41 叱責
一希は、痛む頭を押さえながらソファーの上で体を起こし、しぶしぶ口を開いた。
「あの、実は、月のもので……」
「女の事情」的なことだけは意地でも口にすまいと思っていたのだが……。
「もともと最中は具合が悪くなるんですけど、このところちょっと疲れも溜まってて……だから一応前触れもあったというか、自分で予測はできます」
「具合が悪いのかと聞いたよな? あの時になぜ言わなかった?」
「……すみません」
「すみませんじゃない! 理由を聞いてるんだ、答えろ!」
新藤の怒声がコンクリートの壁に反響する。
「こ、こんなことでへばってちゃいけないと思って……」
目の奥がじわりと濡れた。唇を噛んでこらえ、何とか言葉を絞り出す。
「先生が毎日こんなに働いてらっしゃるのに、私が具合悪いとか言って休んでるわけにいかないと思って……少しでもお役に立ちたくて……」
怒鳴り返せない自分が情けなかった。女々しい姿など本当は見せたくなかった。未来の補助士にふさわしく、
「はっきり言っておくがな、お前が来る前は俺一人で十分回せてたんだ。今は雑用をお前に預けた分、当然俺の時間は余る。その分他の仕事を増やしてるだけのことだ。お前に休まれようが逃げられようが、手に負えないようなことにはならん」
「……はい」
「それからもう一つ。体力は一人ひとり違う。誰もが同じ働き方をするのはそもそも無理だと思え」
「はい……」
見透かされたような気がした。母だったらこれぐらいこなしただろうな、という考えがちょうど今しがた脳裏をよぎったことを。
「調子が悪い時に無理をするのは、この世界じゃ迷惑にしかならん。何が可能で何が不可能かはお前が自分で決めることだ。他の誰にも
(何が可能で何が不可能か……)
「でも」と言いかけて、一希は口をつぐんだ。素直に「はい」と言え、と叱られ続けてきた子供時代が思い出される。そんな一希の疑問を、口答えするなと
師匠の目を直視できず、視線の温度だけを感じる。
「何だ?」
と促され、そのありがたさを噛み締めながら一希はようやく本音を吐露した。
「もし、不可能ですって宣言してしまったら、これだから女は、って言われそうで……」
新藤はさして驚いた様子もなく、
「そりゃあ言う奴はいくらでもいるだろうな。だが、可能だと言ったくせに作業中に倒れたら? 事態はましになるのか?」
「いえ……」
「どうなるんだ?」
「周囲にご迷惑がかかります」
「ご迷惑?」
「……最悪、事故に繋がるかもしれません」
「わかってるじゃないか。今日はその可能性を考えなかったのか?」
「すみません」
「考えなかったのか?」
「……考えませんでした」
「なぜだ?」
食いしばった歯の隙間から
「わかりません……」
本当にわからなかった。一希の震える呼吸と、ぐすんぐすんと
「まずは体調を整えろ。その後、わかるまで考えろ。時間はいくらかかっても構わん。答えが出るまで他の仕事は一切禁止だ。そのためだけに時間を使え」
どこに残っていたのかと驚くほど、新しい涙がどっとあふれた。お前にはもう用はない、出ていけ、と言われることを、無意識のうちに恐れていた自分に気付く。
「いいな?」
「はい……」
新藤は書類を片付けて行ってしまった。貧血で倒れたのも初めてだが、これほど不甲斐なく
面倒ではあったが、少し温まりたくてシャワーを浴びると、いくらか気分も回復した。
座敷はまだ戸が開いたままで、明かりがある。水を飲もうと台所に行くと、布団に寝そべって本を読む新藤が見えた。そっと
(
そのような文字が印刷されており、住所と電話番号がそれに続く。どうやら封筒状の袋の端の部分を破り取ったものらしい。座敷から新藤の声。
「試しに一回行ってみろ。薬草中心の自然療法ってとこだ。効く効かないは個人差があるが、もし合うようなら長い付き合いになるかもしれん」
「はい、ありがとうございます」
もちろん不発弾処理業のための健康管理という趣旨ではあろうが、新藤の気遣いは一希の心に染みた。先生もお疲れが出ませんように、という一言は敢えて飲み込んだ。
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