警部補・伊波岩男〜女子大生孤独死編〜

水樹 皓

女子大生孤独死編

 俺は伊波いわ岩男いわお39歳独し――孤高の一匹狼。

 交番勤務のしがない警察官だ。

 順調に昇進を進めて行き、昨年警部補になった。


「ゆくゆくは警部、そして警視へ……」


 沈みゆく夕日に目を細め、新米の頃から変わらぬ野望を口にする。


 そして、昇進して終わりではない。1つでも多くの手柄を立て、警察の歴史に”伊波岩男”の名を刻む。


 交番勤務の仕事なんて、せいぜい地域の見回りや車の取り締まり。それこそ、殺人事件や死体なんて血生臭いものには縁がない――と思われているかもしれないが、そんなことは無い。……ほら、言ってる側から、早速やってきたようだ。


「伊波さんっ!」


 騒がしく交番に飛び込んできたこいつは山田。

 警察学校を卒業したばかりの新米警官で、まだまだ未熟な部分はあるが、それでも俺の可愛い部下だ。

 交番での仕事は、その殆どをこいつとペアで行なっている。


「そんな大声を出すな。通行人が驚いてるだろうが」

「あ、すみません! 以後気を付けます!」

「まあ良い……で? 何があった」


 俺が先を促すと、山田は下げた頭を上げた。

 その顔は若干強張っているように見える。


 俺もそれなりに経験を積んできたからわかる。

 新米がこんな顔をするのは、盛大なポカをやらかしてしまった時か、あるいは……。


「は、はい! 先程Aアパート付近の見回りをしていたのですが、そこに住んでいる大学生の女の子がですね……」

「なんだ、また大学生が酔っぱらって暴れているのか?」


 この辺りにはそれなりの規模の大学があるため、大学生絡みの事案も良く舞い込んでくる。その中でも一番多いのが、飲みなれない酒に呑まれた大学生による珍事だ。

 だが、今回は俺の読み通り、少し様子が違ったようで……。


「い、いえ……そのAアパートの住民から聞いた話では、『ここ数日、201号室――その大学生が住んでいる部屋から異臭がする』とのことです。その話を聞いた後、管理人に確認しに行ったのですが、あまり大事にしたくないのか、ちゃんと取り合ってくれなくてですね……」

「そのまま大人しく返ってきたのか?」

「……はい。すみません」

「そうか」


 俺は出そうになる溜息を何とか呑み込む。

 今はそういう時代だから、山田に怒鳴っても仕方がない。

 ちょっとでも手荒な事をすると、やれ職権乱用だの、警察に言ってやるだの。警察は俺だっつのに。

 最近は本当に仕事がしにくくなった。


「とりあえず現場に行くぞ。準備しろ」

「はい!」

「水分は忘れるなよ。”A交番の警察官。職務中に脱水症状で倒れる”――なんてニュースにでもなったら洒落にならんからな」

「はい!」

「後、念のためポリ袋も持って行っとけ」

「はい……?」


 愚痴をこぼしていても仕方がない。

 とにかく、行動あるのみだ。


 それに、この事案。俺の読みが当たっているのなら、1秒でも急いだ方が良さそうだ。

 何故なら……。


「孤独死……ですか?」

「ああ。恐らくな。今、世間の学生は夏休みだろう? 1人暮らしの学生が、碌にエアコンも付けず何日も部屋に閉じこもり、そのまま脱水症状を起こして……という感じだな」

「なるほど」


 山田に代わって俺が話をしても、やはり渋った管理人。

 仕方なく、「もしかしたら強盗殺人かもしれません! 早急に確認しないともっと大事になりますよ!? 良いんですか!?」と脅――基、説得し、穏便に件の女子大生が住まう部屋の合鍵を手に入れていた。

 ……まあ、もし強盗ならとっくに目撃証言でも出て、刑事課辺りが動いているはずだが。


 俺と山田は外付けの階段を上がりつつ、今回の事案についてすり合わせを行う。

 ちなみに、管理人は「終わったら呼んでくれ」とだけ言い、家に閉じこもった。


「よし、覚悟は良いか? 開けるぞ――っと」

「へ――っ!?」

「……強烈だな」


 扉を開けると同時、もわんと嫌な熱気と共に、鼻がひん曲がりそうな強烈な腐乱臭が押し寄せる。

 顔を顰めつつ軽く中を覗き込む俺の傍ら、山田は両手で口を塞ぐ。


「うっ!」

「おい。吐くならちゃんとポリ袋に吐けよ。部屋にでも吐いたら、後で何言われるか分からんぞ」


 まあ、この匂いは何度嗅いでもそう簡単に慣れるものではない。

 俺も新米の頃は、今の山田のように盛大に吐きこそしなかったが、それでも胃からこみ上げてくる苦いものを何度も無理やり飲み込んだものだ。

 俺も今は部下の手前、平気な素振りを見せているが、1人なら「ふざけんな!」とでも悪態をつきつつ扉を思いっきり閉めている事だろう。

 俺だって人間だ。嫌なものは嫌なのだ。


 ……流石にそんな事は言ってられないが。


「胃の中のもんは全部出したか? そろそろ行くぞ」

「……は、はい」


 早くもげっそりとした山田を引き連れ、今度こそ部屋の中へと足を踏み入れる。


「……最近の女子大生の部屋はこんなものなのか?」

「ど、どうでしょう? 自分、恥ずかしながら、女性と付き合ったことが無いもので……」


 部屋の中。そこは、俺が勝手に想像していた、ぬいぐるみやら小物やらが並べられた甘ったるい部屋――等ではなく、衣類やら雑誌やら、果てには大量のゴミやらの山がそこら中に出来上がっている、それこそ強盗が押し入った後のような部屋だった。


「い、伊波さん。コレ、やっぱり強盗っていう線は……」

「いや、それはやはり限りなくゼロに近いだろう」

「何故ですか?」

「ほら、あそこ。見てみろ」


 俺が指差す先――ロフト部分には、この部屋の主――女子大生の、日本ここでは珍しい赤毛がチラッと見えていた。


「はぁ。わざわざ熱が篭もりやすいロフトになんざ寝てるから……」


 やはり、当初の俺の読み通り、脱水症状で……。


 ピクリともしない女子大生を視界に入れつつ、山田を引き連れてロフトへと上がっていく。


「取りあえず、本部に無線入れないとな」


 女子大生の側まで近づいた俺は、状況報告のために無線を取り出し――


『ふぁ〜〜』

「おい! 勤務中だぞ。間の抜けた声を出すな」


 もし無線にそんな声でも入ろうものなら、後で何を言われるか。


「い、いえ! 自分ではありませんっ!」

「はぁ。ったく、そんな見え見えの嘘ついて『ふぁ』ん?」


 またもや、間の抜けたあくび。しかし山田は確かに口を閉ざしたまま。

 一体、どういうことだ――


「あ〜〜っ! もしかしてもしかしなくても寝ちまった!?」

「ひ、ひぃ!?」

「い、伊波さん……?」


 し、死体が動いた!?

 こ、腰が……。


「今日中に後10つの物語を届けないといけないのに――って、ん? おじさん達、誰だ?」

「おおお、おま、お前こそ誰だ!? ぞ、ゾンビ!?」

「い、伊波さん落ち着いてくださいっ! 人間ですよ!」

「ん〜? な~んか、失礼なこと言われてる気がするけど……えっと、僕はカタリィ・ノヴェルだ」

「か、かたりぃ? ……というか、お前、よく見たら男……か?」


 ……よく考えれば、ゾンビなんてこの世にいるはずもないよな。

 部下の前で格好悪い姿を晒してしまった。


 俺は挽回すべく頭を動かし、目の前のカタリィとやらを観察する。

 そして、真っ先に気づかなければならない事に、一拍遅れで気づいた。


「ここには女子大生が住んでいると聞いていたはずだが……?」

「ああ、僕は物語を届けに来ただけだから。この部屋の主なら……ほら、あそこで寝てるぞ」


 カタリィが指差す先――リビングのゴミ山の中をよく見ると、確かに人間らしき物体が埋もれて寝息を立てていた。


「ここら辺の人達って、皆こんなゴミ屋敷に住んでるのか? すっごく臭いから、チョットは掃除した方がいいと思うぞ?」

「確かにその通りだな――って、待て。結局、お前は何者なんだ? まさか、本当に強盗か……?」

「はぁ、だから、物語を届けにきたんだって言ってるだろ? この部屋の主には、”直ぐにでも外に飛び出したくなる様な物語”が必要だったからさ――っと、やばい、もう時間が無いから僕はもう行くぞ!」

「は? ちょっと待て――って……」

「き、消えた……。ど、どういうことですか!?」

「いや、流石の俺にも……」


 目の前が急に明るくなったと思いきや、次の瞬間にはカタリィの姿は跡形もなく消え去っていた。


「い、伊波さん。これ、どの様に報告書書けば……?」

「……俺に聞くな」


 俺は伊波いわ岩男いわお39歳独し――孤高の一匹狼。

 交番勤務のしがない警察官だ。

 ……警察の歴史どころか、報告書にすら残せない事案ばかり舞い込んでくる警察官だ。

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