第13話 ゲーム講義失格
小田と遭遇して数日、俺は何故か、講義に出席していた。代筆だけでない何かが、そこにあった。
「このような過程を経て、ゲームは日々、時代に合わせて変化しながら今まで生き残ってきたわけです」
教授が相も変わらず一人で講義をしている。学生が一人増えようと二人減ろうと全く気付きもしない。
貰った資料をぺらぺらとめくる。この講義は単位を貰うのが簡単だと聞いたから、受けている。講義内容に何の頓着もなければ、事前知識もない。ただ。
「この講義、紗子ちゃんにぴったりだな……」
そう、思った。今まで意識もしたことがなかったが、まさに紗子ちゃんにうってつけの内容だ。紗子ちゃんはこの講義の存在を知らなかったんだろうか。案外同じ部屋にいたり……
「……」
いた。最前列でノートを取りながら講義を受けている紗子ちゃんが、そこにいた。何をしてるんだ、あいつは。最前列でノートを取りながら講義を受けてるような大学生は初めて見た。紗子ちゃんらしいと言えば、紗子ちゃんらしい。
今の今まで気づかなかった。それだけ俺が講義に興味を持っていなかったということなんだろう。今日は一緒に講義を受けているるかちんの代筆の役目も担ってきたわけだが、僥倖だった。今度からこの講義の代筆は全部俺がやろう。
そこに小田と出会ったことによる意識の変化は、なかった。なかった、はずだ。
「じゃあこれで講義を終わります」
講義の本来終わる時間よりも五分ほど早く、教授が部屋を出た。飽きたのかもしれない。紗子ちゃんを見てみると、いそいそと講義ノートをしまっている。そもそもノートすら出さなかった俺はバッグを肩にかけ、紗子ちゃんの下へと向かった。
「さーえーこちゃん」
「……っ!」
小さなジャンプと共に紗子ちゃんの肩を掴むと、びく、と体が震える感触が俺の手に伝わった。
「あ……生島さん? え、お、おはようございます」
驚きと恐怖の表情から、安堵の表情に変わる。可愛い。
「いやいや、もう昼だよ紗子ちゃん」
「生島さん、ビックリしました」
「いやあ、ごめんごめん」
なははは、と適当に笑い、誤魔化す。
「生島さんと同じ講義取ってるなんて……知りませんでした」
両手で口元を隠し、目を細めて俺から視線を外した。人前で俺と会うのが初めてだから緊張してるのかもしれない。
「そうだね。僕もまさか同じ講義室に紗子ちゃんがいるだなんて思いもしなかったよ。いやあ、驚きだなあ」
「どうして今まで気づかなかったんでしょう。もしかして生島さん、後ろの方で講義受けてるんですか?」
「ま、まあね~。だから僕も紗子ちゃんも気付かなかったわけか~」
嘘だ。講義なんて元々まともに受けちゃいない。他の奴が講義に出る時は全部代筆を頼んで、俺が出る時もスマホをいじってまともに講義を聞いていなかったからだ。だから紗子ちゃんにも気付かなかった。それに、後ろの方でスマホをいじっているような連中が最前列で講義ノートを取りながら受けているやつのことを知っている訳がない。
「でも今日知れて良かったよ。紗子ちゃん、誰かと一緒に講義受けてるのかな?」
「い、いえ、全然……!」
ぱたぱたと眼前で手を振る。小さい体に大きなモーションがよく映える。
「そかそか~、じゃあ次の講義から僕と一緒に受けないかい?」
「え……」
一瞬の緊張した空気。
「いいんですか!? じゃあ一緒に受けます!」
興奮して紗子ちゃんが近寄ってくる。近い近い。本当にいつもいつも、興奮した時は人との距離が上手く測れない子だな。
「あ、じゃあ今度から私も後ろに……」
「いや、いいよいいよ。僕も前で受けるよ。一番前はちょっと講師のプレッシャーが強いからあれだからさ、真ん中よりちょっと前くらいで受けない?」
「あ、はい! 分かりました!」
