106 賛辞

 その翌日、一希がベッドの上に起き上がって病院食のみかんをいていると、無精髭ぶしょうひげが伸び放題の新藤がようやく病室に姿を現した。


「先生、お怪我は……」


「ああ、俺は何ともない。どうだ? 足は痛むか?」


「今は……時々うずく感じはありますけど、痛み止めのお陰で何とか」


「そうか……見舞いが遅くなってすまん。警察の事情聴取に捕まってたもんでな」


「警察?」


「まあ、いずれお前にもバレる話だから先に言っとくが、未認可の技術を勝手に使ったのが引っかかった」


 一希にはぴんと来ない。


鳶代とびしろでの研究の成果でな。爆弾を瞬時に凍らせて、一時的に鎮静化できる魔法の液体だ」


 一希は思わず苦笑する。この二年間そんなことをやっていたのか。てっきり爆弾とは無縁の世界に行ってしまったのかと思っていた。


「着いてすぐにそれをぶっかけたんだが、持ち出せる量に限りがあったもんでな。多少時間を稼ぐのがやっとだった。いずれにしても公式にはまだ試験段階だから、現場で使うのは一応まずいってことでおとがめにったわけだ」


 まずいと知りながら迷わず決行したのであろうことは、聞かなくてもわかる。


「先生……またお会いできるなんて……」


 二年前よりもだいぶほおのこけた新藤は、少し照れたように目をらして言った。


「これでわかったろ」


「え?」


「しつこい警察を説得してくれる陸軍幹部の友達ぐらいは持っといた方がいいってことだ」


 冗談のつもりなのか、本気なのか。


「それと、いざって時にヘリを飛ばしてくれる友達もな」


 処理士の中でもそんな人脈を持っているのは新藤ぐらいのものだろう。父、隆之介に連れられ、それこそ物心つく前から基地に出入りしていたのだろうし、新藤本人の技術力は埜岩のいわにとって必要不可欠な資源でもある。


「おかしいと思いましたよ。道路から何から大混乱してたでしょうに、鳶代からあの速さで……」


「地震速報を見て埜岩のいわに電話したら、一番危ないやつにお前が向かってると言われてな。百キロも離れたとこでそんな話を聞かされちゃ、ヘリでも飛ばすしかないだろ」


「すみません。卒業してからまで、とんだ迷惑かけて……先生まで巻き込んでこんな危険な目に……」


「お前のせいじゃない。俺が勝手にやったことだ。それに……お前は正しい判断をして、素早く行動した。余震の隙を縫って爆破処理。何も間違っちゃいない」


(先生……)


「埜岩の連中も全員無傷だ。お前の救援に向かおうとしたら拒まれかけた挙げ句に泣かれたと、ショックを受けてたぞ。軍員が民間人を置いて逃げるわけないだろが」


「でも……」


「奴らだって仕事なんだ。いくらでも使えばいい」


「なんか最後の方、随分たくさんいらしてたみたいで……」


「呼び方一つで数倍に増える。そういう組織なんだ、あそこは」


 一体どんな呼び方をしたのか。脅しでもかけたのではないかと心配になる。


「よくやったな、冴島」


 思いがけない、しかもこれまでにないほどストレートな褒め言葉に、も言われぬ感慨が胸を満たす。


「しかし、あんなおっそろしい点火は金輪際こんりんざい御免だぞ」


「はい……本当に、ありがとうございました」


 爆弾のすぐそばに元教え子を埋めて、自ら導火線に火をける。およそ正気の沙汰ではない。


 一希はこの三日間考え続けていた。私だったら果たしてできただろうか、と。


 あの状況で、人命を百パーセント保証するすべなどなかった。転向の計算がたとえ完璧でも、それはあくまで理論上の話。投下から数十年を経た爆弾のご機嫌など把握しようがないし、さらに余震という不確定要素もあった。


 新藤は極めて危険な賭けに出たにすぎない。一希ただ一人のために。

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