サルベージ

椎慕 渦

サルベージ

「すいません!道に迷っちゃって!」勢いよくドアを開けて入ってきた少年に、

部屋内の一同は、同時に怪訝な目を向けた。「あの、君は?」医師が尋ねる。「あ!僕、カタリィ・ノヴェルって言います!」大きな目をくりくりさせながら

少年は答えた。「ご親族の方?」看護師が尋ねる。「いえ」少年は口ごもった。「この方に親族はいません。身寄りはないはずですよ」介護士が言うと、

少年は頭を掻きながら「てか、呼ばれたんですよ僕。その人に」指さした。



部屋の中央のベッドに横たわり、

身体から幾本ものチューブを伸ばしている老人を。



「妙な話ですねえ」生気を失った老人の額を、介護士は湿らせたタオルで

優しく拭った。「この方は一週間も前からこういう状態です。

手足を動かせなければ口もきけない。もう意識だってあるかどうか。

誰かに連絡なんて」

「でも確かに言われたんですよ”渡したいものがある”って!」

沈黙が支配する部屋に人工呼吸器の音だけが規則的に繰り返される。

ふと思いついたように介護士は少年に問いかけた。

「もしかして、出版社の人?」

「ええと、それは」

少年は頭を掻いた。





オーロラのように輝くトンネルを、僕はひたすら落下してゆく。

周りを飛び回るトリがなんかガミガミ言ってるが気にしない。

「まったく!もう少しうまくごまかせんのか?」トリは言った。

「人前でいきなり”詠目”を使いおって!」

僕は言い返した「しょうがないだろ!急いでたんだから!」


僕の能力”詠目”は人の心に秘められた物語を読み取る力だ。

大体は顔みりゃわかるんだけど、それが難しい時は心の中に

ダイブすることもある。今回みたいにね。僕とトリは今、

”老先生の心”めざして絶賛降下中というわけ。


「情報を整理するぞ!」トリが叫んだ。

「潺 吾郎(せせらぎ ごろう)!小説家!32歳で白田川賞受賞!その後

数多くのベストセラーを輩出するも平成25年”すべて書き尽くした”と

断筆を宣言。文壇を去った!作品は連載書き下ろし問わずすべて完結している!

未完はない!」

「それじゃあ”渡したいもの”ってなんだろう?未発表作かな?」

「ともかく本人に聞いてみん事にはな」オーロラのトンネルを抜けた。

そこは・・・



目の前にドアノブのついた木戸がある。ノックした。「はい」

返事と共にごそごそと部屋の主がドアの向こうにきたのが伝わってくる。

ドアが開いた。「林くん?・・・あれ、違うのか」


出てきたのは30歳程の男性だった。痩せぎすで無精ひげ。

安そうな上下ジャージ。「せ、せせらぎ先生ですか?小説家の」

おもわず僕は尋ねた。だって似てないんだもん。あの病室の老人に。


男性は驚いた様子で僕の顔を見つめ、照れ臭そうに笑った。

「確かに僕は潺だけど、”せんせい”は勘弁してよ。

それに小説家なんてとんでもない。しがない物書きさ」

閉じられようとするドアに僕はしがみついた!

「ああの僕先生のファンなんです!お弟子にして下さいっ!」

”もっとうまい理由言えんのか?”というトリの視線を後頭部に

嫌というほど感じるが、知るか。ウソは苦手なんだ。

先生は戸惑った様子だったが、苦笑すると

「光栄だね。いいよ、上がって」ドアを開けてくれた。



そこは6畳間?だと思うんだけど実質2畳かというくらい

ごちゃついた部屋だった。ミカン箱が積み上がり、中には

ぎっしり本が詰まっている。「いつか片付けなきゃと

思ってるんだけどねぇ」丸い小さなちゃぶ台はノートやら

原稿用紙やらが乱雑に散らばり、缶コーヒーの空き缶には

煙草の吸い殻がぎっしり。

鴨居には蝶ネクタイとベストがぶら下がってる。

「バーで働いているんだ。酔った人はいろんな話を

聞かせてくれるからね。ところで、カタリ君?だっけ?」

潺先生は悪戯っぽい笑みを浮かべながら

「僕の作品のどこが気に入ったのかな?」

「え、え~っと」とっさの事に返事ができない。

すると一枚の原稿を差し出した。

「新作なんだけど、読む?」「は、はい!」

書かれていたのは・・・



”いや!だめ!先輩!先輩の手が体操着の中に滑り込みブラのホックを”



・・・え?



”生まれたままの姿になった私を先輩の舌が”



ええ?・・・これって・・・その時ドアが開いた。

「お疲れ様です!桃尻出版の林です~」





「いや~いいですよ。絶好調ですね!」林と名乗る編集者は

満足げに原稿から目を上げた。「そう」先生は無表情に

煙草をくゆらせている。僕は恐る恐る聞いてみた。

「あの、これってH小説・・・」「だから違うって。

これは小説じゃないし、僕は”一読者”さ」先生

「うちで出してるアダルト誌に”読者のドキラブ体験告白コーナー”

