

「菳、起きて」

 

 肩を揺すって菳を強引に起こす。

 

「んー、寝てないよ。淼さま」

「……イビキかいてたよ」

「………………ふへへー」

 

 菳は笑ってごまかそうとした。今後のことを考えると、怒るべきなのかもしれない。けど、ベルさまだったら僕のことを怒るだろうかと、ふと思った。

 

 ベルさまだったら……眠いものは眠いのだから仕方ない、で済ませそうな気がする。緊張感は持って欲しいけど、戦闘の真っ最中ではない。僕が気を張っていれば良いことだ。

 

 折角起きたのだから話を進めてしまおう。


「銅苔って海中でも生きられる?」

「んー? なんで?」

 

 声が眠そうだ。早く切り上げないとまずい。出来れば次の噴火が起きる前に片付けたい。

 

「火口近くに苔を植えてもらって、魄失が現れたら銅剣で攻撃する……なんて仕掛けは出来ないかな?」 

「んー、それは難しいよ。少しの時間なら平気だけど、塩分が多いからそのうち枯れちゃうよー」

 

 駄目か。そうなると僕が頑張るしかないか。

 

「菳、捕まえた魄失を連れて先に海上に出てくれる?」

「んー? 何で? 菳は淼さまと一緒にいるよー。淼さまのこと、ひとりにしちゃ駄目なんだよー」

 

 太子はひとりで行動してはいけないというルールを頑なに守ろうとしている。しかし眠気と戦闘中で呂律が怪しい。

 

「大丈夫だよ。僕が理術を使うために一旦避けてもらうだけだから、終わったら菳を目印に浮上するよ」

「僕、目印かー……」

 

 菳の声が段々小さくなっていく。拒絶の言葉がなかったのを了承とみなして、菳を勝手に波乗板に乗せた。

 

 魄失七体もその後に続かせるよう海流に命じ、海底には僕一人が残った。

 

 フカフカする砂を踏んで、火山に近づく。足裏で硬い岩肌を確認すると、ビリッと肌に痛みが走った。

 

 近づくのはここが限界のようだ。これ以上は立入禁止らしい。結界が張ってあるわけでもないけど、これ以上は踏み込んではいけないと本能的に感じた。

 

 硬い岩を蹴りあげて浮上する。海流の力も借りて浮上を続け、やや明るくなってきたところで火口の位置を確認しようとした。

 

 残念ながら水が濁っている。視界が悪くて、伸ばした自分の腕がギリギリ確認できるほどしか見えない。感覚で掴むしかない。

 

 噴火直前の地鳴りのような音がする。時間がない。


揺蕩たゆとう子 命じる者は 水太子 彼を守りて 謹慎させよ……『超大半水球ヒュージドーム』」

 

 こういうときに限って、詠唱が省略できない。省略すれば簡素な半水球ドームになってしまう。


 編み出したのは火山を丸ごとすっぽりと覆う巨大なの半水球ドームだ。以前、月代の金精を閉じ込めたときに使ったけど、あれの数百倍はあるだろう。

 

 例え魄失が飛び出してきたとしても、半水球の外へは出られない。この中で食い止める作戦だ。

 

 ただし、火口が覆えていないと意味がない。海底に届いているのは感覚で分かるから、火口さえちゃんと蓋が出来ていれば、しばらくはしのげるはず。

 

 それを確認したくて海中に留まっていると、半水球内に複数の気配を感じた。でも安心するのはまだ早い。うっかり近くの精霊を巻き込んでしまった可能性もある。

 

 でも……この不快な気配は魄失で間違いない。数は五体だ。半水球ドーム内なら圧殺することも出来るけど……。

 

「……ベルさま、聞こえますか?」

 

 ベルさまに判断を仰ぎたい。海中なら水球を作る手間もなく、繋がりやすい。尤もベルさまの手が空いていれば、の話だ。

 

『……聞こえるよ』

 

 少し空白があってからベルさまの返事があった。でも少し様子がおかしい。

 

「ベルさま、何かありましたか?」

『それはこちらの台詞だよ。……もうちょっと声を抑えてくれる? 耳がキンキンするよ。もし海中なら浮上もらえると助かる』

 

 繋がりやすいのが仇になった。耳を押さえるベルさまの姿が頭に浮かんでしまった。

 

 急いで浮上し、菳が波乗板サーフボードの上で寝ているのを横目に会話を再開する。

 

