167話 影の通り道

「では木太子ところへ行って参る。しばし待つでござる」

 

 隣の部屋という近距離の言葉に僕の軟弱な意思は崩された。

 

 王館から出ることは出来ないので、最初は首を縦に振らなかった。すると、暮さんは更に魅力的な説明をしてくれたのだ。

 

 暮さんも罪人なので無断で外出は出来ないそうだ。けど、暮さんの影の端を王館にいるあらいさんの影に結んでおくと、全部は王館から出たことにはならないそうだ。


 王館から出たことにならないなら大丈夫かとお願いしてしまった。けど、そうは言ったものの……もし、その間に淼さまが帰ってきたらどうしよう。早く戻ってこないと。

 

「雫どの、お待たせしたでござる。念のため、木太子の許可も取ってきたでござるよ」

 

 桀さんの許可が下りたことに少し安心した。それなら行っても大丈夫だろう。

 

 暮さんは僕の部屋で手頃な影を物色し始めた。入りやすさを優先して、床よりも壁に出来た影を探しているようだ。

 

「これでござるな」 

 

 壁に映った机の影が気に入ったらしく、湯加減を確かめるように手の先をちょんと影に浸けた。固い壁を思わせない、その波紋に少し親しみを覚える。

 

「拙者、水の市は初めてでござる。この先にちょうど建物があったので、繋がせてもらった。大きさは二人でも余裕でござろう」

 

 ふと自分の格好を見下ろすと、水理王の紋章が目に入った。こんな立派な服を着ていたら、騒ぎになるかもしれない。暮さんに少し待ってもらって着替えを済ませる。

 

 昔、着ていた茶色い服だ。背が伸びてしまって腕も足首も出てしまっているので、布を巻いて隠した。

 

「では参る。拙者の一歩後から来るでござるよ」

 

 暮さんから一歩遅れで壁に向かう。それでも半分ぶつかるような気がして一瞬、目を閉じてしまった。けど、その心配は杞憂だった。

 

 辺りのガヤガヤとした賑わいに目を開けると、もうそこは王館の僕の部屋ではなかった。

 

「市の裏道のようでござる。良いところに出た」

 

 建物の角から表通りを覗き込むような格好で隣で暮さんが喜んでいた。

 

「雫どの。市で何をしたいのでござるか? 夕暮れまでに戻らなければならないでござるよ」


 桀さんからは夕方までに戻るようにきつく言われたそうだ。太陽が沈むと影がなくなって今日中に戻れなくなってしまうらしい。


 暮さんが僕を置いて表通りに行こうとしたので急いで付いていく。

 

 前回、水の市に来たときはひどい目にあったけど、今見る限りではそんなに治安が悪いとは思わない。むしろ穏やかで、でも静かすぎず活気があって、全てが品良くまとめられている。

 

「何か欲しいのでござるか?」

 

 そう言えば何を贈ればいいんだろう。良く考えてから来るべきだった。

 

「えっとー……お、御上に贈り物を」

 

 焱さんにも昔言われたけど、理力も一流、持ち物も一流の水理王に、水の品をあげることに意味があるのかちょっと疑問だ。

 

「水理王は幸せ者でござるな。特別な理由もなく臣下から贈り物とは」


 暮さんが意外そうな顔をしつつも、ニヤニヤし始めた。

 

「日頃の感謝を示したいんです」

「雫どのは水理王が大層好いているのでござるな」

 

 好きというのは恥ずかしいけど、そんな言葉では表しきれない。好意も感謝も尊敬も恩義も……全部一言で表す言葉があればいいのに。

 

「よし。拙者も手伝おう! 昔、姉上に贈った品を何度もダメ出しされてござる。その結果、目利きには自信があるでござるよ。雫どのが敬愛するその女性に相応しい品を選ぶでござる!」

 

 暮さんはとても楽しそうだ。手首の枷がなければ罪人ということを忘れてしまいそうだ。

 

「いや、淼さまは女性じゃ……」

「お、これはどうでござる?」

 

 聞いちゃいない。

 

 暮さんが手に取ったのは淡い桃色の貝で出来た耳飾りだった。装飾品と雑貨の棚のようだ。

 

「えーと……髪が長くて下ろしているから、付けても見えないかなーと」

 

 あと、淼さまの銀髪に桃色は合わない気がする。

 

