126話 鉄の薔薇

 いつと名乗った精霊が僕から奪った剣を抜く。構えるわけでも壊すわけでもなくただ眺めている。


「今日は水晶クリスタル刀じゃないのね。残念だわ」


 何で僕が水晶刀を持ってたって知ってるんだ。僕の疑問を余所にいつが剣を持ち上げ、髪を整え出した。磨かれた剣を鏡として扱っているようだ。


「水晶刀にご執心だったからねぇ。でも雫がいればいいんじゃなぁい?」


 ベンさ……いや、もう呼び捨てでいいか。莬が近くの長い刺にぶら下がって足を伸ばしている。体をほぐしているのか、それともただ遊んでいるだけか。


「そうね、傷穴をあんなに大事そうに愛でていたものね」


 二人の間に立つ老人は両手を腰の後ろで組んで故紙を伸ばしている。それに合わせて黒い薔薇の蔓が息をするみたいに動いている。


「あら、まだ分からない?」 


 二人の話を注意深く聞いていると逸が僕を嘲笑った。ベンは刺を足掛かりにどんどん登り、天井付近にまで達している。


「本当はね、自分で来たがってたのよ。でも貴方に水晶刀で刺されたでしょう?」



 まぬがだ。


 

 実際は僕が刺したんじゃなくて刀が勝手に刺したんだけど、免の中では僕が刺したことになっているらしい。


 無意識に腕を引っ張ったらしく、僅かに痛みが走った。一瞬体が強ばるのを気のせいにして指先に理力を込める。


 意識してから分かったけど、いつの声はまぬがの声と酷似している。高さも抑揚も全く違うのにどこか似ているのは不思議だ。


「完全な状態ではないのにそんな傷を負ったから出歩けなくなってしまったのよ。どうしてくれるの?」


 いつが恨みがましく呟きながら、僕に近づいてきた。僕の首の付け根に刃を当てて攻撃の素振りを見せる。ただ何故か敵意も殺意も感じない。


「ふふっ、流石にこれくらいでは驚かないわね」


 いつは何故か嬉しそうに微笑みながら剣を鞘に収めた。少し動く度にドレスの裾が揺れる。けれど決して刺には引っ掛からない。まるでドレスが刺を避けているみたいだ。


「おい、もう良いだろう?」


 しもとがイライラしたように話を遮った。腰が曲がっていて顔もシワだらけなのに若い野心を感じる。黒い部屋で目だけが爛々としていた。


「まぁ、慌てないで。もう少しお話しさせて」


 いつが僕に背を向けてしもとに返事をする。玉鋼たまはがね之剣を鞘ごとベンに向けて放り投げると、ベンは糸を絡めて剣を受け取り自分の体に巻き付けた。


 指先に理力を集中させる。こいつらがまぬがの仲間なら理術の攻撃が効かないかもしれない。でも少なくとも楚は薔薇だから木精だ。生半可な理術でなければ水精の攻撃も効くはずだ。


「しかし……早くせねば向こうの奴らが勘づくかもしれん」


 せきさんたちのことだ。いつまでも扉が開かなければ不審に思ってこっちに来るかもしれない。


「大丈夫だよぉ。来られないようにしておいたからぁ」

「あら、何かしたの?」


 ベンいつが楽しそうに話をしている。まるで姉と弟みたいだ。全然似ていないのに眺めていると似ているような気がしてくる。


 僕に気が向いていない今がチャンスだ。逸は背中を向けているし、その逸の陰で楚から僕は見えない。問題は天井近くにいるベンだ。僕の理術に気づかれないように焦る気持ちを抑えながらこっそり備える。


「蕾の蔓を引っ張るように言っておいたからぁ。今頃地下牢に落ちてるんじゃない?」


 一瞬、集中力が途切れた。そのせいで理力の流れが僅かにぶれる。ベンがこっちを見た。


「ほぅ。地下牢とはなかなか……。あそこは花を活けるための剣山が敷き詰められている。それに食虫植物もいるはずだ。水精が落ちれば喜んで水分を吸いに来るだろうな」


 潟さんが危ない! ダメだ、こんなところでグズグズしていられない。助けにいかなきゃ。指先に溜まった理力を一気に展開する。


「『氷柱演舞アイシクルダンス』!」


 無数の氷柱が室内に現れた。久しぶりに使った理術だけどちゃんと出来た。逸たちに向けて一斉に放つ氷柱が砕けて周りが真っ白になった。視界が遮られているうちに氷刀を作り出して蔓を切ろうとした。しかし切るまでもなく、蔓が縮んで体との間に隙間ができた。腕と足を抜いて最後に体を抜くことができた。林さまに縫ってもらった服がボロボロになってしまった。あとで謝らないといけない。


