第14話 飲み会失格
食堂を降りていると、途中で階段を上る紗子ちゃんを見つけた。相変わらずパソコンを大事そうに抱えている。ぱ、と顔を上げた紗子ちゃんが俺を見た。目が合う。
あ。
「で~、俺が食堂でそんな気持ち悪ぃ話すんな、って言ってやったわけ」
「本当オタクって気持ち悪い~」
安藤と花木が話す。その後方に、俺。紗子ちゃんは少し前髪を触り、にへ、と不器用な笑顔を向けながら俺に手を振って来た。
「え、なに」
「は?」
花木と安藤が小声で呟く。位置的に、紗子ちゃんが俺に手を振ったことが安藤たちにも見られた。俺は――
「…………」
手を振り返さなかった。紗子ちゃんと友達だということがバレたくなくて、意識的に紗子ちゃんから目を逸らした。紗子ちゃんと仲が良いと安藤たちにバレれば、文化祭の絵を提出した時のような反応がされることは間違いなかった。
俺は自己保身の為に、紗子ちゃんとは知らない関係を演じる必要があった。紗子ちゃんみたいな人間と友達だと、そう思われたくなかった。
「……」
また不器用に笑った紗子ちゃんはそのまま視線を落とし、小さく駆けて行った。まるで俺が紗子ちゃんに気付いていないかのような態度をとってしまったことに、心がひどく傷んだ。
「何あれ?」
「きも」
「ちょっとないんだけど~、ウケる」
安藤たちがくすくすと笑う。
「あれ昂輝に手振ってたんじゃね?」
「え?」
安藤が俺に水を向ける。
「ほら、お前まえあの女が落とした金拾ってなかったか? あれで多分あいつ勘違いしたんだろ」
「だから昂輝に手とか振ってたわけ? うわ、きっしょ」
「ちょっと自意識過剰すぎるよね~」
けらけらと紗子ちゃんを扱き下ろす。
「い……」
俺のせいで、また紗子ちゃんが傷つけられている。傷つけられているのに、
「いやあ~、本当だよねえ。全く、ああいう勘違いもほどほどにして欲しいよ」
あははは、と笑うことしか出来なかった。
「本当昂輝あんなオタクに手貸したりするからこうなるわけ」
「もうちょっと考えなよ~」
「あははは、いやあ」
俺は花木と山田の言葉を聞き流し、ただただ曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。
自己保身の為に紗子ちゃんと無関係を演じる俺は、とても醜い人間に思えた。
駅前の飲み屋街――
「凄い活況だねえ」
「そだね~」
俺は花蓮ちゃんと、以前約束した飲みに来ていた。
「花蓮ちゃん、今日は来てくれてありがとうね」
「全然いいよ~」
あはは、と笑った。相変わらず笑顔が眩しい奴だな、と思う。
「じゃあどこの飲み屋行こうか? 僕は特に決めていないんだけど」
「ん~、じゃあ安い所」
「ストレートな言い回しだねえ」
さすが花蓮ちゃんと言うべきか、苦学生である花蓮ちゃんを飲みに誘ってしまったことにいささかの申し訳なさがある。
「じゃあ僕のおすすめの安い飲み屋に行こうか」
「いいよ~」
俺は繁華街を少し離れた落ち着いた通りにある飲み屋に入った。
「ふ~、じゃあ何食べるか決めようか?」
「分かってるよ~」
どれがいいかな~、と花蓮ちゃんはメニューを見る。俺もメニューに目を通した。
「じゃあもういいかい?」
「え、早いよ~! もう決めたの?」
「まあ最初はビールって決まってるからね」
「そうなんだ。じゃあ私も最初は適当に頼むよ」
俺と花蓮ちゃんは適当に注文をした。途中、後ろの集団からコールが聞こえて来た。
「みゃーの良い所見~た~い~見~た~い~」
うわあ。少し引いてしまう。花蓮ちゃんはどう考えてもそういう人種ではない。そもそも大学生なのに何のサークルにも入っていないことからも、こういうコールだとかそういうものに対する抵抗力がない気がする。これは選ぶ店を間違えてしまったかもしれない。
