230話 理王と太子と護衛

 あのビクビクしていた無患子むくろじが、そんな高圧的な態度を取るなんて信じられなかった。会話したのは短い時間だったから、信用とか信頼とか、そういったものは残念ながら……ない。

 

 でもそれにしては極端だ。何があったんだろう。

 

「雫の話を聞いた限りでは、そんな感じではなかったけどね」

「そうですね。この短期間で何かあったんでしょうか」

 

 それとも元々傲慢だったのを隠していただけか。いずれにしても無患子を木の王館に繋いでしまったのは僕だ。

 

「僕にも責任がありそうですね」

「まぁね。でも公にはなってないよ。内容が内容だからね。木精の中で知るのは木理と森とごく一部の重臣だけらしいよ」

 

 土理王さまの長時間滞在よりこっちの方が余程深刻だ。責任を取れと言われたらどうしよう。

 

「それであらいさんはどうしたんですか?」

「あぁ。その場は黙らせたみたいだけど、その後どうしたか……今後どうするかは聞いてない」


 黙らせたと簡単に言うけど、桀さんはどうやって黙らせたんだろう。聞いてみたいけど、面倒事を持ち込んだと思われているかも知れない。

 

 これで桀さんに嫌われたらどうしよう。やっぱり木の王館に行ってこようか。釈明くらいはさせてほしい。

 

「雫。こちらから首を突っ込まないように」

「……はい」

 

 ベルさまは僕の心を見透かしたみたいだった。

 

 これ以上の詮索は無用だ。気になるけど、桀さんたちに任せるしかない。

 

「……発言しても宜しいですか?」

 

 潟さんはベルさまと僕の話が終わるのを黙って待っていた。完全に蚊帳の外だったに違いない。

 

「あぁ、どうした?」

「話を戻してしまいますが、雫さまが地獄へ行かれるということですが、私も同行して良いのでしょうか?」

 

 予想外の申し出に潟さんの横顔をマジマジと見てしまった。考えてみたら今まで出掛けるときは潟さんがいつも付いてきてくれた。

 

 ここ最近ひとりで行動することか多かったから、潟さんが一緒に行ってくれるなら心強い。

 

「『王太子の視察』ならひとりで行くべきだけど、個人的な紹介状だから問題ないだろう。私は許可する。だが土理の許可も必要だ」

 

 ベルさまは嫌そうな顔をした。土理王さまに繋ぐのが面倒くさそう。

 

「すぐに頂いて参ります」

 

 潟さんはそう言うと、水に飲まれて姿を消した。行動が早い。今まで居なかった分を埋めるようだ。

 

 ベルさまと二人になる。突然、沈黙が訪れた。


「……どうした?」

「えーっと」


 ベルさまと二人のときって、今まで何を話していたんだっけ。風の音が嫌に大きく聞こえた。


「ベルさまって結婚してるんですか?」

 

 僕は何を聞いてるんだ。

 

「いや、私は独身だけど?」

 

 その答えに何故かホッとしている自分がいた。一方ベルさまは目をパチパチさせている。でもすぐに納得したような顔になった。


せきの家庭を見て、雫も配偶者が欲しくなった?」

 

 どうなんだろう。確かに魂繋への憧れはある。でも……よく分からない。

 

 潟さん夫妻を見て、愛し合える相手がいることは羨ましいと思った。それは事実だ。


「魂繋をすれば、お互い支え合えるからね。知っているだろうけど、異性なら次代こどもを残せるし、同性なら互いの寿命が伸びる」

 

 それは前にも先生から聞いた。混合精について学んだときだ。

 

 ーー精霊の婚姻は魂同士を結びつけ、自分と相手の理力を繋ぐことで成立する。

 

 魂繋を出来るのは一生に一度。相手が同性なら深い友情で結ばれ、双方の寿命が相当伸びる。片方が無事なら、怪我や病で死ぬことはない。結果として理力の安定をもたらす。

 

 一方、異性との魂繋は寿命が伸びるわけではない。それぞれ怪我もするし、死ぬことも消えることもある。でも、次代こどもを残すことが出来るーー

 

 確かこんな感じの話だった。

 

「もし、雫が魂繋を望むなら雨伯に見合いを頼もうか。……それとも意中の精霊がいるのかな」

 

