第7話 棋士失格
「うぃ~、おっす昂輝」
「うぃ~、瑛士」
いつものように食堂でスマホをいじっていると、安藤がやって来た。イヤホンで音楽を聴きながら体でリズムを取っている。
「昨日の短期マジめんどくなかった?」
「全くだね」
俺は安藤に同意する。
「え、なに、何の話?」
「昨日の短期のことだよ」
「あ~、凄い分かる」
話を聞きつけた花木に軽く説明する。俺は安藤と花木との三人で短期の試験監督のバイトに行った。そしていつものように短期バイトで稼いだ一日分の給料の殆どをその日のうちに使った。バイト終わりに三人で飲み屋に行き、ラクノウワンに行き、最後に百貨店で将棋を買って帰って来た。
「で、昂輝将棋持ってるか?」
「もちろんだよ」
俺は鞄の中から、将棋盤と駒がついた将棋セットを取り出した。定価およそ一四〇〇円。安藤は俺の手にある将棋セットを取り、花木に顔を向けた。
「これ、やらね?」
「え、凄い突然なんだけど」
笑いながら花木は言う。
一週間ほど前から、将棋業界がメディアで大きく取り上げられていた。誰々とかいう少年が史上最年少でプロ棋士になっただとか、歴代の最高連勝記録がどうたらだとか、詳しいことは一切分からないが、とにかく今は将棋が流行っている。その流行に、俺たちは乗った。将棋をやってみよう、と安藤が言い出したのを切っ掛けに、金を折半して将棋セットを買った。
「綾、将棋のやり方とか知ってんの?」
「全然知らないんだけど」
え、待って、と笑いながら将棋の駒を触る。
「あぁ~、お前本当駄目だな。将棋のルールも知らねえのかよ」
「ちょっと、ウザい~」
安藤は花木に将棋のルールを教えながら将棋を始めた。
金は斜め後ろ以外は一マス動けるだとか、将棋には戦法があって、だとか、それぞれの駒の動ける範囲を手ほどきで教えながら対局していた。
「え、ちょっと待って、パス!」
「パスなんてねぇよ!」
「詰んだじゃん」
「雑魚っ」
ものの数十分で花木は安藤に敗北した。
「いや、初めてだからだし!」
「じゃあ、もう一回やるか?」
「なんで~。ちょっと、昂輝やってよ~」
もう一度対局させられそうになった花木は俺の背中を押した。俺は安藤と対座する。
「昂輝がやんのか? お前将棋出来んのかよ~?」
「いやあ~、どうだろうね~。何回かやったことはあるけど戦法とかはあんまり知らないかな~」
「綾もこれ見てちゃんと覚えろよ~」
笑いながら安藤は駒を並べだした。ちょっと知ってるからってプロ気取りかよ。痛々しいんだよ。
飛車角落ちでやるか? だとかちょっと何かハンデあった方がいんじゃね? だとか、無駄に俺を気遣おうとしている。いや、自分の実力を過信している。お前のどこにそんな実力があんだよ。
「いやあ、じゃあ最初は取りあえず普通にやろうかなあ」
「おっけ。綾、ちゃんと見とけよ~?」
「もう~、昂輝えーくん黙らせて~!」
俺の背後で肩をパシパシと叩く。
「じゃあ、始めようか」
俺は安藤と対局を開始した。
「……」
「……」
安藤が考え込む。俺もまた、考え込んでいる風に黙り込む。俺が適当にやっていることがバレると、勝った時に安藤がわめきたてるからだ。
安藤が駒を進める。悪手。下策。まるで盤面が見えてない。俺は安藤の取ろうとしている方策の隙を示すように、駒を打った。
「っ……」
安藤が露骨に顔をしかめる。なんてことはない。一度対局してみれば、安藤はずぶの素人だった。俺自身も、将棋はほとんど素人と言っても差し支えがない。たまに将棋をさす程度で、俺も同じく、ずぶの素人だ。だが、安藤は俺以下だった。
将棋が流行っているからと、ネットで得た上っ面だけの知識をひけらかし、まるで自分が上の立場にあるかのように花木に手ほどきし、それを自分から流布していく。こんなに滑稽なことはないね。自分は愚者です、と触れて回っているようなもんだ。
意図せずして宮戸のようなことを思ってしまったことに苛立つ。
安藤の手が止まる。盤面は、ほとんど詰んでいた。安藤にもう勝機はないだろう。
「な、もうよくね?」
安藤が言った。
「もう俺の負けってことで終わろうぜ? もうやりたくねぇんだけど」
そう言うと俺の返答も待たずに、駒を片付け始めた。
「いや~、本当駄目だわ~、マジ将棋おもんね~」
俺の駒も自分の駒もまとめ、将棋セットを片付け始める。負けたと俺に言いたくないが故に、自分から勝負を降りた。負ける勝負をしたくないからこそ、降りた。自分の知識が上っ面だけであることを悟られたくないから、自分が他者より劣っていると思いたくがないからこそ、自分から勝負を止める。だからこそ、負けるという事実に対して向き合えない。
「まあ別に俺将棋とか好きじゃなかったし? いやあ、将棋ってこんなもんか~」
訊いてもいないのに言い訳がましく、つらつらと言葉を並び立てる。
「いやあ~、こんな時もあるんだね~。今日は調子よかったよ」
安藤が良い気分になるように阿諛追従するような言葉をかける。
「ま、別に俺将棋たいして好きでもねぇし」
ならやるなよ。
「じゃあ次、トランプやらね?」
安藤はそう言った。
「いいね! 綾は?」
「え、またなの!」
誘われることを待っているような顔をしていた花木を誘う。じゃあ仕方ないからやる、と嬉しそうな顔をする。
本当、どいつもこいつも気持ち悪い。
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