243話 王館の混乱
「ベルさま! 大丈夫ですか!?」
ベルさまの隣をイメージして水流移動した。水が散って、視界が開けたときにはベルさまの姿が目の前にあった。
その姿にほっとしつつ、怪我がないか確かめる。見ても触っても怪我はなさそうだった。
「し、雫。突然、どうした?」
「すみません。ちょっと気になって。お怪我はないですか?」
ベタベタと体を触っていると、ベルさまが僕の両肩を掴んだ。いつも透き通るような白さの肌なのに、今は少し顔が赤い。やっぱりどこか調子が悪いのか。
「雫、分かったから机から下りなさい。私は大丈夫だから」
そう言われて自分の位置を確認する。ベルさまの執務机の上に膝立ちになっていた。
「す、すみません」
またやってしまった。どうして僕の移動先はいつも机の上なのだろう。書類の山を崩さないように、足を伸ばして床に下りた。
ベルさまが咳払いをした。その頃にはもう顔色は戻っていたので、僕の見間違いだったのかもしれない。
「
「ただいま帰りました」
ベルさまがサッとインクの壺を戻した。いつから避けていたのか分からないけど、流石だ。僕が蹴飛ばしでもしたら机の上が大惨事だ。
変わってしまった書類の位置や、倒れた筆記具をテキパキと直していく。余計な手間を取らせてしまって申し訳ない。
「帰ってすぐに土精に囲まれて、木と金の王館で騒ぎがあったと聞いて、ベルさまが心配になって、それで」
一気に捲し立てる。ベルさまが筆記具に絡まった髪を払いながら、うん、うんと僕の言葉ひとつひとつに相づちをくれた。
「情報が早くて素晴らしいね」
ベルさまがそう言うと外からドンッと爆音が聞こえた。驚いて窓の方を見ると、灰色の煙が上がっていた。
「今のは木の王館だよ」
ベルさまが注釈をくれる。他の王館とはいえ、爆発があったのにベルさまは落ち着いている。
「焱と垚が応援に行っているはずだよ。今のは焱の威嚇だろう」
「えっと、木の王館は囲まれていると聞きましたが……」
聞き齧った情報なので、正しいのかも分からない。焱さんと垚さんが手伝いに行っているなら、僕も行った方が良いだろうか。
行っても役に立つかどうか…いや、きっと足手まといになる。
「
「無患子が!?」
もしかして、僕が紹介してしまったせいで……。そうだったらどうしよう。
「理由は分からない。雫のせいと決まったわけではないよ。しかも中に入れろとか、木理王に会わせろとか、言っているだけで目的も不明だ」
ベルさまが僕の隣にやってきた。窓枠に手を掛けて、煙が立つ方を眺める。
いつの間にかベルさまの背を抜いてしまった。こうして並んで立っていると、ベルさまの
「煙いね。
ベルさまの髪が風になびく。キラキラと太陽の光を反射している。ベルさまの言う通り、風が少し煙たい。だけど、そんなこと気にならない。
緊迫した状況なのに、この瞬間に満足している自分がいる。ベルさまが僕の隣にいるだけで満足するなんて……僕の単純さが嫌でも分かってしまう。
「ベルさま……あの」
「ん? 雫も応援に行くか?」
ベルさまが僕を見上げた。濃い色の瞳と視線がぶつかって、現実に帰ってくる。
僕は今、何を言おうとしたんだ?
「あ、じゃあ……」
『雫さま!』
行ってきますと言おうとした瞬間、潟さんの切羽詰まった声が届いた。ベルさまのことが気がかりでうっかり土の王館に置いてきてしまった。
「潟さん? どうしたの?」
「どうした?」
ベルさまが不思議そうに僕を見つめる。でもその目つきはさっきと違う。虹彩が何色とも表現しがたい警戒色に染まっていた。
「潟さん?」
『っく! しず……さま! 土の王館に……!』
耳の中でプツッと小さい音が鳴った。そこで潟さんの声が途切れてしまった。呼び掛けても答えない。
「切れちゃいました」
「王館で太子と侍従武官の会話が途切れるなんて、今度は何だ? 妨害か?」
ベルさまが机に戻っていく。その姿を目で追いながら、潟さんの元へ移動を試みる。
「僕、土の王館へ行ってきます」
「あぁ、私も少し探ってみる。念のため、ここは結界を強めておく。攻撃しないように」
自分の暮らす王館に攻撃するような者はいないだろう。攻撃したらどうなるのか、すこし気になる。そう思いながら水流に飲まれた。
つい先ほどまでいた土の王館へ戻った。場所は謁見の間。その扉の前だ。潟さんの近くをイメージして来たはずなのに、肝心の潟さんがそこにはいなかった。
「あれ」
その代わり、数人の土精が地に倒れていた。地獄から戻ったときに、ある意味では出迎えてくれた精霊たちだ。着ている服が皆、同じものだし、記憶に新しい。
「だ、大丈夫ですか?」
土精に触れようと屈む。生気も理力も感じられない。触れる直前、甲高い金属音が耳を通り抜けた。耳なりのような残響が不快だ。
思わず顔を上げる。中庭の方で潟さんが戦っていた。可哀想だけど土精は一旦このままだ。
潟さんは大剣を振り回し、金属音を響かせて派手にやりあっている。時々、剣がぶつかった反動で後ろに押されたり、逆に押し返したりしている。
その都度、瞬時に距離を取って、また駆けていく。大剣を持っているとは思えないほど俊敏な動きだ。相手の動きが早くて誰と戦っているのか分からない。
「
近くまで駆け寄ると相手が見えてきた。灰色の姿だ。あれは……さっきまで話していた土精のひとりだ。ひとりだけ灰色だったから覚えている。
土精が扱っている細身の剣は、一見するとすぐに折れてしまいそうだ。でも潟さんの大剣を正面からまともに受けているのに折れる様子はない。
剣がぶつかった瞬間、火花が出ていた。剣も相手もびくともしない。潟さんと対等に渡り合っている。相手もかなりの凄腕だ。
僕がいない間に土精と何があったのか。潟さんが何か不快なことを言って、土精を怒らせてしまったのか。それとも逆に嫌なことを言われて土精を打ちのめし、石の精霊だけ立っているのか。
話を聞かないと分からない。喧嘩なら仲裁しないと。
潟さんと視線を交わし、飛び退くタイミングを見計らって合流する。潟さんがすぐに飛び出さなかったのを見てか、向こうも僕たちから距離を置いた。
「潟さん、何があったの?」
「申し訳、ありません。私がいながら、こんなことに」
潟さんの息が上がっている。涼しそうな顔をしているけど、額に落ちた前髪が二房になっていた。激しい打ち合いだったことが窺えた。
「何で土精と戦って……っ!?」
そう言いながら相手を改めて眺めた。
ヒュッと音がしたのは自分の喉からだ。
緊張で息がうまく吸えなかった。
何故、今まで気づかなかったのか。
この忌々しい気配。
こいつは土精じゃない。
「……
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