240話 義姉との別れ

「お前さんを覆っていた雲母は、泣が理力を高度に組んだ結晶じゃ。外側から壊そうとすればお前さんも一緒に壊れてしまう。お前さん自身の力で内側から壊さねば剥がれなかったわけじゃ」

 

 あんなに薄い鉱物なのに、高度な理術の結晶だと言う。そんな理術を学んだ覚えがない。

 

「鉱物は土の理力が影響しているはずです。父上は水精なのに土の理力を扱えたのですか?」 

 

 混合精ならともかく、純粋な水精が他属性の理力を使うなんて、それこそ理違反だ。

 

「雫だって他属性の理力を使ってたくせに良く言うわ」

 

 義姉上が黄龍の鱗に手をついて寄りかかっている。何度も言うけど失礼だ。

 

「私との戦闘で『熱湯鉱泉』と『土石流デブリズフロウ』を使ったね。あの手の理術は極めた者だけが使うことの出来る術よ」

「え? だって先生は普通に使って……あー」

 

 先生が普通ではないということを忘れていた。最近、感覚が鈍ってきたけど先生だってかなりの強者つわものだ。

 

 最近会えていないけど、あれでも全盛期の十分の一ほどしか理力はないらしい。理王在職中はどれほどだったのか、想像するのも難しい。


「使えるのは理王クラスの精霊ね。雨伯ちちうえなら使えると思うけど、避けると思うわ。そこらの精霊が使おうとしたら、理力をごっそり失って地獄ここに来る羽目になるね」

 

 ここと言う言葉を強調しながら、義姉上は足をドンドンと鳴らす。黄龍が尻尾を避けた。

 

「そうか。だから初代理王である父も、そんな複雑な理術が使えたんですね」


 黄龍が頷いた。それだけで壁が崩れて来るような圧力がある。ずっと対峙していてもそれだけは慣れない。

 

「似たような理力で覆われていては他の者は気づくまい。結晶に敏感な土理王だからこそ気づいた結果じゃな。お前さんのところの水理王でも不可能じゃろう」

 

 ベルさまでも分からないことがある。それはとても新鮮だった。

 

「ちょっと黄龍閣下。ベルをバカにしないでいただけますか? 抜きますよ」

 

 義姉上は既に黄龍の髭を引っ張っていた。黄龍の顔が義姉上に引き寄せられていく。黄龍の頭だけで義姉上の背より大きいのに……怪力だ。

 

 髭の根本が本当に抜けそうだった。 

 

「痛だだだだだっ! やめんか、霈。義弟に別れを告げる前に戻してしまうぞ」 

「それは困りますね」

 

 義姉上はそう言うと、素直に黄龍の髭を解放した。僕に駆け寄り、両手を取る。

 

「雫、一旦お別れよ。ちゃんとベルのこと守っていてね」

「勿論です」

 

 義姉上に言われなくてもそのつもりだ。でも義姉上は、あっと何かを思い出したような顔をした。

 

「……違うね。ベルは強いから守らなくても良いわ。雫は自信を持って隣にいれば良いわ」

 

 義姉上が手にぎゅっと力を込めた。自信を持てとさっきから何度も言われている。でも帰ったとき、ベルさまの顔をまともに見られる気がしない。

 

「さて、可愛い義弟に何かあげたいけど、私は魂だけだから物質がないのよね。黄龍閣下、やっぱり髭一本抜いても良いですか?」

「良いわけないじゃろう」

 

 ダメだと言われながら義姉上の手は既に髭を掴んでいる。黄龍の髭が危ない。

 

「黄龍閣下なら物質を変換できますよね? 髭が嫌なら、たてがみでも良いですけど」

「あ、義姉上。髪なら僕の少し切って下さい」

 

 黄龍が可哀想になってきた。黄龍のたてがみでもいいなら、僕の髪でも物質だ。それに変わりはないだろう。

 

「良いの? こんなに綺麗な碧色なのに。勿体ないわ」

「良いんです。伸びすぎているので必要なら切って下さい」

 

 そう言いながら氷の短刀を義姉上に渡す。自分のたてがみだって綺麗だと主張する黄龍は無視した。

 