ってのがありましてね。女性読者のHな実体験を

載せてるんですけど」林さん

「建前は、だろ?」先生が吸い殻をもみ消しながら口を挟む。

「まずアダルト誌を読む女性はそもそも少ない。

その中から自分の赤裸々体験を投稿しようとする者が

どれだけいるだろうか?その問いの答が僕なのさ」

「読者の投稿を下地にする事もあれば、一から作る事もある。

字数を調整して、淑女の名誉棄損にならぬよう気を配りつつ、

紳士諸君の期待に応えられるよう努力する。下世話な作業さ。」

何本目かわからないが煙草に火をつけた。

そこで今までニヤついていた林さんが、急に真顔になった。

「先生、今日は相談があってきました」



「なんだい?改まって」

「うちの社長がですね、”エロで稼いだし、ここらで一勝負いくか”

と言ってるんです。つまりまともな雑誌を出そうと」

「そりゃすごい」

「で、そこで先生の小説の連載をしたいと」

「本気か?」

「本気も本気ですよ!私が社長に推してるんです!」

林さんは熱っぽく続ける。

「先生、私は前から先生の文章に”ぐっ”と来るものを感じてるんです。

情欲の海に溺れながらも純潔への未練を捨てきれない乙女心とでもいうか」

「歯が浮くから止めてそういうの」

「それをちゃんとした形で世に出したいんですよ。

読者投稿のゴーストライトなんかじゃなく!」

「ちゃんとした形、ねえ」

「実は先月預かった原稿、没にしました。載せてません」

「な!なんて事するんだ!僕の生活費が!何か問題でも?」

「逆ですよ!出来が良すぎるんです。次々と不倫を重ねるOLの告白記。

あれを”読者投稿”なんてもったいない!作品にしましょう!先生!」

「・・・ふむ、そういう事か。実は僕もアイデアがあってね。

あれに出てくる性に奔放な女とは別に勤勉実直な女を出そうかと。

彼女は貞操に厳しく主人公を軽蔑しているが、話が進むうちに

彼女の中にも欲望が」「それ!いただきました!」



僕とトリは黙って聞いている。

大の大人が下世話極まりない話を大真面目にしている。

だが二人のまなざしは真剣だ。これが、



” 作 家 と 編 集 者 の 打 ち 合 わ せ  ”



「来週編集会議があります。それまでに三回分、各8千字くらいで」

「任しとけ」

「ペンネームは変えましょう」

「せせらぎ ごろう だから セキララ ローゴてのは?」

「OKです!題名は?」

「そうだな」先生は無精ひげを撫でて考えていたが


「 ” 悶 絶 O L  夜 の 疼 き ”」 

「それいい!」



その瞬間、世界が止まった。

まるでDVDを一時停止したように二人の動きも、たばこの煙も。


「先生?林さん?どうしちゃったんですか?」

うろたえる僕に背後から声がかかる。

「そこで、終わりだからだよ」振り向いた先にいたのは、


安そうな上下ジャージは同じだが、

皴で埋め尽くされた表情は見間違えようもない、

病室でチューブに埋まっていたその人だ。

文豪・潺 吾郎。


「その直後、私は文学賞を貰い、多くの仕事が舞い込むようになった。

”悶絶OL 夜の疼き”は出版はおろか形になる事もなかったのだ」

「林さんを、裏切ってしまった?」

「まさか。彼には真っ先に知らせたよ。たいそう喜んでくれてね。



”先生なら必ずやると信じてました。ええ抹消しましょう。

残したらいつゲスな連中にほじくり返されて

スキャンダルになるとも限りません。

セキララ ローゴも忘れてください。先生は

潺 吾郎なんですから!”


「それじゃ一体何が心残りで」

「読んでほしかったのだ!林君に!」老人は言った。

「自信作だった。下積みの頃から私を支え、

誰よりも私を理解してくれた彼の、感想が、批評が、聞きたかった」

ふり絞るように。

「だが地位も名声も得た私には、それを書く勇気が無かった。

年月が過ぎ、私は老い、命も終わろうとしている。

全ては・・・手遅れだ」しわだらけの頬に涙が伝わるのを見た時僕は


な ぜ 呼 ば れ た の か 分 か っ た 。


僕は叫んだ!

「せせら・・・いえセキララ先生!書いてください!

必ず届けます!読むべき人の元へ!」


すると先生は恥ずかしそうに

「もう、できているのだ」

原稿を出した。



病室にいきなり現れた僕とトリを、誰も気にしなかったのも無理はない。

それくらい大騒ぎだった。ベッドを取り囲んだ医師と看護師が

懸命に処置をしている。が耳障りな警告音を発するモニターの線グラフは

一直線のままだ。

やがて医師は、首を振った。




廊下に出た僕は、ベンチに座り込んでいる介護士の元へまっすぐに向かった。

「林さん・・・ですよね?」還暦過ぎと思われる男性が驚いた顔で見上げる。

「どうして?君は?」僕は原稿の束を差し出した。

「潺先生のH小説の原稿です」彼は気色ばんだ。

「バカな!潺 吾郎は断筆している!H小説だと?そんなものはない!」


・・・林さん

先生の名誉を護ろうとしてるんですね。

でも・・・

僕は息を吸い込みあらん限りの大声で言った!



「 ” 悶 絶 O L  夜 の 疼 き ” 作者セキララ・ローゴ!」



林さんの口が開いた「どうしてその題名を、ペンネームを」






初老の男性は夢中で原稿をめくっている。

その顔には涙が伝っている。


物語は心の奥底から引き揚げ(サルベージ)され、

しかるべき人の元へ届いた。







僕はカタリィ・ノヴェル

物語を届ける仕事をしている。





おしまい
















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サルベージ 椎慕 渦 @Seabose

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