239話 二つの好き

 薄くて透明な固い破片が周りに散っている。視線を下げると、腕にヒビが入ったように破片が張り付いている。僕の体から破片が散ったのは明らかだった。

 

 試しに腕を撫でてみる。日焼けして時に皮が向けるみたいだ。固い膜が逆立ち、パラパラと落ちていった。破片のひとつを試しに取ってみる。

 

 雲母うんもだ。

 

 耐熱性と防雷の効果がある鉱物だ。水晶刀について調べようとしたとき、鉱物の指南書で読んだ。

 

 それが何故僕の体から……?

 

「終わったようじゃな?」

 

 黄龍が巨体をゆったり泳がせて降りてきた。音も立てずにそっと足を着ける。

 

「黄龍……閣下」

 

 一応声を掛けた。腕の雲母うんもが不愉快で、擦りながら落とす。黄龍はそんな僕の様子を一瞥すると、首を反対へ回した。 

 

「霈がしっかり埋まっておるのぉ。カカカカカカ。お前さん、相手に不足があったか」

「あ、義姉上!」

 

 まずい、忘れていた。自分の体に気を取られ過ぎた。

 

 義姉上がいたところは何もなくなっている。代わって奥の方に茶色い山が出来ていた。思い切って最上級の強力な理術を放ってしまった。水とも土とも判別しにくい泥で足場が悪い。

 

 この塊に埋まってしまったに違いない。必死に泥を掻き分ける。


「わっはぁっ!」

「ぅわぁ! 義姉上、ご無事ですか?」

 

 品のない掛け声をあげて、義姉上が泥の塊から這い出てきた。

 

「死ぬかと思った!」

 

 義姉上を泥から引っ張り出す。黄龍は僕たちの様子を笑いながら見ていた。

 

「カカカカ、生きてはおらんじゃろう」

 

 黄龍の突っ込みは正しいけど、間違いでもある。

 

「でも死んではいません」

 

 何故か義姉上ではなく、僕が反論する。

 黄龍がおや? という顔を見せた。

 

「義姉上、大丈夫ですか? すみません、ついやり過ぎました」

 

 義姉上は口の中の泥を勇ましく吐き出している。黄龍がちょっと嫌そうな顔をしていた。

 

「びっくりしたよ……雫は強いね。私よりも数段強いわ」

「いや、僕なんてまだまだです。義姉上が手加減してくれなかったら、接近戦では敵わないと思います」

 

 義姉上は服の泥を乾かして、パラパラと振り落とした。首を左右に振ったのは、否定の意味か……それとも、ただ泥を払っただけか。

 

「最初は手加減したけど、後半は本気でやったよ。でも雫は強い。これなら確かにベルを支えられるわ」

「僕なんてまだまだです」

 

 義姉上は今度こそしっかり首を横に振った。

 

「そういうのは良いから。でもちょっと安心したわ。さっきの雫の言い方だと、雫は私の代わりではないみたいね」

「僕の言い方?」

 

 義姉上は今度は縦に首を振った。

 

「さっき言ってたわね。『僕だってベルさまのこと好きなのに!』って」

「あ……えーと」

 

 改めて言われると、かなり恥ずかしいことを叫んでいる。戦闘で気が高ぶっていたのか。冷静になると、じわじわと焦りが込み上げてくる。

 

「私もベルが好きよ。それにベルも私が好き。さっきは自意識過剰だなんて思ったけど、雫の言葉を聞いて分かったわ。ベルの気持ちが……雫と私へ向けた気持ちは全く違うわ」

 

 胸の奥の方が少し痛んだ。ベルさまが義姉上を好いているのは分かっていた。

 

 義姉上はさっきまでと様子が異なる。完全に自信を取り戻していた。

 

 僕も……もう気づかない振りは出来ない。自分の気持ちをはっきり口に出してしまった。でも僕の気持ちはどうでも良い。ベルさまに幸せになって欲しいから。

 

「僕もそう思います。だから二人の邪魔はしません。義姉上が復活したら僕は……」

「何言ってるの? 私とベルの『好き』は雫の『好き』とは違うと思うよ」 

 

 僕の言葉を義姉上は遮った。

 

「私はベルの親友だと自負してるわ。実家である氷之大陸オーケアノスで何度も暗殺されかけて、他人を信じられなくなっていたあの精霊ひとを癒したのは私よ」

 

 暗殺!?

