46話 旅立ち
美蛇の兄もこんな感じだったのだろうか。多分僕は今、リヴァイアサンの喉付近だ。高い位置から、先生と
光が乱反射していてハッキリとは分からないけど、焱さんの心配そうな表情がなんとなく見えた。不思議と苦しくない。水精が水中で溺れるわけはないから不思議ではないか……。
動かないと言っていた先生が動き出した。もう終わりなのだろう。先生は近くで見ていた焱さんの肩に手をかけた。焱さんが何か返答している。チラッと僕を見て
声を出そうとすると、顔にピリッとした痛みを感じた。反射的に痛む場所に触れると、指先に直線の手触りがあった。さっき水刀で少し切られたところだ。海水の塩分がわずかな傷に染みているようだ。
塩分……そういえば、このリヴァイアサンって海水だけど……もしかしたら。
焱さんが少しずつ遠くなっていく。ここで暴れたり、叫んだりしても無駄だ。だったら……。
ーー『水球乱発』
リヴァイアサンの周りに大量の水球を発生させた。それをリヴァイアサンに打ち込む。案の定、全く効いてない。でも、肌にまとわりつく感覚が変わる。海水の塩分濃度が僅かに下がった。
よし、イケる!
上に向かって左腕を突き出す。拳に理力を溜めて叫んだ。
『
叫んだつもりでも口から出たのはゴボゴボという音だけだった。でも海水のリヴァイアサンの中に真水のリヴァイアサンを生み出すことができた。
端から見たら、龍に龍が飲まれているように見えるだろう。外側のリヴァイアサンは中の龍を追い出そうと暴れ始めた。
「何じゃと?」
リヴァイアサンが暴れているので振動がひどい。暴れる度に上下が分からなくなる。集中しないと……
『完全霧散!』
僕の口から声と泡が漏れた。それと同時に視界がクリアになって、背中に衝撃が走った。リヴァイアサンが二体とも霧と化して、僕が地面に叩きつけられたのだ。一瞬、息が詰まった。
水の中に閉じ込められたときに使えと先生に教わった理術だ。先生との練習ではそんなに重要視されていなかったけど、自分で復習していたのが役に立った。
「なるほどの。塩分濃度を下げて霧散させおったか……」
先生の声が近くで聞こえた。バッと起き上がって次の攻撃に備える。しかし、先生は待てと言うように片手を上げた。もう片方の手はいつの間にか氷杖を握っていた。
「辺りが塩だらけじゃ。悪いが回収させてもらうぞ」
先生は上げたままの片手で辺りの理力を使って演習場に水の
「……よくやったと言っておこう」
終わった……のかな?
帰りかけていた
「それじゃあ……」
「認めざるをえんな。実践訓練はまた延期じゃのぅ」
絨毯を一瞬で片付けて、先生は腕組みをしながら僕の肩に手を置いた。
「行ってよろしい」
「先せ……」
「だが」
視界の端の方で
「御上の説得は自分でせよ」
「……はい」
最大の仕事が残っていた。でも多分、淼さまは大丈夫な気がする。何故かそう思った。
「雫、本当に一緒に来るのか?」
焱さんが声をかけてきた。先生の手が僕の肩から離れていく。
「もちろん。淼さまにお話してみる。 僕が出来ることは少ないと思うけど、今度は焱さんに僕が出来ることをしたい」
「……そうかよ」
焱さんが僕から顔をそらした。耳が真っ赤だ。焱さんの様子を眺めていると、正面から深いため息が聞こえた。
「やれやれ。……焱よ、雫が同行するとなると、そなたも火理を説得せねばなるまい?」
「ソーデスネ」
投げやりな言い方がとても気になる。焱さんの赤かった顔色がみるみる元に戻っていく。
「全く……悪いところが御上に似おったな」
先生がぶつぶつと呟きながら氷杖をしまった。手を後ろに回して腰をトントンと軽く叩く。
「どうした? 早く御上のところへ行ってこんか。焱は明日出発じゃぞ?」
「は、はい! 行ってきます!」
先生に軽く頭を下げて走り出した。でもちょっと思い止まってUターン。焱さんの服を軽く掴んで振り向かせる。
「ちゃんと待っててね!」
焱さんは器用に片眉だけ跳ね上げた。僕の同行をあまり賛成してしないから、置いていかれるような気がしたのだ。今の様子を見ると……もしかしたら図星だったかもしれない。
焱さんの様子を確認して再び走り出した。淼さまはきっと執務室にいるはずだ。
走り出した雫を見送ってしまった。止めるべきだっただろうか。釘まで刺されてしまったが……。
「完全に読まれておるな」
先々代水理王にも全部見透かされているだろう。明日の予定を繰り上げようかと思っていたところだ。雫を置いて、何とか今日中に発つつもりだった。
「授業はいいんですか?」
食いついてみる。雫と行動したくないわけではない。むしろ一緒にいた方が楽しいし、細々したところで役に立ってくれるとは思う。だが、回復したての泉に体がついていかないのではないだろうか。
今だって自分の理力を使いこなせていないと聞いた。力が馴染むまで
「良いわけなかろう。途中も途中じゃ。だが、あやつは純度の高い本体を持った。まっすぐで素直なことに拍車がかかって、頑固さが出てきておる。自分が正しいと思ったことは曲げないじゃろう」
「水理皇上は……」
「あやつは反対せん」
即答で言い切った。ちょっと意外だ。そして、この方が水理王を『御上』と呼ばない時はたいてい慈しんでいる時だ。
「すまんな、焱。また苦労をかける」
「いや、俺も雫がいれば……」
「御上は」
俺の言葉を遮るように言葉を重ねられた。こういう言い方をするのは珍しい。そこまで接点がある方ではないが、話を遮られたことは一度もない。
「あやつはまだ雫を必要としている」
流没闘争の終結が大義名分で保護していたはずだ。側近や侍従にできない分、公には下働きだったとは思うが、保護には違いない。
まだ、雫を利用するのか?
ちょっとイラッとする。水精に感情移入するなんて自分でもおかしいとは思うが、雫は数少ない友と呼べる存在だ。威圧感を感じない貴重な水精が近くにいることを好ましく思っている。
「そんな顔をするな。囮にしようとか利用しようとかそんなことは思っとらん。それよりもそなたは顔に出やすいのぅ。もう少し顔の訓練をした方が良いぞ?」
一瞬、水理皇上と先々代水理王への疑心が生まれたが、続いた説教でどこかへいってしまった。雫がまた利用されるのでなければ、別に気にする必要はない。物理的な攻撃は俺が守ってやれれば問題ない。
「……頼むぞ」
言われるまでもない。先々代に一礼して演習場を後にする。火理王へ雫同行の話を通すため一旦帰館することにした。
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