64 異文化

「なあミレイ、お前はイカだのタコだのが大好物だろ。例えば呂吟ろぎん辺りで見せびらかしながら食ってみろ。どれだけ気持ち悪がられるか想像がつくか?」


 一希の父親の出身地でもある呂吟。そこに住む根っからのスム族たちには海の生き物を食する習慣はない。魚の形をした魚や、海老、かに、貝類までは川のお陰で馴染みがあるから食べるが、殻のない軟体動物の類は苦手だ。


 一希は幼い頃からの家庭の味が父に合わせて基本的にスム寄りだったため、小学校の給食で初めてタコの炒め物が出てきた時は、吸盤がびっしりと並んだ足がおぞましくて卒倒しそうだった。しかし食べ物の選り好みは許されなかったため、仕方なく他のものと一緒に飲み下しているうちに味は悪くないと気付き、しだいに抵抗がなくなっていったのだ。それでも未だにわざわざ好き好んで食べることはない。


「昆虫や爬虫類だって、食わない地域の俺らから見れば不気味でしかないが、食べる奴らにとってはごく普通のおかずだ。海を越えてもっと遠くへ行けば、人間と同じ哺乳類を食べることが信じられないって人もいる。まあ早い話、気持ち悪いのはお互い様ってことだ」


 ミレイはようやく落ち着いた呼吸を取り戻していた。


「いいか、ミレイ。お前が生まれ育ってきた環境というのは、あらゆる可能性の中の一つでしかない。他の人間はそれぞれいろんな環境に生まれて、いろんな環境を生きて、いろんな死に方をする。お前が偶然与えられた世界を全てだと思うな。どれが良くてどれが悪い、どれが普通でどれが気持ち悪いなんてのは、俺らが決めることじゃない」


 ミレイが小さくうなずく。新藤は足を組み替えて続けた。


「ちなみに、お前に限ったことじゃないんだ。他の人間の食べ物や習慣を不快に感じたり、それを人間そのものと結び付けてしまうことは、誰にでもある心理だ。そもそも自分と違うものに嫌悪感を抱くのは、敵から身を守るための野生の本能といってもいい。ただ、人間の社会は野生とは比べ物にならないぐらい複雑だ。異なる者同士が個人的にいがみ合うだけで済めばまだいいが、それが集団を成したらどうなる?」


 新藤のいわんとすることが、一希にもようやく呑み込めた。


「生理的な嫌悪。無意識の軽蔑。そういう心理が数集まってスム差別を生み、その報復からあのどでかい内戦を起こさせたんじゃないのか?」


 発端はいつだって小さい。それが人の世の怖いところだ。


「お前の親父が毎日闘ってるのは、そういうどこにでもある偏見から生まれた憎しみの塊だ。自分自身がその憎しみの矛先ほこさきにいなくたって、たまたま目の前でそれが炸裂した日にはとばっちりを食う。そんな危険を親父が敢えておかすのはなぜだと思う?」


 ミレイは新たにティッシュを取り、顔を拭いながら肩で息をしている。答えを真剣に考える小さな背中を見つめながら、一希は思った。先生自身にとっては、なぜなのだろう。


「飯が冷めるな。宿題だと思って、よーく考えろ」


 新藤はミレイの頭をごしごしと撫でた。説教終了の合図だった。ミレイはトコトコ駆けてくると、一希の前に頭を垂れた。


「ごめんなさい」


「あっ、私こそ……ごめんね」


 一希が堂々と教えてやっていれば、もっと違う展開になっていたのではないか。新藤の説教は、もしかしたら一希にこそ向けられたものだったのではないか。ミレイがその犠牲になったようで申し訳なかった。


「さ、食べよっか」


 ミレイが残りの配膳を手際よく手伝い、ようやく座卓の三辺が埋まった。新藤は正面にテレビ、両手に花だ。しかし、彼の最大の興味は今、肉団子に向いていた。考えてみれば奇妙な三人組だが、こうして気取らずにテーブルを囲んでみれば、不思議と家族のような心地がする。


 ミレイはこの小柄な体の一体どこに収まるのかと一希が目を見張るほどよく食べ、おいしいおいしいを連発して遠慮なくお代わりをした。新藤の食欲すら見劣りする。

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