 義姉上に背中を見せる。首の後ろの毛が長すぎる。ちょうどそこが良いだろう。


 義姉上が近づいてくる気配があって、その直後に背中に固いものが当てられた。

 

「義姉上?」

「甘いよ、雫。私に背中を見せるなんて」

 

 チクッとした痛みが背中にあった。義姉上が短刀を僕の背中に当てているようだ。

 

「さっきまで戦闘中だった相手に背中を見せるなんて、不注意が過ぎるよ」

 

 ぐっと短刀に力が入った。背骨の少し横に切っ先が当てられる。でも殺気も敵意もまったく感じられない。

 

「義姉上。ベルさまの親友が僕を刺すはずがないでしょう?」

「…………それもそうね」

 

 義姉上は僕の背から短刀を下ろした。伸びた髪を軽く撫でられる。

 

「この辺まで切って良い?」

「もっと切っても良いですよ」

 

 義姉上は肩の辺りで切ろうとしたけど、もっと切ってもらいたい。切ってもすぐにそこだけ伸びてしまうから、ギリギリまで短くしておきたい。

 

「そんなにいらないよ。これで十分」

 

 サクッと音がして、首の後ろが軽くなる。振り向くと義姉上が毛束を掲げていた。

 

「黄龍閣下。私の戦闘の褒美として、物質の変換の対価を要求いたします」

 

 義姉上は髪を持って黄龍の元へ戻った。黄龍が爪先でチョンッと毛束に触れると、細かい粒子になってすぐに見えなくなってしまった。

 

「図々しいのぅ。自分から褒美を要求するとは、まぁ良いじゃろう。何を変えるのじゃ? お前さんが所有物から選ぶが良い」

 

 義姉上はゴソゴソと腕を動かして、黄龍の目の前に突き出した。

 

「このくしろを。私の魂から引き剥がし、雫にあげてください」

「良いじゃろう。他に言うことはあるか?」

 

 黄龍がそう言うと義姉上は首を振った。外側に跳ねた毛先が不規則に揺れた。

 

「では、大義であった。再び眠りにつくが良い」

 

 黄龍の前足が降りてきた。指が義姉上を包み込む。

 

「あ……義姉上あねうえ

「水精・雫のみちに恵みの雨が降らんことを。父上たちにも宜しくね」

 

 義姉上が手を振っている。けれど黄龍の指に遮られて、すぐに見えなくなった。

 

 予想外の出会いで、衝撃的な交流をし、別れはかなりあっさりしたものだった。

 

「さぁ、侍従武官オトモダチを返してやろう」

 

 黄龍が指を開く。手の中には義姉上ではなく潟さんがいた。

 

「潟さん!」

 

 ドサッと雑に落とされる。駆け寄ってみたけど、相変わらず潟さんは固まったままだった。

 

「心配はいらん。儂から離れればまた動けるようになるはずじゃ」

「本当ですか?」

 

 疑いたくもなる。潟さんは瞬きすらしない。まるで死んでいるかのようだ。

 

「何じゃその目は。……お前さん、この短時間で義姉に影響されたようじゃな」

 

 黄龍が何故か呆れた顔をしていた。義姉上と出会う前から僕も結構失礼だったとは思う。拍車がかかったかもしれない。

 

「それとこれじゃ。義姉からの贈り物じゃな。と言っても材料はお前さんの髪じゃが。全く……儂の髭が材料になるわけなかろう。儂だって魂だけなのに。カカカカ」

 

 潟さんを抱える僕に黄龍が爪を伸ばしてきた。その先に釧が引っ掛かっていた。黄龍が持つと指輪に見えるけど、僕が受け取るとちゃんと腕輪だった。

 

 ベルさまの持っている物と同じものだ。義姉上の対のくしろが、僕とベルさまの手に渡ったことになる。

 

 僕の片手には既に腕輪がある。土理王さまからいただいたかざりだまだ。お互いが引っ掛からないよう、もう片方の手首に嵌めてみる。

 

 計ったかのようにピッタリだった。

 

「さて、お前さんもそろそろ戻る時じゃが、せっかくじゃ。儂も泣の息子に土産をやりたいのぅ」

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