閑話 十年前~雫との出会い①

十年前



「……以上で報告を終わります。私めの沼およびその周辺の水域は、御上のご采配により異常なく保たれております」

「報告ご苦労」


 形式だけ残っている中身のない謁見。聞く話も言う言葉もいつも大体同じだ。うんざりしてくる。

 

 固い玉座はいつも冷たくて氷のようだ。何時間座っても、暖まるどころか私の体温と忍耐力を奪っていく。


 少し離れたところでひざまず仲位ヴェルの沼から定例の報告を終える。そんなに古い沼ではないが、生まれつき持つ力が高く、周辺の水精の面倒をよく見ていると評判の精霊だ。


「そなたの沼が今日も平和なのはそなた自身の尽力だ。日々、大義である」

「はいっ!ありがたきお言葉でございます」


 私が水精の王として即位してからまもなく二百年が経とうとしていた。流没闘争で争っていた水精同士も表面上は落ち着いているようだ。


 沼の精霊を見下ろす。


 この女性は、前回登城した際にはもう少し、いやもうかなり痩せていたはずだが、ずいぶんと……なんと言うか……グラマラスになったものだ……。ここからでも波のようにうねった黒髪に艶が出ているのが分かる。


「時に派井沼はいぬまどの、少し尋ねたいことがあるのだが」

「は? 何でございましょう」


 話を振られるとは思っていなかったのだろう。驚いて顔を上げたようだが、すぐに媚を売るような目付きに変わった。体をくねらせて気持ちが悪い。第一、尋ねるとは言ったが、面をあげていいとは言っていない。舐められたものだ。


真川まかわどのは達者かな? 最近姿を見せないのだが」


 一瞬で顔色が変わった。すぐに額に汗をかきはじめたのが分かった。小さな声で何やらぶつぶつ言っているようだが聞き取れない。やましいことがありますと言っているようなものだ。


「派井どの? どうしたのだ。真川どのは健在かと聞いている」

「い、いえ、何でもございません。御上、突然どうなされました。あのような最下位の……季位ディル溝川どぶがわを気になさるなど。報告なら私めが」


 守るべき存在の季位をけなした時点で自分が高位にあるという自覚がないのだから呆れたものだ。こんな者が今までよく仲位ヴェルに居座っていたな。


「何、大した用はないが……真川に会いたくてね。あれはなかなかに賢いので話をしたいのだよ」


 なるべく低い声で言ってみる。普段は押さえている力を少し強めてみる。それを読みとるかどうかはこいつ次第だ。先程よりも大量の汗が光っている。


「っ……御上。恐れながら御上の治世に、あのような者は何の役にも立たないのでは? それよりも、それよりも私を登用下さいませ。 今、お側には誰もお仕えしていないご様子。僭越ながら、私なら御上のお役に立てます! 必ずや私めが」

「うるさい。『氷石ロック』」


 私の怒りを読み取らなかったようだ。黙れと言っても聞かないだろうから、額にかいている大量の汗を凍らせて喉に詰めてやった。凍らせるだけの氷結と違い、石のようにその場から動かない理術だ。

 

 急に息が詰まって戸惑っている。喉に手を当てているが何が起こったかまでは分かっていないだろう。


「!!ヒッ……ヒューッ…ヒュ」

「派井沼どのは余の質問に答えたくないようだ。何度も余の質問を無視した」


 わざとゆっくり立ち上がる。何段か高くなっているのもあり、さらに見下ろす形になった。


「貴様、真川を飲んだな?」

「!!ーー!」


 何か言いたそうだが声は出ない。だがその表情から、私の予想が当たっていることは明らかだ。聞き苦しい言い訳を聞かされない分、喉を塞いだのはある意味正解だったと言える。


