45話 雫vs漣

 左足を斜め後ろに少しだけ下げる。逃げる準備だ。一回でも先生の攻撃を防げばいいと言われた。だから最初は様子を見なければ。思いの外、冷静な自分に驚いている。

 

「『流波射谷斬リヴァイアサン』」

 

 大技いきなり!?

 先生の水刀の先から川のような龍が生まれてものすごい勢いで僕に向かってきた。

 

「『沈歌姉妹セイレーン』」

 

 リヴァイヤサンを生み出すのとほぼ同時だったと思う。先生がかざした左手で水球を四つ作った。

 そこから人の姿が飛び出してきたのが見えたけど、向かってくるリヴァイアサンでいっぱいいっぱいだ!

 

「っ!」

 

 リヴァイアサンが僕を飲み込もうと、大きく口を開けて向かってきた。口を閉じる直前で右に跳んだ。目の前でバチンという大きな音と風圧を感じる。

 

 息つく暇もなく今度は耳鳴りがし始めた。水刀を持っていない方の左手で耳を覆う。

 

「う、ぁ……」

 

 全然おさまらない。めまいもするし、少し吐き気もしてきた。でもそんな僕の様子にはお構いなしだ。リヴァイアサンは次の攻撃を仕掛けようと首を高く持ち上げた。

 目の前から巨体がなくなったことで、先生の姿が見えた。先生の周りには宙で泳ぎまわる四体の人型が見える。よく見たら下半身は魚だ。

 

 歌っている……?

 

 誰かと話している様子はないのに、口をパクパクさせている。リズミカルに躍りながら。この耳鳴りはきっとあの四人のせいだ。音は聞こえないけど、耳は震えを感じ取っている。それなら……

 

「『氷壁アイスウォール』!」


 バキバキという音を立てて、地面から壁が生えた。一時的だけどリヴァイヤサンの進路を防いだ。

 

「『水の箱』」

 

 先生に向けて手を突き出し、大きめの水の箱を練りだす。本当は四つ別々に作りたかったけど、時間がないので仕方がない。

 

 うまく操作して四人を箱の中に導く。逃げ惑う四人を箱がバタバタと追いかけている。ちょっとかわいそうになってくるけど、なんとか押し込めた。四人はぎゅうぎゅう詰めだ。それでも歌い続けているのは執念か、それとも先生の理術によるものか……。

 

 水の箱でも完全には歌を防ぐことはできないけど、かなり緩和された。耳鳴りはするけど吐き気とめまいはおさまった。自分の喉からぐっと唾を飲み込む音がした。

 

「なるほど。しかし完全には防げておらんからこれはノーカウントじゃな」


 先生が何か言っているけど、リヴァイアサンが氷の壁を突き破ろうとする大きな音で聞き取れなかった。別に突き破らなくても、迂回すれば僕に届く。それをわざわざ氷壁を破壊するあたりに凶暴さを感じる。


 どうしよう。対抗できるとしたらブリザードか、同じリヴァイアサンだろう。でも先生のリヴァイアサンと僕のとでは絶対的な差がある。きっとすぐに潰されて終わってしまう。

 

「これはどうじゃ?」

 

 先生が再び水球を作り出した。……パッと見た感じだと三十個くらいだろうか。いやどんどん増えている。僕の乱発より断然多い。

 

「『氷刀……」

 

 水球ひとつひとつから鋭い氷刀が錬成される。一本ずつの長さはそこまで長くない。遠目だけど、僕愛用の野菜包丁くらいだと思う。当然ながら刃先がこっちを向いている。

 

 これ、多少の切り傷で済むかな。

 

「……乱舞』!」

 

 一斉に向かってくる氷刀。氷柱演舞と似ているけど少し違う。氷刀乱舞は逃げても無駄だ。目的物に攻撃を与えるか、壊れるかするまで追いかけてくるはずだ。攻撃される前に壊すしかない!

