176話 新たな淼

 淼さまが待ってる!

 

 帰り道は分かる。何の印もないけど、ただ前に進めば良いだけだ。

 

『バイバイ』

 

 水柱が別れを述べた。魄失にされてしまった前とは状況が違う。自分でも少し余裕があるみたいだ。ちょっとだけ好奇心が湧いた。

 

「貴方は何者なんですか?」

『ボク? ………………さぁ、誰カな?』

 

 外へ向けた足はそのままに首だけ捻って尋ねる。そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、水柱が答えるまでに少し間が空いた。


「貴方はいつもここにいるんですか?」

 

 質問に質問で返された。答えてくれないと悟り、別の質問を重ねる。

 

『そうダよ。支えル柱がナかったラ崩れルでショ。どウシテそんなこト聞クの?』

 

 水柱が後ろから回ってきて、僕の目の前に立った。


「また来ても良いですか?」 

『はェア?』

 

 変な返事がきた。それは肯定なのか、否定なのか。

 

『もウ来なクて良いんダヨ?』

「僕が来たいんです」

 

 水柱が急に真面目になった。さっきまで僕を試してばかりだったけど、やっとまともに会話ができるようになった。


「貴方が言うように僕は昔のことをあまり知らないんです。もし貴方が良ければ、また僕に過去を見せてもらえませんか?」

 

 本や資料だけでは学べないことがある。それは先生がいつも言っていることだ。体験して得るものはとても貴重だ。

 

 辛い過去も悲しい歴史も、僕はもっと知らないといけない。

 

 この水柱の言うとおり、僕が過去を恐れているのだとしたら、それを克服しなければいけない。

 

『……本当に成長しタ。きよらに……いヤ、当代理王に感謝。イツ来てモ良イよ』

 

 水柱が僕から遠ざかった。見送ってくれるみたいだ。

 

『マタね、るい

 

 視界が歪んだ瞬間、四方の瀧はなくなっていて、水鏡の外に出ていた。振り返って出てきたばかりの水鏡に手を当てる。

 

「お帰り」

 

 懐かしい声に思考が止まる。自分の顔の隣に淼さまの姿が映っていた。

 

 淼さまが後ろにいる。振り向きたいのに体が強張って動けない。

 

「ただいま、は?」

「た、ただいま帰りました」

 

 ふっと笑う気配がしてゆっくり振り返る。淼さまは階段に座って僕をじっと見ていた。

 

「びょ……」

「その名で私を呼ぶな」

 

 しまった!

 またやってしまった。僕はバカだ。昨日、強くそう言われたばかりなのに、また同じ過ちを犯すなんて……。

 

「まぁ、すぐには慣れないね」

 

 いつもの優しい淼さまだ。また怒られるかと思ったのに、淼さまは仕方ないと言うように苦笑している。

 

「あの……」

「昨日は悪かった。少し気が立っていたので、強く言い過ぎた」

 

 淼さまが僕に謝罪をしている。何で淼さまが僕に謝るのか理解できない。

 

「いえ、勝手に出掛けた僕が悪くて……その」

 

 もごもごしている僕に淼さまは続ける。

 

「雫が外出するように仕向けたのは私だ。闇の精霊の性質を利用して、雫を外へと誘い出した」

「闇の……あっ、く、暮さんはどうなったんですか!?」

 

 昨日、帰ってきてから会っていない。朝になってちゃんと元に戻れたんだろうか。

 

「あれはしんの管轄だから、まだどうするかは聞いていないな」

「そうですか……」  

 

 無事だと良いんだけど……複雑だ。

 

 元に戻るってことは免との繋がりもきっと戻る。暮さんに自覚がないとはいえ、免の配下を王館に置いておくことになる。

 

「これは先ほど受け取った。私にだって聞いたけど、貰って良いのかな?」

 

 淼さまは袖の中に手を入れて貝の腕輪を取り出した。それは暮さんと一緒に石になってしまったはずだ。

 

 腕輪がここにあるということは暮さんもきっと石から戻れたんだろう。

 

「ど、どうぞ」

「まさかこれを買いに行ったとはね。ありがたく使わせてもらうよ」

 

 淼さまはその場ですぐに腕輪を嵌めてくれた。白い手首に白い腕輪がとても馴染んで見えた。

 

「僕、び……御上に会ってもらえなくて、もう必要ないんじゃないかと思って」

「うん」

 

 淼さまが相づちを打ちながら、足を組み換えた。少しだけ動きがぎこちない。

 

「贈り物をすれば喜んでくれるかと思って、勝手に出ていったんです」

「うん」

 

 淼さまを物で釣ろうなんて、今考えるととても浅はかだ。

 

「すみませんでした。言いつけを破ってしまって」

「うん」

 

 淼さまは何かを感じたように、ふと上を向いた。天井に何かいるのだろうか。僕もつられて上を見たけどただ暗い天井があるだけだ。

 

「雫にキツい言い方をすれば、王館から……いや、私から離れていくかと思ったけど、一晩中部屋でぼーっとしてたんだって?」 

 

 淼さまが視線を僕に戻して、苦笑している。淼さまは何でもお見通しだ。

 

「雫が出ていくなら最後のチャンスだと思った。でも雫は王館ここに残った」

 

 ひとり語りなのか、それとも僕に言っているのか、よく分からない。何て返事をするべきか。

 

「雫、もし嫌なら、泉に帰っても良いよ」

 

 クビだとばかり思っていた。でも『帰っても良い』ってことは、言い換えれば『帰らなくても良い』ってことだ。

 

「……僕、ここにいて良いんですか?」

「雫が臨むならね。ただ……」

「じゃあ、ここにいたいです!」

 

 淼さまの言葉を遮ってしまった。失礼だったかもしれない。

 

 淼さまは口をキュッと結んだ。眉も寄っている。一見不機嫌に見えるけど、そうではなさそうだ。

 

「それなら……私も雫に贈りたいものがある」

 

 淼さまが立ち上がって数段上から僕を見下ろす。その目は決意に満ちていて、少しだけひさめさんを思わせた。


「何かいただけるんですか?」

 

 図々しい言い方だったかな、と思ったけどこの期に及んでどんな言い方をしても同じだ。

 

 淼さまが僕を手招きする。階段下まで近づくと体が勝手に動き、膝をついてしまった。気づいたときには淼さまに向かって頭を垂れていた。

 

仲位ヴェル・雫」

「……は」

 

 ナニコレ?

 何が始まるんだ?

 まさか今から罰が言い渡される!?

 

 許してくれたと思っていたのは勘違い?

 心の準備ができていない。

 

「人格、能力、品位ともに相応であり、功績を鑑みるに適任である。よって、ここに涙湧泉るいゆうせん・雫を王太子とし、淼の名を承継させる」

 

 淼さまの声が後ろの水鏡にぶつかって、階段をかけあがり、玉座を飛び出る。謁見の間を満たした声は水の王館を抜けて、各王館へ広がり、王館を出て世界へ広がっていった。

 

「は……拝命イタシマス」

 

 今度は口が勝手に動いた。

 

 雫という名が魂の奥底で満たされる感じがした。僕自身がたっぷりと満ちた水に包まれる。

 

 包み方は優しく暖かいのに、ひんやりとした心地よさがあった。その冷たさがこころを満たしていく。 


「今から雫が『びょう』だよ」

 

 顔をあげて御上・・の顔を見る。その顔は少しだけほっとしたように見えた。

 

「雫を淼と呼ぶのは違和感があるね」

 

 御上の苦笑いが乾いている。

 御上は体を反転させて、階段を昇り始めた。慌てて後を追う。

 

「僕………………………………王太子なんですか?」

 

 御上の足がピタリと止まった。階段の途中で止まるのは少し危ない。

 

「……やっぱり嫌だったか。もっとちゃんと意思を確認するべきだった。でも、もう取り消しはできない。魂が王館に……ルールに組み込まれてしまったから、もうどうすることも」

 

 御上がいつもより早口で息継ぎもせずに話している。少し珍しいものを見た。

 

「いやっ、あの、違います。嫌とかじゃなくてですね。僕、王太子なんて想像してなかったし、考えたこともなかったので、そのー……僕で勤まるかどうか不安で、それにえっとー……ずっと淼さまって呼んでたから呼ばれるのに慣れてないっていうか」

 

 御上につられて僕も早口になってしまった。何を言ってるのか自分でも分からなくなってきた。

 

 でも御上の役に立てるならなんでも良い。侍従でも王太子でも、どんな役立って勤めるし、役職なんてなくたって良い。

 

「それなら今まで通り、雫と呼ぶよ。私もその方がいい」

 

 先を行く御上の顔は見えない。でもその声はさっきより明るかった。

 

「ありがとうございます、御上」

 

 御上が再び歩きだした。かなり上の方だけどもう玉座の模様が見えている。

 

「でも雫がそのままで、私だけ御上なのは不平等だな」

 

 そんなことを言われても淼さまとは呼べないし、真名は知らない。

 

「なんてお呼びすればいいですか?」

 

 僕がそう聞くと御上は一瞬キョトンとした。まるで知ってるでしょと言わんばかりだ。こんな淼さまの顔、初めて見た。

 

「それは……そうか。そうだったね。それじゃあ……そうだな」

 

 御上が意味のない指示語を連発する。辿り着いた扉にそっと手を添えている。ちょっとでも力を加えれば扉は開くだろう。

 

「流石に真名を呼ばれるのは良くないから、『ベル』でいい。ベルと呼んで」

 

 そう言いながら、そっと扉を押し開く。謁見の間に戻れるはずだ。

 

「ベルさま……」

 

 ーー大好きよ、ベル。ずっと一緒に見てるから。平和な世界を作ってね。

 

 霈さんの声がはっきり聞こえた。でも動揺は訪れない。むしろひさめさんが僕の背中を押してくれているように感じた。

 

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