「おお、長髪の女性でござったか。では」

「いや、だから……」

「これはどうでござる?」

 

 今度、暮さんが取ったのは珊瑚の髪飾りだった。色の薄い珊瑚は却下した耳飾りと同じような桃色だ。

 

「えーと……あまり髪に装飾品は付けない方で」

 

 そろそろ断り方が難しくなってきた。暮さんは一生懸命選んでくれているけど、こういうのは自分で選びたい。

 

 暮さんは次の品を探している間に僕もざっと目を走らせた。日用品もあるけど装飾品が多い。装飾品に用はないと思って視線を下げた瞬間、真っ白な塊が目に入った。

 

 貝の腕輪だ。机の引き出しにあったくしろを思い出させる色合いだ。手に取ってみると見た目よりも軽かった。

 

「そんなごついものを贈るのでござるか」

 

 角は削られているから暮さんが言うほどごつくはない。僕が腕輪を贈っても喜んでくれるだかどうか分からない。けど……。

 

「すみません」

 

 奥に声を掛けると動く気配がした。暮さんは不満げだ。今も高そうな真珠の加工品を手にしている。壊さない内に置いて欲しい。

 

「はい、いらっしゃいませ」

 

 中から細身の女性が出てきた。先ほどから僕たちを見ても、近寄らずそっとしておいてくれたのだ。

 

「これが欲しいんですけど」

 

 女性に腕輪を手渡して対価を確かめる。そう言えば今回は金貨なんて持ってきてない。何か交換できるもの持っていたかな。

 

「こちらは……何と交換なさいますか? 金貨なら五枚ほどになりますが」


 高っ!

 母上に贈った櫛よりも高い。叔位の精霊が金貨一枚で半月生活できるんだから、この腕輪ひとつで、えーと……えーと、もう計算するのも面倒だ。

 

「す、すみません。やっぱりいいです。見合う物を持っていないので」

 

 冷やかしだと思われるのが心配だ。なるべく丁寧に挨拶をして軒から立ち去ろうとした。

 

「失礼ながらその腕飾りと交換でしたら、当方としても嬉しいのですが」

 

 店主の視線は僕の手首に注がれていた。サイズの合っていない服だから手首が剥き出しだ。布を巻いたけど、流石に装飾品は巻き込んではいない。

 

「これは……」

 

 鑫さまから贈られたかざりだまに、潟さんがくれた磁石を付けた物だ。紐に通された玉が僕の手首を飾っている。

 

「そちらは理王から贈られた物でございましょう? 自らの冠に付けられたかざりだまを与えられるのは信頼の証。市でも滅多に出回りません。是非お取引を」

 

 これ、鑫さまからじゃなくて金理王のろくさまからだったんだ。そう言えば理王の冠にはいっぱい鎏が付いていた。その一本だったんだろう。

 

「質素な出で立ちをなさっていても理王に近い高位の方なのでございましょう? 側近か侍従の方ではありませんか? 今後ともお取引願いたいので、今回に限りましてこちらの髪飾りをお付けいたしますよ。いかがですか?」

 

 まずい。王館勤めがバレてしまった。偽の水理王の侍従が出没したのは最近の話だ。僕は本物だけど、ここで身元がバレたらまた騒ぎになってしまう。

 

「いや、良いです。すみません失礼しま……」

「お、お待ち下さい、王館勤めのお客様! 今なら更にこちらの箸もお付けします。古代魚の骨から削り出した逸品でございます! 王館で使っても見劣りしない品です」

 

 そんなに王館って強調しないでほしい。周りの精霊から視線を集めているのは気のせいではない。すぐにでもここから立ち去りたいけど、店主の女性は追いかけてきそうな勢いだ。

 

「雫どの、そろそろ時間が危ない。急ぐでござる」

「わ、分かりました。お願いします」

 

 金理王さまと鑫さまには申し訳ないけど、ここは場を収めるために使わせてもらおう。

 

 手首から鎏を外して店主に渡すと、とても状態がとても良いと言って、更に珊瑚の箸置きをおまけでつけてくれた。

 

 悪い精霊ではないようだけど、荷物がかなり増えてしまった。暮さんが率先して待つのを手伝ってくれる。

 

「すみません。まさかこんなことになるとは」

「いや、それよりも早く戻るでござる。かなり日が傾いているでござるよ」

 

 地に映る影はかなり長くなっていた。

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