「さて、覚悟は出来ているんだよね?」


 わざと親しい者に語りかけるように言う。にっこり微笑んでやった方がいいだろうか。


「その腹を割いたら飲まれてしまった憐れな真川が出てくるかな?」

「ヒッヒュッ!! ヒューッ!」


 跪いたまま後ずさる。私の威圧に圧されて立ち上がれないのだろうが、意外に器用だ。その器用さで私を誤魔化せると思ったら、大間違いだ。


 右手の人差し指を派井沼はいぬまに向ける。正確には派井沼の顔を指し、ゆっくりまっすぐ降ろして腹の辺りで止める。喉につまっている氷石を一粒だけ腹まで下ろした。


 女の目には涙が浮かんでいるようだが、それは生理的なものだ。それを精一杯利用して憐れみを乞おうと言うのだから……。


 いい加減消えてもらおう。


「理王の名において、そなたの名とその管理下にある本体の沼を没収する! 世界を巡ってやり直せ! 『氷石破裂ロックバーン』」


 パンッという音とともに石が弾け、女の腹が裂けた。バシャンという音と共に床が濡れ、鏡のように装飾の多い天井を写す。

しかし、その光景もあっという間に終わり、水鏡はこの世の理力へと変化するために消えていく。

 人型を保てなくなった瀕死ひんしなまずがうねっているが、こちらもすぐに消えてなくなった。


 ――またか。


 今月に入って何度目だ。


 登城してくる者たちは、ほとんどが自分を登用しろと売り込んでくる。よほど自信があるようだが、その自信はどこから来るのか。

 

 確かに伯位アル仲位ヴェルの位があれば私の側近となり、いずれは王太子として任命することも出来る。

 だが、自分が精霊の頂点に立ちたいためだけに売り込んでくるような、下心満載の者に私が心を許すと思うのだろうか。


 自分でもため息をついたのがわかった。髪が肩から滑り降りてきて鬱陶うっとうしい。手で軽く払いのけ、首を上に向けたところで誰かが勝手に謁見の間に入ってくる気配がした。


「……入って良いと言ったか」


 ろくに見もせずに声をかけたのが失敗だった。記憶にある近しい者の気配であることを直後に感じて、バッと首を戻した。


「『自分からは話さない』『相手が動くのを待て』と散々教えたのに、もうそんなにすさんでおるのか」

「……し、れんどの」

「おっと、いかんいかん。……よっこらしょっと。御上におかれましてはご機嫌麗しゅう。孟位エクス 小波さざなみれん、登城致しました」

「……大義」


 先ほどまでなまずがうねっていた場所に跪いたのは、先々代理王だ。ひざまずいているのに溢れ出る力が他の精霊との格の違いを感じさせる。


 私を王太子として、理王として仕立て……元へ、育てた張本人。教わったことはたくさんあるが、たまった恨みもたくさんあった。儀礼的なやり取りを真面目にこなすあたりが元理王の所以ゆえんというかなんというか……。


「ふむ。わしの気配も分からぬとは、あまりよくないのぅ」

「なぜ謁見で来るんです。応接間か執務室でいいでしょう?」

「……時化しけた面を拝んでやろうかと思っての」


 爺が両手を合わせて私を拝みだした。事前の申請なしで直に謁見できる精霊がどこにいるというんだ。

 いや、ここに一人いる。元理王の地位なら、順番などふっ飛ばして理王に会えるだろう。


「まぁ、挨拶はそれくらいにして。真面目な話をしようかの」

「二百年近くの引きこもりをやめるほど大事な話ですか?」


 私が即位したとき、流没闘争がおさまったばかりで、この精霊も満身創痍だった。少し休みたいと言ってきたから、許可したら二百年も顔を見せなかった。登城命令でも出せば良かったのだが、なんか悔しくて放置していたのだ。

 

 嫌味を言っても元理王は表情を変えない。それにしても相変わらず目が開いているのかどうか分からない。

 

「……御上に急ぎの視察をご提案いたします」

「視察?」

 

 視察なら面倒だが定期的には行くようにしている。うちには来たとか来ないとかあとでまた揉めるのは嫌だから、割とまめに行っている方だと思うのだが。


「東の大河でございます。御上のご采配を仰ぎたいと、私を通して依頼がございました」

「なぜ、直接来ない。私が行かなくとも采配ならここで出来ることもある。見に行くかどうかはそれから判断すればいいだろう」


 師匠としての口調から下位としての振るまいに変わったので、私も王として孟位エクスに語りかける。これが本来あるべき姿なのだ。

 

 東の大河か、まだ行ってないな。

 

「こちらに来られない事情があるようでございます。何卒急ぎ向かわれますよう重ねて進言いたします」 

 

 ここまで言って引き下がらないのはそれほどまでに逼迫ひっぱくしているからなのだろう。いつも掴み所のない小波さざなみは、今日に限ってそこから岩のように動こうとしない。頭を軽く下げ、膝をついたままだ。私の承諾を得るまでは帰らないという思いが伝わってくる。

 

「……場所は?」

 

 今日は私が折れるとしよう。次は絶対に譲歩しないと心に決めながら、爺のしたり顔を睨んだ。

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