 ベルさまはいつもよりも少しだけ、目を大きく開いていた。瞳の色が薄く見えるのは射し込む光のせいだろうか。

 

 瞬きもせずに僕の答えを待っている。うっかり瞳に見とれそうになって、慌てて否定した。

 

「いえ、そんな方いません。見合いもまだ良いです。僕にもよく分かりません」

 

 友情で結ばれるにしても、愛情で繋がるにしても、支え合える。でもそれだけではなく、守るべき相手が出来るということだ。

 

 今の僕は自分のことだけで、いっぱいいっぱいだ。相手のことをちゃんと守れる出来る自信がない。きっと僕はまだ子どもなのだろう。


「そう。まぁ、いずれね」

 

 ベルさまは僕から目を逸らして、書類に視線を落とした。

 

「ベルさまは……魂繋たまつなしないんですか?」

「ん?」

 

 しまった!

 また余計なことを!

 

 バッと口を手で覆う。

  

 ベルさまが顔を上げて、もう一度僕を見た。瞳の色はいつもの濃い色に戻っていて、吸い込まれそうだった。

 

 ベルさまは書類を下げて、宙を眺めた。すでに仕事に入ろうとしていた手を止めてしまった。


魂繋たまつなしておけば、私は大事な精霊ひとを守れたかもしれないね」

 

 ベルさまの口角が緩やかに上がった。後悔と諦めの感情が押し寄せてくる。

 

 魂を繋げれば、文字通り運命共同体だ。片方が無事なら怪我や病気で死ぬのを避けられる。

 

 ベルさまが想っているのは、きっとひさめさんのことだろう。こういうとき、何て返せば良いのか分からない。

 

 でも幸いなことにタイミングよく大きな波が上がった。潟さんが早々に戻ってきてくれた。

 

 おかげで重苦しい雰囲気が破られる。少しホッとして、肩の力が抜けた。


「ただいま戻りました」

「潟さん、随分早かったね」

 

 紹介状を貰うのに結構かかった。なのに追加の許可は随分早い。

 

「ちょうどゆたか……失礼、垚さまが帰館したところへ鉢合わまして、土理王さまに塩の礼を兼ねて、急ぎ取り次ぐよう脅……いえ、お願いしましたところ、快く受けてくれました」

 

 潟さんの笑顔が深い。

 土太子を脅すのは止めよう。いや、土太子じゃなくてもダメだけど。

 

 潟さんは確かに強い。でも土剋水どこくすいの原則だと、土精は水精に有利なはずだ。しかも相手は土太子。


 勿論、潟さんだって本気で脅したわけではないだろうけど、そんなに簡単に通って良いのか。

 

「塩水を嫌がる土精もいるからね。潟が本気で怒ったら土精にとって面倒だろうね。で、許可証は出たのか?」

 

 ベルさまが真面目な顔で尋ねた。垚さんのことはどうでも良いと言わんばかりだ。

 

「出たには出たのですが、残念ながら私がお供できるのは途中までだそうです」

「……そうか。分かった」 

 

 ベルさまは頷くと、サラサラと紙に何かをしたため始めた。


「途中ってどこまでだろう。場所が分からないんだ」

 

 地獄の場所も分からないのに、途中と言われても困る。道に迷うことは確実だ。そもそも出発できない可能性がある。

 

「それも確認してまいりました。明日、土師クリエイターを案内に寄越すそうです。ご都合はいかがですか?」

 

 都合と言われても、これといって用はない。指定された場所への視察は終わっている。潟さんも無事に連れ帰った。

 

「先生のことは気になりますけど」

 

 そう言いながらベルさまを見る。こっちを見ていたベルさまと視線がぶつかる。

 

「潟だけ戻ったということは、漣はまだ戻りそうにないな。あの爺、一体何を企んでいるのか」

 

 息子さんを目の前にして爺呼ばわりはどうなんだろう。そう思ったら、潟さんもうんうん頷いていた。

 

「潟。正式に理王の近衛から外す。その上で王太子付きの侍従武官に任ずる。雫に同行し、これまで同様、誠心誠意仕えるように」

 

 ベルさまが書き終えた紙をクルクル巻き上げた。それを潟さんに差し出す。

 

 潟さんはそれを恭しく受け取って、ベルさまに跪いた。

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