六章 土精縁合編
139話 控えの間
爽やかな風が頬を撫でた。誘われるように顔を上げると澄んだ青空に雲がひとつ浮かんでいる。まるで蛙みたいな形だ。しばらく眺めていると今度は魚になった。
雄大な空に泳ぐ白い魚を見て、ふと母上のことを思い出した。しばらく帰っていない。前回帰ったのは昇格の報告に行ったときだ。
それから半年あまり手紙も出していない。怒ってはいないと思うけど、寂しがっているかもしれない。
「どうかしたのか?」
焱さんが話しかけてきた。ずっと外を見ている僕を不審に思ったんだろう。室外のざわめきに消されないように少し声が大きい。
「別に何も」
少し体が冷えたので窓を閉めた。たまたま窓側の席を
「まだ時間はあるだろ。ゆっくりしようぜ」
「そうだね」
焱さんが僕の茶器に勝手にお代わりを注ぐ。ゆっくりしたい気持ちはあるんだけどどうしても落ち着かない。
「しかし
今日は
焱さんと
改めて短く自己紹介したけど、何を話して良いか分からない。それに失礼があったら垚さまにも淼さまにも申し訳ない。だから案内してくれた木精から焱さんと二人用の席を勧められたとき、ちょっとだけホッとした。
「木理皇上の体調は一進一退らしいからな。急ぎたいんだろう」
並々と注がれた茶器を慎重に取る。濃い緑色なのに柑橘の香りがほのかに漂う。木の王館ならではだから味わえる貴重なお茶だろう。
「ねぇ、雫ちゃーん。 焱とばかり喋ってないであたくしともお話しましょーよー」
低い声が飛んできた。垚さまがソファの肘掛けに両手を添えて体を捻っている。焱さんをチラッと見ると全然僕の方を見ようとしない。
「えーっと……」
「ねぇ、あたくしのこの衣装どーぉ? 鑫に負けないように腿を出してみたんだけど」
垚さまはソファにかけたまま両足を高々と持ち上げた。すごい腹筋力だ。足も筋が浮いていて、ふくらはぎは卵を抱えた母魚のようになっている。
容姿や服装に騙されそうだけど、細かく見るとあぁ男性なんだなと改めて理解できる。
「す、ステキデスネ」
何故か片言だ。僕からは見えないけど正面に座る鑫さまからは……その、なんだ……服の中が見えてるんじゃないかと、気が気でない。
「ちょっと止めなさい。はしたない」
鑫さまが自分の顔の前に伸ばされた足を払った。鑫さまも負けず劣らず丈の短い服を着ている。
「何よ、うるさいわね。ちゃんと穿いてるわよ!」
穿いてるんだ。いや、違う違う。問題はそこじゃない。お行儀が悪い。
「雫、相手にしたら負けだ。目を合わせるな」
焱さんは茶器を持ったまま肘を腿に付けた状態で前屈みになっている。決して茶器から目を外さない。
「ちょっと聞こえたわよ、焱。失礼なこと言わないで!」
名指しされてしまった焱さんはやや嫌そうな顔をしている。茶器を置いた手を組んで溜め息を漏らした。
「言ってないだろう」
「いいえ、言ったわ! あたくしが美しいからってそんなに
そこ?
垚さまは立ち上がって焱さんを指差している。焱さんもついに垚さまの方を向いた。
「僻んでねぇ!」
「火精の男は美しい格好が出来ないからってムキになるんじゃないわよ、全く。見苦しいわ。ねぇ、雫ちゃん?」
「えーと……」
「坊や、真面目に答えなくていいわよ。この子は会話を楽しんでいるだけだから」
鑫さまが垚さまの裾を引っ張って椅子に戻そうとした。けれど垚さまは高いヒールにも関わらずびくともしない。
「ねぇ、雫ちゃん! 雫ちゃんも花茨で活躍したって聞いたわ! 詳しく話して! あ、待って! 鑫の実家のことから聞こうかしら? あぁあ、やっぱり流没闘争を終わらせた話からお願いしようかしら?」
そこから!?
どうしたものか。
「失礼致します。……お取り込み中のところ申し訳ないのですが」
開けたままの部屋の入り口に木精がふたり立っていた。ひとりは全体的に紫色の装いで、もうひとりは赤いのに頭だけは緑だった。一言でいうと派手。
「別に取り込んではいねぇよ。時間か?」
木精が頷き、部屋から出るよう促される。垚さまは椅子にかけてあった上着を手に取ると、それを合図に皆立ち上がった。
入り口に近い垚さまと鑫さまが先に出て、焱さんと僕が後に続く。すると部屋から出る直前に垚さまが振り向いた。
「もっとゆっくりお話ししたいわね。鑫も焱も林も一緒にお出掛けしてるのにあたくしだけ除け者なんてズルいわ! ね、後で一緒にお出掛けしましょ? ね、いいでしょ?」
振り向きながらでも足を止めないところがすごい。後ろ歩きでも鑫さまにぶつからないよう避けながら移動している。
お出掛けって言われても淼さまの許可をもらわないといけないし、先生の授業もある。僕の一存では決められない。
「
「そうよ、垚。坊やが困ってるわ。もう着くし、静かになさい」
王太子ふたりが助け船を出してくれた。鑫さまも焱さんもいつもの装いと少し違う。鑫さまは裾の短い服の上に
焱さんもいつもの動きやすそうな衣装とは異なり、固そうな生地を纏っている。詰め襟が苦しいみたいで無意識だと思うけど、さっきから何度も襟に指を入れている。
「分かったわよ! 全く固いわね、二人とも。坊や、また後でお話ししましょ」
垚さまが持っていた上着を羽織りながら前を向いて歩きだした。背中いっぱいに縫い込まれているのは垚さま自身の紋章だろう。焱さんも鑫さまも背中と胸に紋章が入っている。
背中は自分の紋章で、胸が当代理王と初代理王。更に後見人がいる場合は腕に刺繍するらしい。
鑫さまは背中と胸だけだったけど焱さんは片腕に雨伯の紋章が入っていた。ちなみに僕は母上と雨伯の紋章がそれぞれ片腕ずつに縫われている。もしかしたら桀さんも
それから垚さまは一度も振り向くことなく、目的地に着いた。庭に植えてある木よりも遥かに高い天井。そしてそこまで届きそうな深い緑色の門が立ちはだかる。僕でも謁見の間であることがすぐに分かった。
「先ほど立太子の儀が
僕だけ浮いているけど、桀とも他の王太子とも交流があるから問題ないと鑫さまが励ましてくれた。
その後で今度は高位の木精へ御披露目だ。体調不良で欠席が多いとは聞いたけど、桀さん大丈夫かな。高位精霊に囲まれてまた気絶しないと良いんだけど……。
「っだ、誰かーっ! 新太子がお倒れにーっ!」
あ、やっぱり。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます