第6話 コミュニケーション研修失格


「はあ……」

 俺は講義に出るため、一人校内をうろついていた。鞄からぐちゃぐちゃに丸まった紙を取り出す。

「結構上手く出来たんだけどな」

 紙を広げる。ぐちゃぐちゃに丸めてしまったため所々破れ、原型は少し分かりづらい。せめて破れてなかったら、いかようにでもしようがあった。

「ま、いいか」 

 俺はゴミ箱の上に手を伸ばした。描いた絵を、捨てる。

「…………」

 描いた絵を、捨てる。

「……」

 何故だか、紗子ちゃんの姿が脳裏を過った。

「あぁ、そういえば次の講義までもう時間がないや」

 俺は腕時計をちら、と見ると早歩きで講義室へと向かいだした。丸めた紙を雑に鞄に放り入れ、そのこと自体を忘れるように急いだ。


 次の講義はコミュニケーション研修。コミュニケーションを学ぶという訳の分からない講義。単位が取れやすいという側面のほか、この講義には途方もない利点がある。それは、色んな女と知り合いになれるということ。

「初めまして、僕は生島昂輝。君は?」

「え、あ、宮沢杏」

 颯爽と席に着いた俺は、隣でスマホをいじっていた女に話しかけた。

「杏ちゃんかぁ~。コミュニケーション研修とかよくわかんないよねぇ~。どう思う?」

「あぁ~、それ分かる。コミュニケーションを研修するってどういうこと、って感じ」

 コミュニケーション研修という講義の話題で簡単に女と近づくことが出来る。免罪符があればどれだけ接近しても怪しまれない。

 もうすぐ講義が始まるという頃、遅れて一人の女が入ってきた。

「おぉ……」

「……」

 その場にいた誰もが息をのんだ。途轍もない、美人。そこにいた誰もが目を奪われた。俺もそのうちの一人だった。

 肩まで届いたロングストレートの髪に、整いすぎた端正な顔立ち。つん、とした切れ長の目に、何で出来ているのか、と不思議になるほどのもちもちとした頬。体は華奢で守ってあげたくなるようで、それでいて余分な脂肪をつけていない。まさに神に創られたかのような女が、そこにいた。

 女が歩くたび、俺らは目で追い続ける。がら、と椅子を引き、女は人気のない部屋の片隅に座った。

 これは大当たりだ。俺はすぐさま声をかけに行こうとしたが、講師が入って来た。仕方なく、浮かしていた腰を落ち着け、講義を適当に聞き始めた。


「じゃあ六人一班になってもらいます」

 講師はそう言うと、前の黒板に、チョークで班とその班員を書きだした。講義も中頃、講師のうすら寒い自己紹介が終わった後にグループ分けをするという話になった。

 あの女の隣になれますように。そんな俺の願いの中、講師は黒板に名前を一通り書き終えた。

「では、この班に分かれて下さい」

 俺の隣に書かれた名前は、宮戸凛。誰だ。誰なんだ。俺は期待と不安と焦燥とが入り混じった心持ちで席を移動した。

 ふわ、と春の花の匂いがした。

「少しどいてもらえる?」

 隣の椅子が引かれた。今この教室の視線を一斉に浴びているその女が、俺の横にいた。

「いやあ、ごめんごめん」

 軽く謝りながら、その場を譲った。周りの男が悔しげにしている様子がありありと浮かぶ。

「隣なんだね、よろしく。ということは宮戸凛ちゃんかな? 二回生?」

「そうだけど。気安くちゃん付けで呼ばないで」

「ああ、ごめんごめん」

 なんだこいつ。俺は宮戸から少し距離を取った。自分の容姿にあぐらをかいていたからなのか、性格が悪い。

 お前は容姿が良いだけだろ。生まれ持ったステータスだろうが。何を傲慢に生きてんだよ。

「僕は生島昂輝、宮戸さんと同じ大学二回生。趣味は旅行とか飲み会とか。よろしくね」

「……」

 手を差し出すも、ぷい、とそっぽを向かれる。自己紹介すらしてくれない。

「皆さん座りましたね。それでは、これからの講義の流れを説明します」

 言っているうちに、講義が再開された。行き場を失った手を引っ込め、前に向き直る。こいつ、どうにかして落としてやる。


 


 それからいくらか時間が経ち、講師が今日のまとめを話しだした。

「ということで、次の講義からはこの席順で座るようにしてください」

 前で講師が説明している中、俺は話も聞かずに落書きをする。次に紗子ちゃんに持っていくための絵を描いていた。紗子ちゃんと会ってから、最近は暇な時に絵を描いている。絵を描くことからはご無沙汰だったが、一度描き始めたことで昔の気持ちが戻って来た。