「何か準備してると思ったらそれかぁ」


 ベンののんびりした声に氷刀を構える。曇りが晴れて視界が次第に黒へと戻っていく。しもとは服に付いた氷の粒を払っていた。逸と莬はともかくしもとくらいは倒せてもいいと思ったのに、倒すどころか傷一つ負っていなかった。


「確かに木精相手なら水系よりも氷系がいいよねぇ。でもねぇ、しもとはもう普通の木精じゃないからねえ」

「そうね、今の楚はくろがねの薔薇。金精の理力も持ってるわ」


 そうか、だから花茨城に近づいたとき金属の玉が飛んできたのか。薔薇の蔓なら氷で傷つけられるけど、鉄が相手だと氷では歯が立たない。ただ幸いだったのは、鉄は温度が下がると多少縮む。それで抜けられたわけだ。


「さぁ、そろそろいきましょ?」

「どこへ行くんだ?」


 少しでも抵抗したくてぶっきらぼうに聞き返す。僕では敵わないかもしれない。でもだからと言ってこのまま従うのは嫌だ。僕が従うのはただひとりだけだ。


ルールのない世界へ。大丈夫、怖いところじゃないわよ? 例外の魅力を知れば虜になるわ。こんのように」

「渾?」


 オウム返ししてしまった。渾は兄の名だ。でもその名を呼ぶのは母上くらいで、兄弟ですらあまり呼ばない。僕も含めて美蛇の兄上と呼ぶことが多かったはずだ。なぜ逸がその名を知っているんだ。近づいてきた逸に刃先を向けると、逸は微笑みながら指を刃先にくっつけた。


 一瞬、氷刀の刃が赤くなって瞬きしている間にドロドロと落ちだした。氷は溶ければ水になる。それは当然だ。でも溶けた先に溜まっていたのは水ではなく溶岩だ。まるで貴燈山のマグマのようだ。でも眺めているうちに溶岩もなくなり、全て灰になってしまっていた。僕の理解が追い付かない。


「おい、待て!本当に俺を理王にするんだろうな」


 いつは混乱している僕に伸ばした手を途中で止めた。少し嫌そうな顔をしている。嫌と言うよりうんざりと言った感じだろうか。少し間を作ってくれたしもとに感謝すべきかもしれない。それでも逸は僕から視線を外さないので迂闊に逃げられない。

 

 いや、逃げるなんて考えたら敗けだ。ちゃんと戦わないと。勝って帰りたいけど勝てなくてもせめて……せめて一矢報いたい。そうじゃないと淼さまに顔向け出来ない。 

 

「大丈夫だよぉ。僕がちゃんと木理王を始末してあげるしぃ、かけるが就任したら君も王館に戻れるようにしてあげるよぉ。そしたら今度は君が王太子だよぉ」

 

 木理王さまを始末する!?

 

 今、恐ろしいことを言った。ベンは糸をぶら下げてさせて遊んでいる。木理王さまと繋がっている糸だ。そうか、多分あの糸で木理王さまから理力を奪っているんだ。

 

 それと今言ったかけるっていうのは林さまのことだ。子供の頃の林さまを襲ったのは薔薇だったはず。その林さまが理王になったら王館に戻すわけない。

 

「本当にうまく行くのか?」

 

 しもとも同じ事を思っているかもしれない。楚の思いを反映するように足元を埋め尽くす薔薇の蔓が複雑に動き出す。寒さで鈍かった動きが活発になって太さも戻っているようだ。

 

「大丈夫だよぉ。架は即位したらすぐに寝たきりにさせるよぉ。そしたらぁ、君を王太子に推薦してあげるよぉ。過去のことは反省してるから、水に流してってねぇ」

 

 ベンが飛び降りてきた。グシャッと嫌な音がする。木の肌が湿気を吸って少し膨らんでいるように見えた。

 

「なら良い。あの忌々しいマロニエが理王に就くのは気にくわないが、その後苦しんで消えるならそれも良い」

 

 しもとが口角を上げて下卑た笑みを見せた。ちらりと見えた口の中は歯が所々なくなっていた。 


「野心がある精霊は好きよ。もう実力もあって家柄も良い精霊はほとんどベンが始末したわ。もう貴方くらいしか残ってないのだから、間違いなく理王になれるわ」

 

 いつが僕から視線を外して楚を振り向いた。その隙を狙って再び理術を展開する。今僕が使える中で最も強力な理術だ。


「降る氷 命じる者は 雫の名 極寒の下 凍てつき光れ 『大気氷結ダイヤモンドダスト』!!」

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