175話 過去との出会い
『成長しタネ』
「同じ手は食いません」
内心ドキドキしているけどわざわざ言うこともない。
『そうダね。前と怖いモノが変わッた。君が今怖イノは……コッチだネ』
再び現れた水柱が足元に潜ってしまった。その直後、周りの景色が変わる。
暗くて明るい以外何もなかった場所が、見慣れた王館の内部に変わった。ここは三階の廊下だ。窓の数や電飾の位置から判断して間違いない。
でもあちこちに見たことのない調度品が置いてある。廊下にこんなに大きい物が置いてあったら掃除の邪魔だ。気づかないはずがない。
例えば白磁器の壺。花瓶では大きいし水甕では小さい。何に使うものだろうと思いながら見ていると、触ってもいないのに壺が落ちてきた。
「え……ぅわっ!」
咄嗟に出した手をすり抜けて、壺は床にぶつかりくだけ散った。足下に破片が散乱している。
僕の足はその破片も通り抜けている。試しに破片を拾ってみようとしたけど、すり抜けて何の手応えもない。
「一体、何が……」
屈んだまま思案にくれていると、窓が一気に吹き飛んだ。思わず窓から離れた。
あちこちから喧騒が聞こえる。王館でこんなに大騒ぎになるなんて、一体何が起こっているんだ!?
「
「淼さま!」
「医務班を呼んで参れ! 早く!」
淼さまの声だ!
その他に数人の声が混ざっている。恐る恐る振り返ると、廊下の一角に淼さまと数人の精霊が集まっていた。
「淼さま……」
当然ながら返事はない。近付いてみても誰も僕には気づかない。ひとりの精霊が僕をすり抜けてどこかへ駆けていった。
この世界で僕だけが異質だ。僕がいない間に何が?
いや違う。淼さまが、淼さまだけど淼さまじゃない。
自分でも何を言ってるか分からない。でも淼さまが僕の知っている淼さまではない。
髪は鑫さまのように高く結い上げ、若さを活感じさせる。けど鑫さまと違い真っ直ぐな銀髪だ。天の川というより瀧のようだ。
真っ黒な服は今の装いと違って袖が短い。かなり動きやすそうだ。
廊下の床に膝を付き、何かを抱えている。
「
霈さん……が、なんで王館に。
ダランと下がった腕には
近づいて淼さまの膝の上を覗き込む。霈さんの上半身の真ん中に信じられないくらい大きな穴が開いていた。
血は一滴も出ていないけど、生きているかどうか怪しい。一方、怪我の割に顔色は悪くない。肖像画で見た霈さんの姿そのものだ。
雨伯に似た白い髪。その髪は顎の辺りから外に跳ねている。瞳は澄んだ青のはずだ。けど、閉じられていて確認はできなかった。
「淼さま、お急ぎください! すぐに即位を!」
僕の知らないお付きの精霊が淼さまを立たせようとしている。
「霈が……」
「霈は……大丈夫です。早く参りましょう。王館が崩れます!」
腕を引いて何とか淼さまを立たせるも、淼さまは霈さんを放そうとしない。
王館が崩れるというお付きの言葉通り、電飾がひとつ落ちてきた。思わず頭を庇ったけど、電飾は僕の体をすり抜けて砕け散った。
「淼さまっ、危なっ……!」
お付きの精霊がひきつった声をあげた。最後まで言葉を紡げずに轟音の中へ消える。
「おいっ!」
淼さまの大声に顔を上げる。お付きの精霊がいなくなっていた。淼さまは窓枠に片手を掛けて外を見ている。何かぶつかって外へ放り出されたのかも知れない。
「……って」
「
淼さまが再び膝を付いてしまった。さっきから地震のような揺れが生じている。今度は絵が落ちてきた。
「……行って、は、やく」
「霈。喋らなくて良い。すぐ良くなるから」
淼さまが霈さんの体に空いた穴を手で塞ぐ。それを霈さんが遮った。淼さまの手に重ねた手は震えていて、力が入っていないようだ。
「早く、理王になって。この……馬鹿げた戦いを終わらせて」
「でも、霈の治療が先だ」