 

「『氷盤アイスバン』!」

 

 氷壁では避けて通られる可能性がある。回避できないギリギリの感覚でタイミング良く氷刀にぶつかるように理術を放つ。

 

 氷刀と氷壁がぶつかって、お互い破壊される。粉々になった部分が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。普通なら見とれるところだけど、今はそれどころじゃない。

 

「……っ!」

 

 一本間に合わなかった。僕の顔を少し擦っていった。氷刀の冷たさで痛いのか、切れて痛いのか分からない。ただ、僕に僅かなダメージを与えたので、氷刀は満足して消えたようだ。

 

「『氷柱演舞』」

「雫! 避けろ!!」

 

 えんさんの声が響いた。しまった、一息ついてしまった。間髪いれずに先生の攻撃が続く。上を見ると無数の氷柱が見える。

 

 まずい! 数が多い!

 

 反射的に後ろに飛び退く。立っていた地面にバラバラと氷柱が落ちた。

 

 氷柱演舞で攻撃されるのはこれで三回目だ。一回目は鍾乳洞で。二回目は母に化けた美蛇の兄に。今回は殺意や悪意を感じないだけ、少し気持ちが楽だ。

 

 でもいままでの攻撃に比べて圧倒的に数が多いのは、先生の力なんだろう。氷盤だと数が読めなくて防げないし、水壁や氷壁で防ぐ暇もない。次々と飛んでくる氷柱をかわしたり、水刀払ったりするので精一杯だ。

 

 ふっと影が射した。あれ、そういえばリヴァイアサンはどこへ……。

 

 影を作った原因はすぐに分かった。リヴァイアサンの頭が僕の真上にあった。すぐに逃げようとしたが、手遅れだった。周りを見ると、僕はリヴァイアサンの長い胴体に囲まれていた。


 飛んでくる氷柱を上手くかわせていると思っていた。でも実は、追い詰められていただけだったようだ。

 

 どうしようどうしよう。逃げ場がない。

 

 リヴァイアサンの胴体が迫ってきて、急速に締め上げられた。

 

「ぐ……ぅ」

「雫!」

 

 苦しい。巻き込まれなかった左腕で何とか脱出しようとするけど、当然ながらビクともしない。

 

 水刀の先が胴体からはみ出しているのが見えた。左手を伸ばす。握れなくても、せめて、指さえ届けば……。

 

「降参するかの?」

「……ま、だです」

 

 先生が動かないまま水の箱を僕に近づけてきた。必然的にその中の歌い手もついてきているようだ。僕の耳鳴りがひどくなる。

 

 刃先に指が届いた。触れた指先から水刀を形成し直して左手で掴む。刃先だけを氷結させて、上げられるだけ高く持ち上げる。

 

「はっ!」

 

 勢いをつけて、僕を締め上げるリヴァイアサンの胴体に突き刺した。水で出来ているから当然ながら手応えはないし、効いているとは思えない。

 

 分かった上で刺した。刺されたのが分かったのか締め上げが強くなる。苦しい。でも意識を研ぎ澄ませて水刀の先に理力を集める。

 

「『氷結』!」


 水刀を凍らせつつリヴァイアサンも氷結に巻き込んでしまえば、動きは止められるはずだ。辺りの理力をかき集めて、氷結に集中する。

 

「ぐっ……」

 

 締め付けがよりキツくなる。少し凍らせれば体積が増える。その分キツくなっても当然なんだけど……。おかしい。全く凍る様子がない。理力をこんなに流し込んでいるのに、まるで雲を刺しているかのようだ。

 

「くっ……は」

 

 渇いた声しか出てこない。

 

「雫もうやめろ!」

「……往生際が悪いのぅ。わしの本体を使うと言ったじゃろう?」

 

 先生の本体……しまった! 海水だ! 淡水に比べて凍る温度がかなり低い。先生ならともかく、僕の力量では凍らせることは難しい。

 

「少し反省せよ」

 

 リヴァイアサンの顔が真上から迫ってきて、僕に噛みついた。思わず目をつぶったけど、痛くはない。ただ体が飲み込まれるのを感じた。

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