「じゃあ以上で」
だが俺の予想に反して、花蓮ちゃんは全く気にも留めていなかった。杞憂だった。そうこうしているうちに、コールも聞こえて来なくなった。
「いやあ、今日は来てくれてありがとう、花蓮ちゃん」
焦って話を変えようとしたからか、また同じことを言ってしまう。
「別に全然いいよ。私も来たかったから」
「いや~ありがたいな~」
揉み手で言う。
「ところで、最近調子はどうだい花蓮ちゃん?」
「う~ん、普通かな~。ちょっとレポートが大変で忙しいかも」
「へぇ~そうかい」
大学生にもなってレポートなんてやってんなよ。自然に悪態をつきそうになる。
「生島君は?」
「僕はそこそこかな~」
「そうなんだ。そう言えば生島君、まえ部活のこと訊いてこなかった?」
「ああ、花蓮ちゃんが部活やってないって話だったよね」
「うん。生島君は何の部活入ってるんだっけ?」
「ん~……」
ここで言うべきだろうか。言ってしまってもいいものだろうか。さっきの反応を見た感じ、花蓮ちゃんは飲みのあれこれに対して耐性があるように思えた。なら、言ってしまおう。
「色々やってるかなあ。オールラウンドサークルとか言われてるけど、そんな感じだね」
「オールラウンドサークル?」
不思議そうに小首をかしげる。
実際テニスサークルだが、一応オールラウンドサークルとも言われているため、そちらを採用した。やはり、テニスサークルと言う勇気は出なかった。花蓮ちゃんに嫌われる可能性を考えて、耳触りの良い方にした。
「そうそう。何でもやる部活……みたいな感じかなあ」
「そうなんだ。すごい!」
花蓮ちゃんは俺を褒めそやす。こいつもしかして……。
「ところで花蓮ちゃんは大学の部活の見学とか行ったことあるかな?」
「え……ないかなあ。ちょっと部活やる余力ないかなあ、って」
ああ。そうか。分かる。花蓮ちゃんは飲みサーという単語自体よく知らない。部活の活動内容も何もかもがただの建前で、その本質がただ遊ぶだけのサークルが存在するということを、花蓮ちゃんは知らない。いや、知らないのか、単純にそんな部活が存在しないと思い込んでいるのか。
どちらにしても、花蓮ちゃんは俺が真面目に何かに取り組んでいると、そう思っているんじゃないだろうか。
「オールラウンドって個人に合わせて何かをしよう、っていう感じなの?」
「う~ん……まあそうかなあ」
曖昧にしか答えられない。何もやっていないんだから、何を語ることも出来ない。
頼まれた料理が届く。
「私も部活とかやってみたかったかも。オールラウンドってすごいね」
違う。凄くない。何も凄くない。オールラウンドに何かをする部活は、ある意味ではオールラウンドに何もしない部活だともいえる。オールラウンドってことは何もしないことを裏返して良いように言っているだけだ。そんな褒められたような部活なんかじゃ、ない。
「僕はそんなに褒められた人間じゃないよ」
「そう?」
自虐的に、つい言ってしまった。
「私生島君のことこれでも結構尊敬してるよ?」
「え?」
酒が届く。花蓮ちゃんはお酒に手を付けた。
「生島君にありがとうって、言いたかった」
「え、僕にかい?」
突然の花蓮ちゃんの告白に目を白黒させる。俺に? 一体何を? 全く覚えがない。
「一回、私コンビニで財布なくしたことあったでしょ?」
「ああ、あったね」
シフトの時間が終わって帰ろうとした矢先、花蓮ちゃんがそう叫んだことがあった。
「それで私泣きそうになって」
確かに苦学生たる花蓮ちゃんなら泣きそうになっても仕方ないかもしれない。
「その時、結構お金財布に入れちゃってた時だったから焦ってた。でも生島君、私が財布なくしたって言ったら一緒に探してくれたよね?」
