255話 暗雲

 火精の見た目はそんなに若くはない。中年というには早いけど、青年というにはギリギリのラインだ。でも火精は水精より短命だから年下の可能性もある。

 

 自席を離れてベルさまの隣に立つ。正面に火精が跪き、その斜め後ろに潟さんが控えた。

 

 形式的なやり取りを済ませ、火精が立ち上がるように声をかけられる。ここまでは儀礼的なやり取りだ。特に意味はない。

 

「火太子が多忙につき、私ごときが参りましたことをお許しください。火理王おかみからの伝言を預かって参りました」

 

 焱さん、木の王館からまだ戻ってないのかな。別の精霊がお使いに来ること自体が珍しい。

 

「火理王の侍従長自ら伝言とは急用か?それとも何か大きな問題でも起きたのか?」

 

 侍従長だったのか。急に親近感が湧いてきた。名前は何て言うのかな。

 

「衡山が噴火傾向にあるとのことで、注視願いたいと。有事の際はご助力を」


 今まさに話していた砦のひとつだ。タイミングが良すぎる。いや、この場合悪すぎるのか。


「承知した。ではこちらも伝言を頼む。土の王館への侵入者が泰山方面向かった。木の王館が落ち着き次第、木理にも伝えるが、そちらも警戒して欲しい」

 

 ベルさまが情報を渡した。でも先生のことには触れない。やっぱり立入禁止の場所にいるからだろうか。

 

「差し出がましいことを申し上げるようですが、理王会議と相成りましょうか」

 

 火の侍従長が恐る恐るという感じで尋ねてきた。ベルさまは侍従長が来てから少し理力を抑えている。それでも水理王を前にして、火精がこの距離で立っていられる方がすごいと思う。

 

「いや、それは難しいだろう。火理も分かっているとは思うが、金理が今、玉座を離れるのは危険だ」

「……軽率な発言でした。何卒ご容赦を」

 

 火精が腕を前に伸ばし、指を揃えて両手重ねた。それを見てベルさまが火精を下がらせる。

 

 潟さんが扉を開けて火精を外へ誘導した。扉が閉まる直前、廊下で大きな炎が上がった気配がした。

 

 潟さんが扉に寄りかかるように体を付けた。火精の気配が完全に消えるのを確認しているようだ。

 

「金の王館は沈静化したんじゃないんですか?」

 

 潟さんが扉から離れたのを見て、僕から尋ねた。確か、土の王館で聞いた情報だと、鑫さんの活躍で収まったはずだ。

 

くんが睨みをきかせている内は収まっているだろうけど、彼女が金理の側を離れたらどうなるか」

「月代の精霊を山へ帰してしまえば済む気もしますが」

 

 他の王館のことだから詳細は分からないし、口を挟むつもりはない。でも月代の精霊が暴走しているなら王館から出してしまえば、解決しそうだけど。

 

「どうだろうな。危ない連中は見えないところよりも、手元で監視している方が良いと思うけど」

「でもそれだと金理王さまが危ないんじゃないですか?」

 

 ベルさまは背もたれに体を預けて、目だけを僕に向けてきた。

 

「雫。彼は名門とは言えないし、上級理術も使えないけど、理王を侮ってはいけないよ 」

「べ、別に侮るなんて、滅相もない」

 

 ただ、金理王さまの身が心配だっただけだ。一度しか会ったことはないけど、飾らない人柄が印象に残っている。

 

 金の王館の端まで、僕のことを迎えに来てくれて、すぐに真名まで教えてくれた。そのお陰で理王だと分からずに気さくに話してしまった。

 

「彼が黙っていたのは単に、加害者側が鑫の家族だからだよ。本気になれば高位揃いの月代とはいえ、無傷では済まないよ」 


 ベルさまや土理王さまに比べて、金理王さまはやや地味だ。でも、鑫さんと心から通じあっていて、その関係は輝いて見えた。

 

「月代の精霊は何故、今頃暴れだしたのでしょう。何か切っ掛けがあるのでしょうか」

 

 潟さんが言うことは尤もだ。僕もそう思う。月代の精霊たちは普段から不満ばかり漏らしていた。それは王館に来たときからずっとだ。

 

「どうも貴燈の弟が絡んでいるらしい」

「弟……たぎるさんが何か?」

 

 そういえば最近会ってないけど元気かな。

 貴燈へ行ったときはわかちゃんしかいなかったから、しばらく会っていない。それこそ月代の事件の時に手伝ってもらって以来だ。

 

「あぁ。月代の次女と魂繋たまつなしたいらしいよ」

「たまつなぁあ!?」

 

 いつの間にそんな話に!?