両手でノートを抱えた体で小刻みにジャンプする。感情が体全体に出ている様子がほほえましい。
「そかそか、分かったよ紗子ちゃん。ところで紗子ちゃん、この後講義とかないのかい?」
「あ……」
講義が終わって既に十分は経過している。
「ああああああああああああ!」
驚く程分かりやすく、紗子ちゃんは驚愕した。講義も終わって人もいなくなったからよかったものの、人前でこんなに驚かれちゃ大恥だよ。
「すみませんすみません生島さん! 私次もその次も講義がありました! ごめんなさい生島さん、私まだお話したいんですけど、どうしても出来ないです! ごめんなさい! また!」
「分かった分かったから。じゃあ行ってきな、紗子ちゃん」
焦りながら早口で言う。たかだか講義ごときでそんなに焦らなくても。
「じゃ、じゃあまたよろしくおねがいします、生島さん!」
「はいは~い」
乱雑に講義ノートをバッグにしまった紗子ちゃんは、一心不乱に駆けて行った。嵐のような女だ。
「全く……」
俺は軽く首をすくめ、サークルの溜まり場へと向かった。
「おいっす~」
「うぃ~」
紗子ちゃんを見送った帰り、俺は食堂の最上階へと顔を出していた。雑談に興じるやつ。スマホでマイパイプを見ているやつ。何か音楽を聴きながら口ずさんでいるやつ。スマホゲームに首ったけのやつ。トランプやその他各種カードゲームと、ありとあらゆる混沌が、そこにはあった。
「おっつ~、昂輝。ちゃんと私の代筆やった?」
「おっつ~るかちん。いや、るかちんの名前だけ書かなかったよ」
「ちょ、何!? マジぃ!? ふざけ!」
「うそうそ。書いた書いた」
「もぉ~、ほんと昂輝うざい~」
周りの連中に視線を送り、げらげらと手を叩く。紗子ちゃんと会った後だからか、なんだかいつもの楽しさが感じられない。
「あ、るかちん。僕はこれからあの講義毎回出るから代筆は任せといてよ」
「え、マジ~? どういう風の吹き回し~?」
「こういう風の吹き回しさ!」
俺は山田の後ろに立ち、髪を一気にかきあげた。
「いゃーーーっ!」
「あっはっはっはっは」
かきあげた髪を必死で元に戻そうとする。
「いやあ、今日のるかちんの髪ごわごわだねえ」
「ちょーっ、マジでない。本当昂輝って女心分かんないじゃ~ん。折角セットしたのに台無しだわ~!」
「大丈夫大丈夫、セットしてなくてもセットしてても同じようなボサボサだから」
「はぁ~!? うるせっ!」
べー、とるかちんは舌を出して抗議する。
「え、すごいいい写真撮れたんだけど!」
るかちんとそんなどうでもいいやり取りをしていると、花木が俺たちに近づいてきた。
「見てこれ~」
「どれどれ」
花木がカメラを持って俺に見せてきた。そのカメラの向こうに、髪をかき上げられた瞬間の山田がいた。
「え、ちょ、二人だけ何見てんの~! 私も見たいから!」
俺と花木の間を縫って、山田がカメラを覗いた。山田が撮られた自分の写真を見た途端、真顔になった。対照に、花木は呵々大笑している。
「え、待って、超笑える」
花木は笑いながらカメラを見る。
「ねぇ、どうしよう昂輝。アウトとかあげたい」
「いや、マジで無理だから」
山田が刺すように一言、言った。一瞬でその場が凍る。いや、そう感じているのは俺だけかもしれない。
「ええ、なんでぇ? 私すっごいアウト映えすると思うんだけど」
「いや、全然しないから」
山田は花木の手からカメラを取ると、データを消去した。
「嘘、え~、ひど~い。アウト映えしそうだったのに」
「いや、盛れてない写真とか論外だから」
花木の顔も見ずカメラを返し、山田は自分のスマホをいじりだした。
「……」
花木は黙ったまま、またカメラを手に取った。
嵐のようにやって来て嵐のように去った一幕だった。なんだったんだ……。
「昂輝、これ何に見える?」