「ああ、そうだね」
本当は花蓮ちゃんと二人でいたかっただけだ。花蓮ちゃんの財布なんてどうでもよかった。なんならあのまま一生見つからなくてもいい、とすら思った。
「でも探しても探しても見つからなくて、本当に私怖くて、泣きそうで、悔しくて、悲しくて、色んな感情がごちゃ混ぜになった」
「うん……」
涙を目にためたまま下唇を噛んでいた。俺もちょっといたたまれない気分になったことを覚えている。
「でね、探しても探しても見つからないのはおかしいと思って。生島君が犯人なんじゃないか、って言ったよね」
「犯人にされかけたね」
苦笑する。花蓮ちゃんも焦ってたから仕方ないな、とは思っていたけれど。
「生島君バイト中にいなくなること多いし、その時に私の鞄からこっそり財布取ったんじゃないかな、って。だから財布見つからないんじゃないかな、って。私、生島君がバイト中にそんなことしたんじゃないかって思った」
あながち間違いじゃない。事実、俺は今でも仕事をさぼってる。
「生島君が犯人じゃないの。生島君が私の財布盗んだんだよね!? 仕事中にどこに行ってたの!? おかしいじゃん! 絶対生島君が盗ったんでしょ。教えてよ、私の財布なの! なんで真面目にやってくれないの。なんで仕事中に変な所行ってるの。何とか言ってよ! って、私散々生島君に怒った気がする」
「あはははは」
確かに、怒られた。目を赤くはらして俺に詰め寄って来た花蓮ちゃんは、正直ちょっと怖かった。
「でも生島君、何も言わなかったよね。見つかるまで探そう? って、そう言ってくれたよね。結局、財布は私の鞄の中にあったから本当に私自分が嫌になった。でも生島君は良かったね、って笑ってくれたよね。私が生島君にあんなひどいこと言ったのに一言も怒らずに、笑ってくれたよね。私生島君のことずっと誤解してた。勘違いしてた。生島君は何も真面目にやってくれない嫌な人だと思ってた。でも違った」
「…………」
止めてくれ。
「生島君、もう一回言うね。私を信じてくれて、私を守ってくれて、ありがとう」
「……うん」
違う。違う違う違う違う違う。俺はそんな大それた人間なんかじゃあ、ない。一緒に探そうって言ったのだって反論したら花蓮ちゃんが余計怒ると思ったからだ。本当はもう今すぐにでも帰ろうと、そう思ってた。そんな風に勘違いしないでくれ。
俺は花蓮ちゃんに褒められるような人間じゃない。俺は人に褒められていいような行動をしていない。全部が全部自分のためなんだ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
そんな風に俺を褒めないでくれ。俺に感謝しないでくれ。俺は人から期待されたくない。俺はそんな期待を背負えるような努力を、人に見せられるような行動をとってきたわけじゃない。
「生島君、ありがとう」
「……僕はそんないい人間じゃないよ」
俺は逃げるようにして、小声で言った。
全部が全部花蓮ちゃんの勘違いだ。俺は俺がしてきたことに過大な評価を付けられるのが嫌だ。俺に対してそんな評価を付けられたくない。
「生島君はいつも自分のことを過少評価してるよね。もっと自信持ってよ。私は生島君の優しさ、すごい尊敬してる。生島君はいい人だよ」
ああ。なんなんだこの感情は。なんなんだ、この言いしれない胸の痛みは。俺は、本当に駄目な奴だ。
「生島君ご飯食べないの?」
「い、いやあ、食べる食べる」
紗子ちゃんも花蓮ちゃんも、俺を褒めそやす。俺は人から褒められるのが、とても嫌いだった。
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