180話 儀の後
「ちょっと手先が狂ってしまったのだ。耄碌したのである!」
そんな子供の姿で耄碌って言われても……。
謁見の間に集った精霊たちがざわめき始めた。近くの精霊同士で顔を見合わせたり、囁きあったりしている。
明らかに僕を指差している精霊もいた。別に不快ではないけど、何を言っているのか知りたいような知りたくないような……。
「雨伯、貴方ともあろう方がおかしなことをなさる」
突然響いた若い声に謁見の間がシーンと静まり返る。囁きあっていた声がピタリと止まった。
最前列の一番左側からだ。そこは
ここからでも黒髪に艶があるのがよく分かる。肌の艶といい若さに満ち溢れている。
「わっはは。我輩の失態であるな、
失態という言葉とは裏腹にどこか楽しそうだ。雨伯は再び足をバタバタさせている。
「そうそう。彼にとって『氷柱は床に生えるもの』らしいから」
後ろの方でもう一度悲鳴が上がった一部で列が乱れる。ひとり倒れたようだ。本人は見えないけど、少しスペースが空いていて、何人かが手を貸している様子が見える。
「ねぇ、王太子さま?」
澗さんが視線をクッと僕に絡ませる。敵意も悪意も特に何も感じなかった。
今の流れだと
僕が氷柱で足を傷つけられそうになったことに気づいていたようだ。敵討ちでもしてもらったんだろうか。
お礼を言うのはおかしいけど、何か返答しないと……。
「雨伯への許可は出したが、
ベルさまかっこいい!
僕の代わりに応えてくれた。でも見上げた顔は心なしか曇っている。
「大変に失礼致しました。以後慎みます故、何卒ご容赦を」
「赦す。座るがよい」
「ありがたき幸せ」
ベルさまも本気で怒っているわけではないのであっさり許す。なのにどこか不機嫌そうだ。
一方、怒られたはずの澗さんは楽しそうに見える。
いや、ちがう。楽しそうというよりも、母上が僕を見るような、そんな目でベルさまのことを見ている。色々な理力が混ざって感情が読み取れない。
「
ベルさまの宣言で儀が終了する。ハプニングもあったけど、なんとか最後まで出来た。
「雨伯並びに玄武伯名代は残るように。それ以外は退出せよ」
最後列から精霊が退場していく。一方、
しばらくすると残った五、六人の
「そなたら、早く帰るのである! 謁見したいならちゃんと手続きを踏んでから来るのである!」
雨伯が駄々っ子のように叫ぶ。体を半回転させて椅子の上に座り、背もたれを両手で掴んでプンプンと怒っている。
怒鳴られた仲位はビクッとしてほとんどが出ていった。
……なるほど。残っていた仲位は謁見したかったのか。ちゃんと手順を踏まずに話を聞いてもらおうとしたわけだ。
登城ついでにあわよくばって感じなんだろうけど、それは虫のいい話だ。
「しぶといな」
ベルさまがボソッと呟いた。
あとひとり
「おぉおおぉ御上、恐れながら先日提出致しました
どもってるけど見上げた度胸だ。
ベルさまは怒りを通り越して呆れている。
「御上は本日二件の謁見が予定されている。謁見を希望なら予め申請をするように」
僕が帰るよう促した。立場的に僕が言う必要があると思ったんだけど、それが良くなかったのかもしれない。
僕が話に応えたと解釈したのか、それとも僕の話を聞く気がないのか、ペラペラと勝手に喋り出した。
「恐れながら淼さま。私は
よく喋る!
断られると言う発想はないのだろうか。この絶対的な自信はどこからくるんだろう。
大体、身上書って縁談のときに使う情報だ。僕に自分の娘との
「いかがでしょう? 妻に似て美しい娘なのです。それだけではありません。美しい歌声を持っております故、淼さまのお疲れを癒すことも出来ましょう。それとも息子の方が宜しいでしょうか」
何て言って断ろうか。
ベルさまはうんざりしているし、下手に断って関係が悪くなるのも避けたい。
「帰れと行っておるのだ!
雨伯がキレた。雨伯に小童って言われても。
「割り込みは推奨しないね。私は早く帰りたいんだよ」
重ねて澗さんが人差し指をピント伸ばすと今度は瀧が現れた。雨に重なるように瀧が落ちてくる。
この瀧がどこから来るのか気になって上を見ると、何故か天井から湧き出ていた。
「両名ともそこまで」
しばらくしてからベルさまがふたりを止めた。その一言で水かきれいに止まった。それどころか床は濡れておらず、幻覚でも見ていたのかと思ってしまう。
「折角だが、私に不足はない。また淼の側仕えは既に数名決めている。身上書は返却しておこう。後日受けとるが良い」
ベルさま? 僕それ初耳なんですけど。
無言で訴えたけど目も合わせてもらえなかった。
誰かに仕えてもらうほど偉い精霊じゃないし、自分のことは自分で出来る。何なら僕がベルさまのお世話をしていたいくらいだ。
初老の精霊はふたりの伯位から攻撃されてぐったりしている。それでも何とか立ち上がり、肩を落として去ってしまった。
「全くもって不相応な地位であるな!」
雨伯が捻っていた体を戻して短い足を組んだ。椅子が溶けそうな勢いだ。
「あれで流没闘争の際は活躍したって言うんだから……」
澗さんが呆れたように伸びをした。その呆れ顔に僅かな既視感を覚える。
「そうである。だから調子に乗っておるのだ。流没闘争の功績を鼻にかけて重臣に就こうと言うのである。うちの
今の雨伯なら海も沸かせるかもしれない。それくらい怒っている。養父の新たな一面を見た気がした。
話が切れたところでベルさまが口を開いた。伯位ふたりは勝手に喋っていて良かったんだろうか。
「雫の立太子への助力に感謝する。
ふたりの前に小箱が現れる。中にはそれぞれ別の品が入っているはずだ。
「ありがたく頂戴するのである」
雨伯は怒っていた顔をパッと綻ばせて小箱を受け取った。表情がコロコロ変わる精霊だ。一方、澗さんは黙ったまま恭しく受け取っている。
「さて、本当は養息子とゆっくり祝いの杯でも交わしたいが、今日はカズを上に待たせておるのだ。御上、我輩はここで失礼するのである」
大義であるというベルさまの言葉を待って雨伯が出ていった。それと同時に椅子も消える。
「……」
「…………」
残っているのは
「会うのは二百年ぶりだね。元気そうで嬉しいよ」
澗さんがやっと口を開いた。懐かしむその台詞は僕に向けてのものではない。けれど理王に対する口の聞き方ではない。さっきはあんなに畏まっていたのに。
「……兄さま」
混乱する僕をよそにベルさまが小さく呟いた。
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