95話 金亡者の罪と罰

 辺りに耳障りな叫び声が響く。上空で縄張り争いをする鳥の鳴き声のようだ。沸ちゃんも滾さんも足を止めて耳を塞いでいる。僕も止まらずにはいられなかった。耳を塞いでいる手を通り抜けて、悲鳴が刺さる。

 

 悲鳴は長く尾をひき、やがて聞こえなくなった。恐る恐るゆっくり手を外すと、シーンと静まりかえる空間に金属の軋む音が僅かに聞こえた。

 

 マリさんの冑の音だ。良かった、鋺さんは無事らしい。沸ちゃんたちにその場にとどまるよう告げ、ひとりで噴火口の真下まで戻る。銀色の全身甲冑プレートアーマーが差し込む光を反射して眩しい。

 

「鋺さん? 大丈夫ですか?」

 

 水銀の気配はなさそうだけど、それでも小さい声で鋺さんに声をかけた。

 

「雫さま? ご安心ください。水銀は倒しました。……が、それ以上、近寄らないでください」

 

 鋺さんにピシャリと言い切られて足が止まってしまう。鋺さんが振り向くと甲冑が変形している。いや、正しくは変形ではない。左の脇腹が大きく抉れて、鋺さんの細い肋骨が数本見えていた。

 

安母尼亞アンモニアを放ちましたので悪臭でございます。しばらくお待ちください」

 

 鋺さんがそう言い終えるか終えないかの伐ちに僕の鼻が痛みだした。目からも勝手に涙が滲んでくる。そんな僕を見て、鋺さんは申し訳なさそうに少し俯いた。

 

「水銀を相手にするということで、万一に備えて安母尼亞アンモニアを持参いたしました。安母尼亞を酸化させると硝酸となり、水銀を溶解出来ます」 


 そんな便利なものがあるなら月代で使えば良かったのにと思いかけた。けど鋺さんは弁明するように早口で続ける。

 

「硝酸は水銀以外の金属も溶かしますので月代では使えませんでした。それと……」

 

 心を読んだかのようなタイミングだ。口に出さなくて正解だった。

 

 そう思った瞬間、鋺さんの体がぐらりと傾く。慌てて隣に回り込んで冷たい甲冑を支える。

 

「鋺さん、しっかり!」

「申し訳ありません。少々本体を消耗いたしましたので……」


 本体を消耗したっていつだろう。鋺さんは斧を地に刺して、反対の手を僕の肩に手を置いた。腰を伸ばすように少しだけ仰け反る。

 

「硝酸を作るためには安母尼亞アンモニアの他に水と……触媒となるプラチナが必要なのです。幸い私の体は鉑で出来ております」 

 

 ということは、その全身甲冑プレートアーマープラチナで出来ているのか。しかも鋺さんの本体ってことは、僕なら常に泉の水を全部背負って歩いている感じだ。安心できるような、危ないような……。

 

 鋺さんは僕の肩から手を離すと、甲冑の中から大きい布を取り出した。体を覆うように巻き付けると甲冑の穴が隠れた。

 

 お目を汚しましたと言いながら、ぞんざいに布の端を縛っている。骨がむき出しになってしまったけど何ともないのだろうか。

 

 甲冑の穴にかかった布をじーっと見ていると、鋺さんが斧を地面から引き抜いた。

 

「さて本番はこれからです。急ぎ月代に戻りましょう」

「もう動いて大丈夫なんですか?」 

 

 全身甲冑プレートアーマーがあんなに抉れていて、さっきよろめいたのに今から戦いに行けるのだろうか。

 

「ご心配なく。すぐに再生は出来ませんがこれでも高位精霊でございます」


 そういえば、たぎるさんが言っていた。金亡者は初代金理王の妹で、第三代金理王の母親だと。


「先ほど叔位の水精が申していましたね。私は第三代金理王の母です。初代金理王の妹で第二代金理王の叔母でもあります」

 

 鋺さんの冑に影が射した。噴火口の光が雲で遮られたのかもしれない。初代金理王の時から仕えていると言っていたのは、そもそも身内だからなのだろうか。

 

「そんなに高い地位の方が何でこんな……」

 

 使者と言うべきか兵と言うべきか悩む。何て言ったら失礼にならないのか。次の言葉が出てこない。もっと優雅に過ごしていても良いんじゃないだろうか。

 

 漣先生が引退してのんびりするつもりだったと言っていたのを思い出す。身内にそれだけ理王経験者がいるならゆとりがありそうだ。

  

「私は我が子を理王に据えるために多くの金精を手にかけました」

 

 え?

