270話 寂しい執務室

 焱さんの言った通り、すぐに理王会議が始まった。いやいや会議に向かったベルさまの顔が目に焼き付いている。寄った眉でさえ、形よく歪んでいた。

 

 ……歪んでいるのに形が良いというのもおかしい。けど、元々素晴らしい方なのに、好きだと自覚してから全てが輝いて見える。

 

「今日で七日目ですね」

「そうだね」

 

 執務室にベルさまがいない。空席が余計に部屋を虚しくさせている。潟さんと僕の声だけが響いて、いつもより広く感じる。

 

「早く終わると良いけど……」

 

 台帳の頁を捲りながら潟さんに答える。

 

「父の代では数ヶ月掛かったこともありましたよ」

 

 ベルさまによると、木理王さまの発議らしい。でも竹伯の進言によるものだということは明らかだった。

 

 竹伯は今回のことを堂々と太子四人に宣言していた。だから別に裏で糸を引いているわけでも、操っているわけでもない。竹伯の意見を受け入れるかどうか……その決定権は木理王さまにある。

 

 会議に向かうベルさまにそう言ったら、渋い顔をされた。雨伯から理王会議の進言をされた自分を想像してみたらしい。

 

 勿論、理王が伯位の申し出を断ることは可能だ。

 

 でも、普段決して出しゃばらない精霊が、理王へ直に進言するとしたら、それは必要だからだ。竹伯も雨伯もその点は似ている。

 

 水精あるいは木精……もしくは精霊界に必要なことだから意見するだけだ。そうでなければ御上のまつりごとに自分から口を出すことはしないだろう。

 

 木理王さまも竹伯を側に置いても、自分を見失うことはない、とベルさまは言い切った。昔からの付き合いだし、木理王さまの努力をよく知っているからだろう。

 

 ベルさまも雨伯に同じような進言をされたら、突っぱねる自信がないそうだ。そう言って諦めたように会議に向かっていった。

 

「この七日は王館外で目立った動きはありません。念のためかちわたの馬群を市中に放ち、免の字を持つ者がいないか探っております」

 

 理王会議の間、僕たち王太子はなるべく王館内に留まるよう通達が出ている。緊急の救助や援助の要請があれば向かう必要があるけど、幸いこの七日間、そういった要請はない。

 

 ただ、免の配下がどこに潜んでいてもおかしくない状況にある。僕自身が市中の調査が出来ない分、そこは潟さんに任せた。

 

「そう。分かった、ありがとう」

 

 焱さんの事件は良い切っ掛けとなった。各属性で免の配下が入り込んでいないか調べることになった。

 

 それぞれの王館で『まぬが』の字が付いた名を持つ者はいないか。それぞれの台帳と照らし合わせて調べを進めている。

 

 勿論、『免』が含まれるから絶対免の配下だとは言い切れない。免がいつから存在しているのか知らないけど、免が現れるよりずっと前から免の字を持って存在いる精霊もいるはずだ。

 

 ただ、免は自分で名付けて配下を増やす他に、元々免の字を持っている精霊も配下に出来るみたいだ。暮さんが良い例だ。

 

 元々、暮さんは『晩』の名を持っていた。そのせいで、免の支配を受ける羽目になったのだからある意味では被害者だ。

 

「やっぱりおかしいな。ここに空白がある」

 

 台帳を捲る手を止めて大きく伸びをした。

 

 捲っていたのは、数百の高位精霊の名前が書いてある水精台帳だ。すっと読んでいたから流石に目が疲れた。

 

「誰かいないのですか?」

「恐らく『にべ』っていう仲位の精霊だよ」

 

 水精台帳の存在をベルさまに教えてもらって、すぐに読み込むことになるとは思わなかった。

 

「改名や消滅の可能性はありませんか?」

「この台帳は高位精霊なら名前が付いた時点で、自動的に名前が記録されるらしいよ。改名しても消滅しても、例え亡くなっても、名前は残るらしい」

 

 どういう仕組みなのかさっぱり分からないけど、高位精霊の名前被りを防ぐ力があるそうだ。ほとんどの高位精霊は生まれた時点で名前を持っているから、それと関わりがあるのかもしれない。

 

 ちなみに僕は高位になって日が浅いので、前の方に記録があった。古い精霊になるほど、後ろの頁へ進み、亡くなった精霊は後ろから捲った方が早い。

 

