111 なぜ

「先生は、いつ頃お二人のことを?」


「親父は意地でも口を割らんつもりだったんだろうが、臨終りんじゅうの一週間ぐらい前だったか、奴がいきなり病室に現れちまってな。俺がいる時に」


「いきなりって……」


「お互い毎日見舞ってはいたんだが、親父が別々の時間帯を指定して、かち合わないようにしてたんだろう。それをあいつは、しれっと裏切った」


「……さすがですね。お陰で、やっと三人揃って会えたんですね」


「まあな。親父だけはなごやかとは言い難かったが、その頃にはもうだいぶ弱ってたから、修羅場しゅらばにまではならずに済んだ」


「その時が初対面、ですか?」


「ああ。親父はまともに紹介すらしてくれなくて、病院を出てから二人で飲みに行った。俺は何だか妙な気分だったが、話してみれば何となく気が合ったというか……まあ、あの人は誰とでもうまくいくんだろうな。結局、数日後には一緒に親父の最期を看取みとった」


「菊乃さんは、その……お父様の最期の時は……?」


「いや、来てない。遠慮した、ってことだろう」


 音のするような重たい瞬きが繰り返されるのを、一希はいたわしい思いでただ見つめるしかなかった。菊乃も不憫ふびんだが、隆之介だって彼女をそんな立場に置くことになってしまい、決して平気だったはずはない。


「『母親を与えてやれなくてすまなかった』。最後の三日間はうわ言みたいにそればっかりだ」


 新藤はその三日間を思い出すかのように、静かに目を閉じた。


 養子の事実を周囲に隠してきたのは、新藤自身の都合というより、父隆之介の秘密を守るためだろう。


 新藤が再びまぶたを持ち上げるのを待って、一希は尋ねた。


「本当のご両親については……」


「何の手がかりもない。生きたか死んだかもわからん」


 実親が誰なのかわかっていたら、新藤はどうしていただろう。それでも現場を離れ、一希に処理室を任せ、鳶代とびしろの研究所に行くことを選んだだろうか。


(どうして……)


 もっと早く教えてくれなかったのか。こんな大事なことを私にまで黙っていたのか。病院のこのベッドで目覚めてから今日新藤に会うまでの間、一希は何度も心の内で問いかけ、責め続けた。


 しかし、身を切るようなこの「なぜ」の答えは、おそらく一希の推測通りだろう。


 余震に襲われ続けたあのザンピードの現場。


 不安定な穴の中で一希を埋める直前、一希のヘッドライトに照らされて新藤の腹で光ったのはきっと遠隔抜き用のワイヤーだ。そのボタンだけが、糸の代わりにそんなもので厳重に留められていた。


 上下のボタンと色はほぼ同じ。四つ穴も同じ。でも一回り小さい。そして、少し盛り上がった縁の部分が太い。一希の生涯で、これほどどうしようもなく記憶に焼き付いているボタンは他になかった。

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