90話 退却
僕と
「姉さまは凄いのよ! 強くて美しくて優しくて賢くて、今の金理王なんか目じゃないわ」
鐐さんはずっとこんな感じだ。時々振り返りながら、鑫さまがいかに素晴らしいかを語ってくれる。
その都度、否定せず相づちを打つ。それに気を良くしたのか、意外にもアルと呼んで良いと言われた。
顔はあまり似ているとは思わなかったけど、こうやって歩いている姿はそっくりだ。姉妹なんだなぁと感心してしまう。
もしかして美蛇江と隣に並んだら僕もそう思われるのだろうか。……何か嫌だ。
「ねぇ、なんで
「アル、止めなさい。水精には水精の事情があるのよ」
悪気はないんだろうけど
「ア、アルさんはお姉さんと仲が良いんですね。羨ましいです」
ちょっと話題をそらしてみた。
「羨ましい? 姉さまは渡さないわよ!?」
違う、そういう意味じゃない。
「姉さまは素晴らしい……そう、姉さまは誰よりも理王に相応しいのヨ」
「アルさん?」
「アル、どっちの地下室?」
鑫さまが途中で足を止めて鐐さんを軽く引っ張る。鐐さんはハッとして鑫さまに向き直る。僕はその隙に鋺さんにこっそり話しかけた。
「
「そうですね。とにかく姉である
そうなんだ。ちょっと暴走気味な感じもするけど。
「ただ……少々気になることが」
「二人とも来ないの? 姉さまの足手まといになるなら置いてくわよ」
気になると言えば、僕も気になっていることがある。さっきあれほどたくさんいた金精がどこにもいないということだ。この広い建物のどこかにはいるんだろうけど、ひとりくらいはすれ違ってもいいと思う。
「二人とも下りるわよ」
長い廊下を抜けて少し広い空間に出た。その先のくすんだ黄色の扉の前で鑫さまたちが待っていてくれる。
ドアノブだけが不似合いな程に輝いている。鑫さまはすでにノブに手をかけていた。そこから地下に下りるんだろう。
「姉さま、早く。早く
「分かってるわ」
鑫さまは鐐さんに急かされて少し扉を引っ張った。駆け寄ろうと一歩踏み込んだところで鋺さんに止められる。
「息を止めてください」
「え」
「下がって!」
鋺さんが甲高い声で叫びながら強引に僕の腕を引っ張る。鋺さんは僕を引っ張ったまま後ろに飛んだらしい。荒々しい金属音がして鋺さんが床に転がったのだと分かった。少し遅れて僕にも体を打ち付けた痛みが襲ってきた。
頭は鋺さんが押さえてくれたみたいで床にぶつけることはしなかった。ただ何でこんなことになっているのか理解できない。
「
「喋らないで」
大人しく口を閉じる。鋺さんはもう立ち上がって斧を斜めに構えていた。鋺さんの口調が強くなったことでようやく只事ではないと判断できた。遅れて僕も立ち上がる。
「あら、やっぱり金亡者がくるのは計算外だったわ」
立ち上がってようやく分かった。目の前の空間に煙が充満している。か、火事?
「……
「人聞き悪いこと言わないでちょうだい。銅とは違うわ。精霊としての誇りを失ってはいない」
火事じゃない。火の気配は感じない。けどこの
「そうよ……一族としての誇りを忘れたのは姉さまよ。あんな
「
最近よく聞いた
目の前が急に暗くなった。うっかり声を出しそうになってぐっと堪える。磨かれた銀色の壁が目前にあって僕の顔を写し出している。天井や両壁まで届き、鐐さんとの間に隔たりが出来た。
「雫さま、逃げます!」
「え?」
また
「逃がさないわ。来なさい、
後ろから鐐さんの声が廊下を突き抜けてきた。何故、逃げなくてはいけないのか、まだ良く分かってない。でも鐐さんに歓迎されてないってことと、捕まったら駄目だということは分かる。
「っ!!」
「わ!!」
床がドロドロと盛り上がって人の形になった。いくつか見覚えのある顔がある。確かさっき閉じ込められていた金精たちだ。
前方を塞がれ、後ろもズルズルと金精が現れる。壁からも天井からも半身を出した状態で僕たちに手を伸ばしてくる。
「ひっ」
後ろの襟を掴まれた。只でさえ喉が苦しい服なのに、締まって声が出ない。手を喉に持っていこうとしても手が動かない。複数の腕に両手を絡めとられている。足もだ。
「雫さま!」
鋺さんが斧をひと振りして助けてくれた。体を反転させると、僕の襟から外れた手はすでに床に落ちていた。見ている内に液状になって床に吸収されていく。
壁から伸びている手は全て再生されていた。この分だと攻撃しても無駄だ。気味が悪い。前からも後ろからも、上からも下からも、じわじわと追い詰められていく。
「えーい」
「ドロドロ嫌ーい」
僕の袖から二匹の
金蚊は銀粉を撒きながら飛び回る。周りの金精が若干怯んでいるようにも見える。金蚊の撒く銀粉がキラキラと光っていてこんな時なのにうっかり見とれてしまいそうだ。
何かを引き裂く音で現実に引き戻される。隣では
「雫さまこちらへ!」
今度は躊躇なく飛び込んだ。赤いドロドロよりも金精のドロドロの方が断然恐い。追ってくる金精を一気に切り捨てて、鋺さんも飛び込んで来た。
どういう仕組みなのか分からないけど、斧の柄でなぞると裂け目が塞がってきた。完全に閉じる寸前、
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