 

 そんなことベルさまは一言も言っていなかった。驚いて声も出ない僕に、義姉上は勝ち誇ったような笑みを見せた。

 

「それは知らなかったみたいね」

 

 フフンと鼻で笑う義姉上は楽しそうだった。 

 

「雫、義姉あねとして忠告するわ。自分の気持ちに自信を持ちなさい。あなたの好きはただの好きじゃなくて、『愛』よ」

「愛……?」

 

 いつか心から愛せる精霊ひとと出会えたらとは思っていたけど……。  


「そう。相手のことが好きで、その相手に自分も好きになって欲しい。っていうのは恋。相手が幸せなら自分と結ばれなくても良い。これが愛。雫の場合は間違いなく愛ね」

 

 ベルさまに幸せになって欲しい。その気持ちは変わらない。だとしたらこれは愛なのか?


 理解できていない僕を義姉上が軽く笑い飛ばした。お子さまね、とチクりと言われる。

 

「今度はベルの親友として言うね。ベルを不幸にしたら殺すわよ」


 目が本気マジだ。

 

「冗談は置いておいて、ベルの親友の位置は譲らないわ。でも雫には、ベルの隣に立つのに相応しい強さと愛がある。自信を持ちなさい」

 

 絶対冗談ではなかったと思う。でも義姉上はスッキリした顔で僕の肩を叩いた。


「で、そのウツクシイ話は終わったかの」

 

 黄龍が欠伸をしていた。

 

「あら、黄龍閣下。いたのですか?」

「……ひさめよ。地獄タルタロスを誰が治めていると思っておるんじゃ?」

 

 もう突っ込まないでおこう。黄龍は僕たちの会話が終わるのを待っていてくれたに違いない。さぞ、暇だったろう。

 

「黄龍閣下。戦いが終わりってことは僕の理力の問題は解決したんですか? もしかしてこの雲母と関係あるんですか?」

 

 黄龍と義姉上と言い合いになる前に、声をかけて注意をひく。雲母をひとつ拾い上げて、掲げて見せた。

 

「そうじゃ。お前さんは自分の気持ちに蓋をしておったな。それを利用して別の理力がこぉてぃんぐされていたようじゃ」

 

 コーティング……が剥がれた結果がこの雲母か。こんなパリパリの鉱物で体が覆われていたのに、気づかない僕も僕だ。

 

「かなり高度な理術じゃな」 

「そんなこと可能なんですか? 誰が?」

 

 ベルさまはこんなことをするはずがない。ベルさまは僕の地獄タルタロス行きを嫌そうにしていた。仮に、ベルさまだったとしたら、その時点で僕から剥がしてしまうだろう。

 

「こればかりは相性があるからの。とは言っても父子なら問題あるまい」

「……父上が?」

 

 父上が僕に理術をかけていた?

 何のために?

 

 黄龍はわざとらしく溜め息をついた。その息がかかったのか、義姉上が嫌そうに前髪を払っている。

 

「息子を心配するあまりの愚行じゃな。自らの理力で息子を覆い、守ろうとしたのじゃろう。その結果がこのザマよ」


 吐き捨てるように黄龍が言う。

 

「じゃあ、世界の理力が好いていたのは僕じゃなくて父上の理力ですか?」


 義姉上の言葉を借りるなら自意識過剰だ。てっきり僕が世界に好かれているのかと勘違いしていた。ベルさまも僕が視察で各地に赴いたせいで、世界との繋がりが深まったと言っていた。 

 

 僕自身のせいではないけど、ベルさまを騙したようで気分が悪い。

 

「あながちそうとも言い切れんのぉ。お前さんが世界と深く繋がっているのもまた事実じゃ。切っ掛けがきゅうの理力だったということじゃな」


 つまり、気づかない間に父上が守っていてくれたということだ。その事実に喜ぶべきか。それとも頼りないと思われたと嘆くべきか。

 

 どうにも整理のつかない感情を誤魔化すように、頭をガリガリ掻いた。

 

「天地開闢の折、最初に世界の冷たい部分、つまり水の理力をきゅうが呼び集めたのじゃ。きゅうの理力に惹き付けられた結果、お前さんを過剰に慕うようになったのじゃろうな」

 

 黄龍が急に体勢を低くした。義姉上の背後に伏せ、尾で周りを囲まれる。伏してもまだ、黄龍の頭の方が高い位置にある。忘れていた威圧感が帰ってくる。

 

 義姉上が黄龍を見上げている。何をするつもりだと言わんばかりだ。義姉上は黄龍の威圧感なんて何ともないのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る