淼さまがこんなに焦っているのを初めて見た。顔を覗き込むと今にも泣きそうな顔をしていた。
こんな表情の淼さまを見たことがない。
「だめ、間に合わ……い。私は少し、寝るから、行って。大丈……、寝……だけよ」
二人に近づいて霈さんを見下ろした。晴天をそのまま閉じ込めたみたいな瞳だ。油断していると吸い込まれそうだ。
「大好きよ、……ル。ずっと一緒に……てるから。平和な……界を作っ……ね」
霈さんは途切れ途切れに、そこまで言うと目を閉じてしまった。空が見えなくなる。
「……」
淼さまは霈さんをぎゅっと抱き締めた。背中がとても悲しい。でも悲しいだけじゃない。悔しさ、怒り、不安、そして僅かな期待。色んな感情が現れていた。
「淼さま」
慰めてあげたかった。霈さんごと淼さまを抱き締めて大丈夫だと言ってあげたかった。
淼さまはゆっくり霈さんの体を下ろすと、丁寧に自分の上着をかけた。体の穴が分からなくなって、仮眠をとっているように見える。
淼さまはスッと立ち上がると、冷たく固まった表情のまま、一目散へ走り出してしまった。激しく揺れる王館の中をふらつきもせずに。
後を追うべきだろうか。でも……。
「し、ずく」
霈さんが僕を呼んだ。まだ生きてる!
「霈さん! しっかり!」
手を握ろうとして空を切る。自分が部外者だったことを思い出した。
何やってるんだろ。
霈さんが僕を知るはずがない。霈さんが呼んだのは僕じゃなくて、実の末弟である雨垂れの
「
霈さんが目を開いた。でも焦点が定まっていない。もしかしたら見えていないかもしれない。
両腕を宙に持ち上げて何かを掴もうとしている。掴むというより抱きかかえるような……そんな仕草だ。
霈さんには何が見えているんだろう。今、この瞬間は慈しみに満ちた優しい顔をしていた。
「しず、く……あ、の
持ち上げた腕がサラサラと溶けていく。
ただ鋺さんは灰が残ったけど、霈さんは空気に溶け込むように消えていく。腕がなくなり、肩まで溶けて……その頃には足はなくなっていた。
「霈さん……」
僕の声が届くわけはないけど、声をかけずにはいられない。出来ることなら手を握ってあげたい。
霈さんの顔に苦痛は見えない。ほっとしたように見えるけど、瞳は爛々と光っていた。焦点があっていないはずのに、強い意思を感じさせる目だ。
「また……ね、……ル」
最後にそういうと霈さんは何も残さず消えてしまった。後には淼さまの上着が残っていて、それが静かに床へ落ちた。
上着の背中には知らない紋章が縫われている。そこを凝視していると視界がぐにゃりと不気味に歪んだ。
『あ、普通に帰っテキた』
気づけば目の前に水柱が立っていた。けれど逃げるとか、身構えるとか、そんなこと考えている余裕はなかった。
「今のは……何ですか?」
霈さんと淼さまの別れの場面に立ち会った。思いの外、衝撃的だった。
『過去ダよ。ボクは王館で起こっタコとは全部知っテる』
「何であんな……僕に見せたんです」
精一杯睨んでみた。でも顔がないので、どこを睨めば良いのか迷ってしまう。
『君ガ過去を恐がっテタから』
水柱は淡々と答える。
『君が恐れてイるノは、隣ノ場所ヲ失うコと』
何の隣?
誰の隣?
そんなの聞かなくても分かっている。
『元々、君が存在しナイ過去はモット怖い。過去に君の居場所ハないかラね。君の知らナい誰かガ、既に隣かにイルかラ』
僕が知らない戦い。僕が知らない淼さま。僕が知らない精霊。
『デもちゃんト、飲み込まれズに帰っテキた。ダから今度は合格ダよ』
周りがパッと明るくなった。四方に瀧が流れていて、細かい
『行っテ良いヨ、
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