110 隆之介

「菊乃さんは……ご存じだったんですか? 先生が養子だってこと」


「ああ。ただし、最初からじゃない。多分、親父との間で同居するしないの話が出た後だろうな。親父はもちろん隠し通すつもりだったろうが、言わざるを得なくなるような勢いで迫られたんじゃないか? さんざん世話にはなってるわけだからそう邪険じゃけんにはできんし、菊さんが簡単に引き下がるとも思えんからな」


 唯一実子ではない新藤を、菊乃は五人の中で一番かわいがったという。その心中はもはや誰も知りようがない。


「お父様には……愛する方がいらしたんですね」


 新藤の呼吸に束の間の逡巡しゅんじゅんが感じられた。探るように一希を見る。どこまで察しているのかと問いたげな目だ。


「菊さんとのゴタゴタの当時はどうだったか知らんが……」


最期さいごにご一緒だった方は、長いお付き合いだったんですよね?」


「……ああ。死ぬまでの十一年、かな。もしかしてお前……誰かから何か聞いてんのか?」


 そう思われても仕方がない。


「いえ、私の勝手な想像です。そう考えればいろいろ説明がつくなあと思っただけです」


 この三日間、ものを考える時間だけはたっぷりあった。新藤も「なるほど」という顔でうなずく。


「結婚どころか同棲すら叶わなかったが、あの人は親父のことを今でも伴侶はんりょだと言い張ってゆずらん」


「気持ちの上では、夫婦と同じなんでしょうね」


「そうみたいだな。だが親父は、それを認めないまま……自分を恥じたまま死んだ」


 一希の胸がきゅっと痛む。


「まったく、どこまでも対照的だな、あの二人は。片やクソ真面目の頑固親父、片や愛想のいい楽天家。それでうまくいくんだから、わからんもんだ」


 お似合い、というのは、案外そんなものなのかもしれない。

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