 

 ベルさまの頭の上で大きな声を出してしまった。ベルさまが耳を覆っている。

 

「た、滾さんから報告があったんですか?」

「いや、くんの方に妹からそういう話があったらしいけど、それがどういうわけか月代の精霊に漏れたらしい」

 

 そうですかと曖昧な返事をしてしまった。そもそも滾さんは低位精霊だから、理王に報告してくることはなかった。少し考えれば分かりそうなものだ。驚きの方が先で思考が鈍っている。

 

 いや、でもあのアルさんが何故、滾さんとそんな関係に……。

 混合精ハイブリッドを蔑む……まではいかなくても、鑫さんの相手には相応しくないと言っていた。それが自分の相手に混合精を選ぶとは、どういう心境の変化があったのだろう。


「相手が混合精ハイブリッドとなれば、姉妹とも次代は残せない。そうなると何かあった場合、跡を継ぐのは末妹しかいないわけだ」

「でもエルさんは季位ディルですよね。月代を治められるんですか」

 

 各自の領域だけなら問題ないだろうけど、月代には何万もの精霊が暮らしている。自分よりも高位の精霊だっているに違いない。


「いや、月代を管理するには不相応だよ。そうすると月代の格を落とすか、理王の直轄になるか、だね」

 

 それで月代の精霊は不満を高めたのか。名門であることを誇りに思っている。その二択だとどちらも受け入れ難いだろう。しかも、混合精ハイブリッドに対しても差別的な見方をする精霊が多い。

 

 鑫さんはどうするつもりなんだろう?

 

「図ったようなタイミングですね。気に入りません」

 

 今まで黙っていた潟さんが低く呟いた。その顔からは笑みが消えている。

 

「そうだね。金理の所と木理の件はほぼ同時に起こった。そして土の王館では土師クリエイターが重傷。ここでは水太子が不在だ」

 

 何かがおかしい。こんなに同時に問題が起こること自体が不自然だ。

 

 沈黙が訪れる。恐らく考えていることは三人とも一緒だ。免が絡んでいるのは間違いない。


「何も起こらなかったのは火の王館だけですか……」

「いや、実は……焱がひとり木精を焼き殺している」

 

 潟さんが感心したようにため息をついたのも束の間、ベルさまが物騒すぎる発言をした。

 

「や、ヤキコロシタ?」

 

 うっかり片言だ。

 

「あぁ、焱が見合いをしてね。その日の夜、相手の木精が焱の寝所に忍び込んだらしい」

「夜這いですか」

 

 潟さんの目が輝き出したのはどうしてだろう。時々、潟さんが理解できない。

 

「焱さんの命を狙ったんじゃないの?」

 

 僕がそう言うと潟さんはがっかりしていた。落胆させる要素がどこにあるのか分からない。

 

 ベルさまは僕と潟さんを見比べて軽く笑っていた。

 

せきの方が正解だよ。他の候補者を出し抜くために既成事実を作ろうとしていたらしい」

「既成事実?」

 

 ベルさまが一瞬固まって、僕から目を逸らした。潟さんは僕の肩に手を置いて、何かを悟ったように微笑んでいる。

 

「この場合は子を残す行為と同義ですね」

「子って理力を合わせれば出来るんじゃないの?」

 

 僕は、父上が残した理力と母上の理力を合わせて生まれた。魂繋たまつなした夫婦が理力を混ぜれば生まれるものだと思ってた。


「まぁ……そういう方法もありますね。ですがそれは死が近い場合や、配偶者と遠く離れる際に多く取られる方法ですね」

「ふーん」

 

 ふとベルさまを見ると、机に肘をついて指を組み、その上に額を乗せていた。一方、潟さんは僕の肩に手を置いたまま、天井を仰いでいた。

 

 何だ?

 虫でもいるのか?

 

 同じように天井を見上げてみる。何もいなかったけど、その代わり、書棚の上にほこりが溜まっているのを見つけてしまった。

 

 後で掃除しないと……いや、僕がやったら駄目か。ぬりぬたに頼んでみよう。

 

「あなたの父親は雫にどういう教育をしていたんだ」

「流石に父も専門外かと……私が指南役なら手取り足取りお教え出来たのですが」

 

 僕が埃の厚みを推測している間、ベルさまと潟さんが会話を進めていた。ちょっと置いていかれた気分だ。

 

「何の話で……」 

 

 話しかけると潟さんがパッと僕から離れた。その直後、僕の横を通り抜けて後ろの壁に氷柱が刺さっていた。その衝撃で、掛かっていた額が落ちてきた。

 

「雫から手を離せ。好色者」

「すでに離れております。お静まりください。あくまで例えの話です。私は妻もおりますので」 

 

 潟さんが額を拾い上げると、角にヒビが入っていた。

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