 大まかにベルさまに事の次第を説明した。衡山が噴火すると、魄失が現れるという状況。その内、七体の魄失を捕縛したこと。菳の活躍については帰ってから報告だ。

 

『捕縛した魄失は連れ帰れそうかな?』

「えーっと、何とか。菳を一旦ここに残して、一体ずつ運ぶ形でなら」

 

 僕と一緒にひとりしか移動できない。魄失が精霊ひとり分と言えるかどうかは微妙だけど、念を入れておきたい。

 

 『水の箱』に入れて荷物として運ぶ方法もあるけど、実践したことがない。いきなり本番で使うのは危険だ。途中で魄失に逃げられたら、野に放つことになる。

 

『……少し待て。そうを送る』

 

 そこでベルさまとの通信は切れた。恐らくすぐに漕さんの呼び出しに切りかえたのだろう。

  

 少しの間、待つことにする。漕さんのことだ。文句を言いながらもすぐに来てくれるだろう。

 

 その時、また噴火の音がした。けれど、音が先ほどより籠っている。水が吹き出す様子もない。半水球ドームで抑えられている証拠だ。

 

 いつまでつか分からないけど、今はこれしか出来ない。

 

 近くの波を引き寄せて、適当に腰かけた。更に菳の乗る波乗板と、それに連なる魄失を近くに集めた。見失ったら大失態だ。

 

「んー、淼さま。おはよー」

「おはよう。錆びてない?」

 

 菳がようやく起きた。まだ眠そうに欠伸をしている。長いこと海水に浸かっていたから錆びていないか心配だ。

 

「んー、痒くないよ」

 

 錆びると痒くなるらしい。金精の感覚は残念ながら分かってあげられない。

 

「良かった。あと、枯れてない?」

「うん、痛くないよ」

 

 枯れると痛いのか。二つの要素があると心配事は二倍だ。

 

 でも何にせよ、蛟の皮をしっかり被っていたようで被害はなさそうだ。菳の頭から皮衣を下ろして肩で止めてあげた。すると菳は視界が晴れたせいか、周りをキョロキョロし始めた。

 

「あ、変な魚ー」

 

 菳が僕の後ろを指差した。振り返ろうとすると、透明な魚が僕の肩を飛び越えてきた。菳の目の前に着水すると、僕に向き直るように顔を出した。


そうさん、来てくれてありがとうございます!」

 

 僕がそう言うと漕さんは水をかけてきた。


「淼さまー、このお魚って水先人パイロット?」

 

 菳が漕さんをつついている。漕さんは半分水に沈んだまま迷惑そうに仰け反った。

 

「わー、面白ーい」

「菳、やめてあげて。嫌がってるでしょ」

「あー……嫌がってたのかー。ごめんなさーい」

 

 今度は漕さんを撫で始めた。漕さんは鬱陶しそうにしつつも、そのままじっとしている。僕の指示を待っているようだ。

 

「漕さん、早速なんですけど。この七体の魄失を王館に運びたいんです。手伝ってもらえますか?」

 

 精霊ひと使いが荒いと言われそうだ。漕さんは勢い良く潜り、菳の手から逃れた。菳が残念そうな顔をしたのも束の間、漕さんは巨大な姿になって波の上に帰って来た。

 

「わー、おっきいねー」

 

 僕と焱さんを乗せてもらったことがあるけど、それより大きい。くじら……は言い過ぎだけど、生まれたての仔鯨くらいなら張り合えそうだ。

 

 漕さんは一度だけ海面を跳ねると、魄失を次々と飲み込んでいった。そんなことをして大丈夫なのかと、見ている方が心配になってしまう。

 

 そんな僕の心配を他所に、漕さんはあっという間に七体の魄失を胎内へ収めた。顔などないのに漕さんのドヤ顔が見えた気がした。


「流石です、漕さん! こんなこと漕さんにしか出来ないです」

 

 この際だ、ちょっとおだてておこう。ドヤ顔が更に深くなった気がするけど、文句を言われるよりマシだ。

 

「ついでで申し訳ないんですけど、僕の氷柱牢獄はそのままで、牢へ入れてもらえますか?」

 

 飲み込んだ魄失が透けて見える。漕さんは承諾代わりにヒレを一度だけ振って、僕たちの頭上を飛び越えていった。

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