196話 空の旅

「しししししし雫っ! おおおおお落ち落ち落ち」

「大丈夫です。落ちません」

 

 僕とあらいさんは北へ向かっている。北東の高位水精・今手いまて川へ行くついでに、北西の天形盆地まで桀さんを送る途中だ。

 

「そそそそそそ某、まだ風をうまく使えないのでおはぇーー!」

「桀さーん、下見ない方が良いですよー」

 

 送ると言っても、桀さんが雲に同乗しているわけではない。桀さんは大きな葉っぱに乗って空を飛んでいる。

 

 風で飛ばしている雲から、更に新しい風が生まれる。桀さんはその風に葉っぱを乗せているようだ。葉に乗るその姿が王太子だった木理王さまに重なった。

 

 少し前にこうして並んで、花茨城へ飛んでいった。そこで出会った桀さんと今、並んで飛んでいると少し縁を感じる。

 

「せせせせさ先代から貰った桜桃さくらんぼが早く飛べとかして来るのでおひゃーーー!」

 

 桀さんの葉っぱが急にスピードを上げた。桀さんの首がガクンと後ろに引っ張られる。

 

「け、桀さん、待ってっ!」


 桀さんはものすごい勢いで飛んでいく。風を無視しているみたいだ。しかも方角を少し西へずらしている。

 

 その方向は天形盆地だ。自分の意思で進路を決めているように見える。

 

「桀さん!」

 

 ようやく追い付いて桀さんの葉っぱを掴む。けど葉っぱはスピードを落とさないどころか、更に加速した。

 

「わっぷ」

 

 葉っぱの端を掴んでいるので、僕も雲ごと引っ張られる。口を開いていたせいで、空気が一気に入ってきた。一瞬で口がカパカパに乾いてしまう。

 

 でも葉っぱを放さなかったのは幸いだった。掴んだところから大きな理力が蠢いているのが分かった。

 

 この理力は感じたことがある。先代木理王さまの理力だ。僕の持つ桜桃さくらんぼからも僅かに感じ取ることが出来る。それと同じだ。


「これって……桀さん、桜桃さくらんぼはどこですか!?」


 耳元で風がビュウビュウ音を立てる。自然と大きな声になってしまった。桀さんは振り落とされないように必死で僕の声を聞いていない。

 

 一生懸命声をかけても、風の音に消されてしまう。この風はどこから吹いてくるのか。あまりにも近くで鳴るので耳鳴りがしてきた。


 ふと桀さんの腰に目が向いた。緑色の服に合わない奇抜な色の袋だ。強い主張をしている色に自然に視線が惹き付けられた。

 

「桀さん、失礼します!」

 

 引きちぎる勢いで桀さんの腰から袋を奪った。袋の紐が一本切れてしまった。

 

 少し重みのある袋から風が生まれている。それに乗ってうたが聞こえる。

 

 

 

『伸びろや伸びろ

不離の草木よ

この世の行の蠹毒とどくちて

この世の悪を跳ね返せ


立てよ立て立て

結える草木よ

この世の行のしるしとなりて

この世の善をつどわせろ』 

 

 

 

 聞いたことがあるような……ないような……。どこか懐かしさを感じる。こういううたを何度か聞いたことがある。

 

 泉が涸れたとき。それと焱さんが重傷だったときだ。

 

 うたが止むと、葉は徐々に速度を落とした。頬に当たる風は穏やかなものに変わっていた。

 

「……と、止まった」

 

 桀さんは呆然としている。疲れきってしまった顔をしている。

 

 ちょっと失礼して袋の中を見る。片手に収まるほどの袋だ。あまり大きくないけど、中には桜桃が詰まっていた。ざっと見た感じだと、十数個はあるだろう。

 

「これ、全部、先代木理王さまの桜桃さくらんぼですか」

「そ、そうです。ご、ご実家の親族にお分けするのだとか」


 桜桃同士がぶつかってカチカチと音を立てる。果物とは思えない。先代木理王さまの理力が限界まで込められて、石のようになっている。

 