「それでは、今日の講義を終わります」

 落書きを続けていたことで、あっという間に講義が終わった。

「くーどさん」 

 講義が終わると俺は落書きをしまい、即座に、スマホをのぞき込む宮戸に声をかけた。

「……」

 黙殺。ちゃん付けが気に入らないというからさん付けにしてやったのにも関わらず、反応すらしない。こっちが譲歩してやってんだからお前も譲歩しろよ。

「何見てるのかな、宮戸さん」

 ぐい、と顔を寄せる。宮戸は、スマホの画面を隠すようなことはしなかった。

「……なに?」

 宮戸のスマホには、大量の活字が映っていた。

「宮戸さん、これは何かな?」

「小説よ」

 ようやく反応した。全く隠そうともしない。

「へぇ~、宮戸さん読書が好きなんだ。僕も読書好きだよ」

 まあ、嘘だけどな。

「読書じゃないのだけれど」

「……?」

「読んでるんじゃなくて書いてるのよ」

「………………へえ」

 読んでるんじゃなくて、書いてる。お前もかよ。

「そうなんだ! 宮戸さん小説書くんだね! すごいや!」

 お前も叶わない夢を追いかけてんのかよ。並みの凡人が大層な事を願ってんじゃねぇよ。夢を叶えられるだとか思い込んでんじゃねぇよ。痛々しいんだよ、何の能力もない人間が無様にあがいて気持ち悪いんだよ。

「すごいね宮戸さん、小説なんか書けるなんて! 小説のどういうところが好きなんだい?」

「人の心に触れられる所かしらね」

「へぇ~!」

 気持ち悪い。何が人の心に触れられるだよ。お前は他人の心になんて何も触れられてねえだろ。一丁前に一流気取ってんじゃねぇよ。他人の心を分かった様なつもりで振舞ってんじゃねぇよ。お前に何が出来るんだよ。

「じゃあ今僕が考えてることとか分かる感じ!?」

「……ふふ」

 苦笑。お茶を濁すには一番の選択肢だな。

「分からないわね」

「いや~、そうかそうか~! 確かに突然聞いちゃったしね~!」

 やっぱりな。お前の口から出る言葉は全部上っ面なんだよ。何の中身もない、空っぽの言葉なんだよ。所詮俺たち凡人の口から出る言葉なんて、何も内容を伴ってない空っぽのものばかりだ。

 喋りながら宮戸は荷物をまとめ、席を立った。

「あれ、宮戸さんもう帰るのかい?」

「次は専門講義だから遅れられないのよ」

「あちゃ~そうか~、じゃあ隣同士だし連絡先でも交換しない?」

「……また今度になるわね」

 そう言うと宮戸は颯爽と歩き出した。

「……」

 講義なんてつまらないもの受けてんのかよ。いちいち自分の実力を分からない奴が多すぎる。等身大の生き方をしろよ。

「そういえば」 

 俺に背を向け、歩く宮戸に声をかけた。

「人の心に触れられるって、なんか中二病っぽいね」

 俺に出来る限り最大限の皮肉と嘲笑を込めて、言った。さんざ相手にされなかったが故の、ちょっとした意趣返しのつもりだった。

「はあ……」

 宮戸が大きなため息をついて、失望の目で見てくる。なんなんだよ。

「そうやって自分の理解できないものに、他人が生み出した言葉で嘲笑して楽しいかしら?」

 宮戸は俺に詰め寄った。

「他人が決めた概念に乗っかって他人を見下して偉ぶって、あなたはそれで満足かしら。それはあなたが見た他人の本性なのかしら。自分の理解できない他人の性根を、借り物の言葉で扱き下ろして満足しているだけでしょう? あなたの心の中にあったものではないでしょう? そうやってずっと借り物の言葉を使って借り物の生き方をしていけばいいわ。所詮あなたたちはずっと模倣のままよ。他人の生み出したものでしか自分を表現できない愚か者よ。自分には人を見る目がありません、と触れて回っているようなものよ。本当にそう思うなら、自分の言葉で自分で表現して私を扱き下ろしてみなさいよ。あなたが見ているのは私じゃないでしょう。借り物の言葉を巧みに使いこなす自分、でしょう」

「…………」

 思っていたものの何十倍もの反論が来て、つい押し黙ってしまう。なんなんだよこいつ、気持ち悪い。借り物の言葉ってどういうことだよ。

 気色悪い。本当、気色悪い。自分がなんでも分かった気になってんじゃねぇよ。お前はそんなに他人の心が分かってんのかよ。

「まあどう思おうとあなたの自由ね」

 そう言うと、宮戸は踵を返して歩いて行った。

「……クソが」

 俺は小さくなる宮戸の背中を、目で追っていた。




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