 

 淡々と続ける鋺さんの感情が読み取れない。もちろん表情なんてないんだけど、心なしか冑の上に自嘲気味た笑みが見えた気がした。

 

「『そんなに理王にこだわるのなら理王以外と口を聞くな』という付則のろいを受けました」

「じゃあ、沸ちゃんたちと話をしないのは……」

 

 理王以外と……実際は理王だけじゃなくて理王の縁者まで定義が引き伸ばされてる。けど今の話だと『話さない』んじゃなくて『話せない』んだ。

 

「私は話しても問題ありませんが彼らがその場で消滅します」

「……」

 

 大問題だ。でも大事なことが分かった。鋺さんが理王の縁者以外を相手にしないのも、これから協力してくれる沸ちゃんたちに冷たいのも全部相手のためだ。鋺さんが望んでやっていることじゃない。

 

「彼らにするこの話を必要はありません。……さて、長話が過ぎましたね。月代へ戻りましょう」


 鋺さんが話を切ったので僕も滾さんを呼びに駆ける。滾さんは相変わらず沸ちゃんの後ろに隠れているつもりなんだろうけど、暗い色の岩壁にクリーム色の髪はよく目立つ。

 

「沸ちゃん、ギルさん、もう大丈夫だよ」

 

 水銀がいなくなったことを伝えると沸ちゃんは滾さんを自分の後ろから引っ張り出した。小柄な沸ちゃんのどこにそんな力があるのか、滾さんは僕の前に倒れそうになる。

 

「溶岩はあたしがマグマ溜まりに戻しておくわ。少しでも火の理術の威力が出るように。いい? 雫に迷惑かけるんじゃないわよ?」

「か、かけない」

 

 普通の姉弟の会話ってこんな感じなのかな。僕も姉上がいるけど関わってたのは本当に小さいときだけだ。ちょっと羨ましい。

 

「雫、ギルのこと宜しくね。邪魔になるようなら生け贄にしていいから」

「姉さん、酷い」

 

 普通の姉弟って……やめよう。冗談だとは思うけど不毛だ。何も言わずに鋺さんの元へ戻る。出来れば鋺さんの事情を伝えてあげたいけどさっき鋺さんに止められてしまったので、それは出来ない。

 

 戻った二人を見てぷいっと顔を反らす鋺さんに沸ちゃんが渋い顔をしていた。

 

「では雫さま、改めて作戦を申し上げます」

 

 鋺さんが僕に向き直って話し始めたけど、明らかに音量が大きかった。滾さんに聞かせるためにちがいない。

 

「月代の城内にございます舞踏場に出口を開きます」

 

 舞踏場は広いので金精皆を集められるという。僕たちが着いた時点で皆気づいて集まってくるだろうとのことだ。

 

「金精が概ね集まりましたら高温で熱し、水銀を気化させます」

「さっきと同じ感じですね」

 

 鋺さんに頷きながら滾さんと目を合わせた。高温で熱するのは火と水の混合精である滾さんの役目だ。うんうん頷いているから多分伝わっただろう。

 

「先程も申しました通り、気体の水銀は毒性が強いので速やかに冷やして通常態に戻します」

 

 冷やすのは僕と滾さんの役目だ。滾さんの負担が大きいけど無茶しない程度に頑張ってもらいたい。

 

「その間私は防御に徹します」

 

 申し訳ないけど鋺さんに盾になってもらう。後からやって来た金精に襲われないとも限らない。

 

「ぼくはー?」

 

 袖に入った金蚊が久しぶりに喋った。右腕を持ち上げると袖の縁に前足をかけて顔を覗かせていた。

 

コバルト、貴方は秘密兵器です。隠れてなさい」

「やったーぼくひみつー」

 

 何がやったなのか分からないけど袖の中に戻っていく。普段はホントに大人しい子だ。

 

 鋺さんと目があった……と思う。冑越しなのでそう思ったのは僕だけかもしれない。鋺さんは力強く頷き、斧を脇に構えると宙を斜めに切り裂いた。

 

「参ります」

 

 赤いドロドロの空間に飛び込んでいく鋺さんの後に続く。もう最初のような恐怖や戸惑いは感じなかった。

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