 ベルさまの名前を見つけられるかと思ったのに、残念ながら載っていなかった。先生の名もなかったから、恐らく理王は別格なのだろう。

 

「失礼ですが、何故、にべだとお分かりになるのですか?」

 

 空白があるせいで名が消えているのは分かる。でも誰が消えたかまでは分からない。それは当然だ。


「これ見て」

 

 引き出しから紙束を取り出して、机の上に広げた。

 

「これは添がまとめた五山の記録ですね」

「そう。五山別にまとめてくれたから、すごく見易いよ」

 

 五山の位置。高さ。特徴。周囲の精霊……などが、揃った字で整理してかかれている。読み手のことを考えて書かれているのか良く分かった。

 

「これが何か関係あるのですか?」

「ここ。恒山の北側に住んでいた精霊……にべの名があるよね」

 

 立入禁止だから、恒山に住んでいるわけではない。でもその周りには何人か精霊が住んでいる。


 にべはその中のひとりだ。いや、ひとりだった。免によって名前を取り上げられたか。それとも書き換えられたか。

 

「台帳への自動的な記録は影響しても、添の手書きまでは及ばない……わけですね」

「うん。台帳これは理力で記されているんだって御上が言ってた」

 

 添さんが何らかの理術を使って書いたら影響を受けたかもしれないけど、地道な手書きのお陰で、この名を発見できた。添さん、来たばかりで良い仕事をしてくれる。


にべ……いや、もうそう呼ばない方が良いですね。この精霊が免の配下になってしまった可能性もありますが、従わなくて存在そのものを消された可能性も……」

「あり得るよね。その場合、最初からいなかったことにされてる」

 

 台帳に名がないというのはそういうことだ。精霊としての存在を否定されたことになる。

 

「そうなると……本体はどこへ。からだは免に奪われたのでしょうか」

 

 土の王館で免と会ったとき、石の精霊の皮を被っていた。あれ以来、石の精霊が見つかったという話は聞いていない。

 

「免が集めていたのは理力だったはずだ。からだに興味はないと思うけど……断言は出来ないね」

 

 分かったところで、理王会議の間は動けない。本来なら恒山の近くまで様子を見に行きたい。

 

 鮸の跡地がどうなっているか、現状を確認したい。それに運良く先生とも会えるかもしれない。

 

「免は何故、理力を集めているのでしょう」

 

 潟さんがポツリと呟いた。

 

 貴燈を脅したり、月代を混乱させたり、免のやり方は回りくどい。精霊から理力を奪って、たまに会えば襲ってくる。だから敵には違いない。


「『愛する者を取り戻したい』って言ってたね」

 

 確か、土の王館で追い詰められた時、そのようなことを言っていた記憶がある。

 

「だとするとまぬが魂繋たまつなしているのですね」

「…………さぁ?」

 

 免の家族事情なんて知っているわけがない。

 

「情報が欲しいですね。免に関して」

 

 それはそうだ。

 

 当然ながら水精台帳に免の名はない。恐らく他の属性にもないだろう。

  

 いつから存在しているのか。

 本体は……真名は何なのか。


 唯一分かっているのは……愛するものを取り戻したいという目的だ。

 

「やっぱりこの世界の精霊じゃないのかなぁ」

 

 水晶刀の鑑定結果を見せてもらったときにそう思った。三属性以上が混ざりあっている免の理力はこの世界ではあり得ない。

 

「以前もそう仰っていましたね」


 確か、その場に潟さんもいた。覚えていたようだ。あのときは良く考えないで言ったけど……。


「もしかしたら、暮さんみたいに水の星から来たのかな」

「何故、そう思われるのです?」

「暮さんは闇の精霊だよね。闇の精霊はこの世界だと地獄にしかいないから」

 

 暮さんは草の性質も少しあるみたいだけど、混合精ではない。潟さんに塩の性質があるのと同じだ。


「なるほど。闇の精霊はこの世界に存在しない。それが水の星から来たと言うなら、同様に存在しないはずの多属性精霊も、水の星から来たとしてもおかしくありませんね」

 

 水の星……地球。こちらの情報も欲しい。天地開闢てんちかいびゃくについての本で読んだだけだ。

 

 まだ資料があるかもしれない。添さんにまとめるように頼んでみよう。

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