「木理王さま……早くご実家に帰りたいのかもしれませんね」

「そそそうかもしれません。り、理王になってからは帰っていないそうですから」

 

 木理王さまの出身地・天形あまかた盆地はもうすぐだ。飛ばしたせいで予定よりかなり早く着きそうだ。

 

 桀さんもまだ風をうまく使えないと言う。きっと先代木理王さまの理力を、うまく御せなくて暴走してしまったんだろう。


 再びゆっくり飛びながら談笑を続ける。ちょっとハプニングもあったけど、空路はなんとか順調だ。

 

「雫、この辺で良いですよ。いい今手川は、ここからまだ距離があります」

 

 桀さんにそう言われて、一旦雲を止める。改めて地図で確認すると、今手川はここから更に北東だ。

 

 桀さんの目的地は西へあとちょっとだから、ここで別れた方が良い。でも……。

 

「僕も一緒に行って良いですか?」

「へ?」

 

 桀さんの方が王太子としては先輩だから、普段は教えて貰うことが多い。でも今、僕が預かったままの袋を返せば、また暴走してしまうかもしれない。

 

「そそそ某は構わないです。寧ろ、ありがたいと言うか。でっでででででも雫、自分の視察があるでしょう」

 

 桀さんが訝しげな眼差しを向けてきた。僕だって流石に自分の仕事を蔑ろにするつもりはない。

  

「予定より早く着きそうなので、僕も先代木理王さまの育ったところを見てみたいです」

 

 水太子が木精の所に寄ってはいけないというルールはないから大丈夫だろう。

 

「でででは一緒に行きましょう」

 

 雲と葉を並んで降下させる。ちょっと寄り道になるけど、あまり遅くならないようにしないといけない。

 

「よいしょ」

 

 地に足を着けて雲を消した。柔らかい草が地面を覆っている。例え雲から落下しても受け止めてくれそうな感じだ。

 

 僕が緑の大地に見とれている間に、桀さんは乗ってきた葉を、スルスルと折り畳んでいた。

 

 畳んでも畳んでも厚みが出ないのが不思議だ。葉脈とか細胞とか崩れないのかも心配だけど、木精には木精のやり方があるのだろう。僕がとやかく言うことではない。

 

 桀さんは折り畳んだ葉を耳に挟むと、髪でサッと隠してしまった。あまり長くない髪の間から、葉が見え隠れしていた。

 

「雫、すみませんが、某のうううう後ろから付いて来てください」


 桀さんが申し訳なさそうに言う。隣に立ってしまっていたけど、ここは木精の領域だ。木太子が優先されて当然だ。

 

 水精とのトラブルがあれば水太子も出番なんだろうけど、今回は弔問だ。本来なら僕が来る用ではない。

 

「すみません。気づかなくて」

 

 桀さんが草を踏み分けて林へ向かう。僕はその後ろから付いていく。桀さんは体が大きいので前が良く見えない。僕も背が伸びたとはいえ、焱さんや潟さんには及ばない。

 

 足元のフカフカした草に足を取られないよう、注意深く歩を進める。


「ここですね」

 

 草がいっそう深くなったところで桀さんが足を止めた。

 

 初めは樹木が自由に生え、密集していると思った。けど、良く見たら左右にキチンと並んでいて、伸びた枝がトンネルのようになっている。僕たちはそのトンネルを通ってきたらしい。

 

「木太子・しん! 先代木理王崩御を受け、形見の品を持参した! 天形あまかたの管理者はいるか!」

 

 一瞬、目を見張った。ついでに耳を疑った。桀さんの顔は見えない。でも見たことないくらい胸を張っている。それが背後からでも分かった。しかも聞いたこともないくらい堂々とした声だった。

 

 今の……………………………誰?

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