「え、あ、カメラ」
茫然自失としていたところで、花木に話しかけられる。
「このカメラ、どう?」
「え、どうって……」
言われてみればこのカメラ、とてつもなく高そうなフォルムをしている。黒光りする外装に、明らかに素人のものとは思えないような機能がついてそうなカメラだ。
「もしかしてこれが……」
「一眼レフ」
「本当かい!?」
純粋に驚いたせいで、少し声が出てしまう。
「え、綾がカメラ? 本当かい? どうして?」
「ちょ、昂輝食いつきすぎなんだけど」
カメラを守るようにして、花木は背を向ける。
「いやいや、取ったりしないよ」
「撮ったりするのは私なんだけど」
「お、上手い」
「別に上手くないんだけど」
ふふ、と花木は笑う。
「で、どうしてカメラなんて突然? 写真部入ったとかなのかい?」
「いや、あり得ないでしょ、興味ないし。ふふっ、それにこれ高かったし」
花木はカメラを俺に向けてきた。いつものポーズで写真を撮られてやる。
「まあカメラとかなんとなく欲しかったし。それにアウト映えとかしそうじゃない?」
「なる~~~」
無感動に、相槌を打った。
「やっぱり二回生だし何か持っときたいでしょ」
そして花木はごと、とカメラを置いた。
やっぱりそうかよ。やっぱりお前は予想通りの人間だよ。
カメラをしまい、花木はまたスマホを取り出した。
お前は努力する人間が嫌いなのに、何者かになりたがる。人を制するリーダーになりたいのか、人とは違う何者かになりたいのか。結局、どうしようもない有象無象の人間という肩書を捨てたくなったんだろう。そのために、興味もないカメラを買って、それで何も成していないのにも関わらず、何者かにでもなったような気分になる。何の努力も必要とせず、ボタン一つ押すだけでプロ並みの実力を得られると、そう思い込んだから買ったんだろ。
お前は、お前は俺と一緒だよ。お前も俺も、何者にもなれねぇんだよ。人の上に立つ人間でも、人から注目されるような人間でもねぇんだよ。人並みの幸せを甘受しながらただ平凡な暮らしをしていく、俺たちはそういう運命なんだよ。一眼レフを買ったくらいで自分の人生が華やかになる訳じゃねぇんだよ。興味もねぇ物買って何になるんだよ。
俺はスマホを開き、花木のアカウント画像を見た。いつの間にか、一眼レフで何かを撮る花木の姿が、アイコンになっていた。
ほらな。
嘲笑。侮蔑。軽蔑。そして安堵と憐憫。
お前は写真を撮ることが好きなんじゃねぇよ。写真を撮ってる自分が好きなんだよ。一眼レフを持ってる、人とは違う自分が好きなんだよ。
お前も俺も、同じだよ。無個性の集まり。どうしようもない凡俗。
何を願ったってかなわない。そんな人生を脱却することなんて出来ない。だからこそ、今を楽しく生きるんだろ。無駄なことに時間割いてんじゃねぇよ。
「どしたん昂輝? さっきからお口チャックじゃない?」
「いやあ、綾も一眼レフなんて買っちゃって、僕たちから随分遠くに行っちゃったなあ、としみじみと思ってたわけだよ」
「やだ昂輝、何言ってんの。もお~」
俺の肩をぱちぱちと叩きながら、満足げな顔をする。
ほら。お前はこの言葉が欲しかったんだよな。
俺と花木が話していると、山田と安藤がやって来た。
「今日飲み行く予定だけどお前ら行く?」
「行こ行こ~! 今日は誰かつぶれるまで帰れまテン~!」
山田が即座に返答した。
「じゃあ昂輝と綾も来るの強制な?」
「別に行くって言ってないんだけど~」
俺は安藤と山田に手を引かれ、偽りの笑顔を張り付けたまま立ち上がった。
どうにも、俺は最近どこにいても楽しさを覚えない。理由は判然としないが、とにもかくにもイライラする。
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