81話 桜と栃
緑色に目が慣れてきた頃には戻る時間だった。木理王さまがお休みの時間になってしまったらしく、会話を切り上げて淼さまと退室してきた。
廊下を通ると来たときと同じように木精たちから遠巻きに見つめられている。帰りも味わうことになるとは思わなかった。
「林は木理を助けたい。木理は助けるなって言う。真っ二つだね」
並んで歩く淼さまは木精たちに聞こえないような声で僕に語りかける。以前は見上げていた淼さまの顔が、今ではほとんど同じ目線だ。
昇格した時と、それから泉の水が使えるようになった時に背が伸びたらしい。まだまだ伸びるよ、と淼さまが言ってくれたので少し、いやかなり楽しみだ。
「木理はまだ木の実だった林を拾って育てていたらしい。林はその恩を返したいんだろう」
「拾った?」
「あぁ、川を流れてきたらしい」
川に落ちたってことだろうか。
僕の様子を見ながら、少し木理たちのことを知っておこうか、と淼さまは話を続ける。
「当時、木理は王太子ではなく、侍従のひとりに過ぎなかった。北東の帰省先から王館に戻る途中で川の精に呼び止められて、木の実を拾ったらしい」
私が王館に来る少し前のことだ、と淼さまは続ける。少しって言っても淼さまが理王になって二百年以上経っている。僕は十年でも長く感じるのに、時間の感覚がおかしくなりそうだ。
「流れてきたのは
建物から中庭に抜けた。淼さまは話しながらも迷いのない足取りで進んでいく。緑色の壁は見えなくなっていたけど、外に出ても緑が多かった。所々に見える色とりどりの花や実が鮮やかだ。
「当時の木理王が保護者を調べたが結局該当者は見つからず……許可を取って、保護者が見つかるまでと、彼がその子を育て始めたらしい」
『彼』って言うのは今の木理王さまのことかな。ということは『その子』って言うのは林さまだろう。
中庭には背の高い木もたくさんあった。枝先で重なった五枚の葉は林さまの結んだ毛束を思わせる。水の王館にあるような池はなく、その分木が多いようだ。
「でもその子は
僕は? 僕も
「だが、彼の一族が黙ってなかった。
何だか複雑な話になってきた。林さまと木理王さまの関係だけでなく、木理王さまの家族のにまで話が広がってきた。
「
ちょっと違うけど、少し前の僕と似ている。一族で有望な長兄に可愛がられるほど、他の兄姉から虐げられた。今思えば美蛇の策略のひとつだったのかも知れないけど。
「それから数年後に私が王太子になった。雫のように漣どのから教えを受けている時だ。木理が林を連れて駆け込んで来てね」
淼さまが王太子時代の話をしてくれるのは珍しい。
「実の外皮がボロボロに傷つけられていて、ひどい有り様だった」
「それって……もしかして」
木理王さまの一族にやられたんじゃ、という言葉を飲み込んだ。木理王さまを非難するみたいで嫌だ。
「概ね雫の予想通りだよ。勿論すぐに癒したけどね」
「手を出したのは木理の遠縁で、同じく王館勤めの
淼さまは一瞬僕を振り向いて、黒い壁の角を曲がった。話に夢中で水の王館まで戻っていたことに気づかなかった。
「だが薔薇の行動は木理の一族とは逆の理由からでね」
「逆?」
「薔薇は林を傷つけた罪を木理に着せて、自分がその
何でそんなことを……林さまが可哀想だ。しかもそんなことすぐにバレてしまうはず。
「林は今でこそあんな感じだか、当時は無口だったらしくてね。口が聞けないと思われていたんだろう」
なるほど。だから加害者を訴えられないと思われたんだ。そうすると一番疑われるのは一緒に生活している木理王さまだ。
「まぁ、そのせいで薔薇は下位に降格。下位だと王館に居られないから……」
淼さまが不自然に言葉を切った。少し顔を上げて視線をさ迷わせたかと思ったら、少しだけ歩く速度を上げた。何かあったのだろうか。
「まぁ、木理が私のところに来たのは怪我の治療の他に毒を抜く目的もあったんだけどね」
「そんなことが可能なんですか?」
淼さまなら出来そうな気もするけど。
「林の……
淼さまの速度に付いていくのが大変だ。時々小走りになってしまう。
「毒抜きしてからは林の成長が凄まじかった。後で聞いた話だが、木理が勤めに行っている間に自分に合う豊かな土や水を探して、確実に強くなっていった」
林さまの向上心が強い。でもやっぱり気持ちが分かる。僕も淼さまの役に立って恩返しが出来るなら、強くなりたい。
「林が若木になる頃には、
成長がすごい。一体どれほど努力したらそんなに強くなれるのか。それよりも努力で理力って強くなるんだろうか。
「まぁ、それは置いておいて。木理も考えたんだろう。王太子になったばかりとは言え、私も名門の出身……らしいからね。私に毒抜きさせることで箔を付けて、身内を黙らせたわけだ」
淼さまが後見人……とまではいかなくても、手を差し伸べたという事実だけでかなりの意味があるそうだ。淼さまは名門中の名門の出身だって、確か鑫さまも言っていた。
「淼さまも名門のご出身ってことは、やっぱり理王を何代も輩出していらっしゃるんですか?」
「……………………いや」
淼さまが黙ってしまった。まずい、何か気に障ることを言ってしまっただろうか。折角、淼さまの昔の話が聞けると思ったのに、聞いてはいけないことだっただろうか。
どうしよう。次はなんて声をかけたら良いんだろう。僕の中で心が右往左往している。
「何か用か?」
先に口を開いたのは淼さまだった。そんな……用って言われてもどうしよう。
「えっと……」
「水理皇上におかれましてはご機嫌麗しゅう!!」
「面を上げろ」
あれ、この
淼さまの前に精霊がひとり跪いていた。切れるギリギリのところまで切った短い髪を見下ろす。夕やけみたいな色だから多分火精だ。
周りを確認すると、淼さまの執務室がすぐ近くにあった。淼さまがいないので、扉の前で立っていたんだろう。多分、王館に入った時点で淼さまは気づいていたんだろう。だから途中から少し急いでたんだ。
「火精がわざわざ何のようだ」
「至急、
雷伯って誰だろう? 淼さまの眉が僅かに寄った。
「火太子に何かあったのか?」
焱さん? 何で焱さんの話が突然出てくるの?
「先ほど金と火の両太子が視察からお戻りになられまして……」
「要点を言え」
淼さまの急かすような声に橙色の頭が低くなる。
「焱さまが深手を負って……意識不明でございます」
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