悪魔憑き編_5
祈りが届いたのか、奥谷教授の手腕かは知らんが、彼からメールがあった。休日の朝であった。そこには、昼頃に奥谷教授の家に集まってほしい旨が記されており、朝飯を済ませた私はぼさぼさの髪の毛を整えてから、ワイシャツを着た。探偵にも連絡を送ると、了解とだけ返ってきた。朧月探偵事務所は今日も暇らしい。生計は成り立っているのだろうかと思いながらペンデュラムを首にかける。ああ、そういえば私がその生計の一端を担っていたな。
探偵からそのついでに車で迎えに行こうとも言われた。私は流石に悪いと思って断りを入れたが、いつ悪魔に襲われたものか分かったものじゃない、と一喝された。探偵の言いたいことも分かる。牧瀬が私の著書を持っていてくれたことは嬉しい話ではあるが、それは同時に私と牧瀬の接点が既にあったということを示しているのだ。彼の中の悪魔に狙われていると考えるのは自然なことだ。
やはり、牧瀬との語らいは悪魔を祓ってからになるのかと私はため息を吐いた。
十二時を回る頃、探偵が家の前に車を回してきた。私は、申し訳ないという気持ちが拭い切れなかったが、ここで彼の心配を無碍にするほうが無礼だとは分かっていたので、彼に軽く礼だけ言って後部座席に乗り込もうとした。
「すまん、後部座席がまだ立て込んでる」
その中を見ると、また様々な家財道具がそこに積んであった。
「まだあったのか」
「リツカの奴も荷物が多い。嫁入り道具でもあるまいし」
車が重くて動かしにくい、と探偵が不満そうにぼやいた。
「事務所に置いてくるわけにはいかなかったのか?」
少し疑問に思って聞くと、彼は渋い顔をした。
「この山をか?」
「……確かに」
降ろすだけでも大変そうな荷物だ。今のは私の発言が軽率だった。
私は助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。
「毎度毎度、ボディガードばかりをやらせている気がするな」
「そうだな、その通りだ。VIPになった気分だろう」
いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべながら、探偵は車を出した。
「教団の時も……ああ、あれは本当に助かった。そういえばまともに礼を言ってなかったか?」
「かもしれないな。あんたの性格のせいかもしれないが、耳にするのは謝罪の言葉ばかりだ。饅頭の一つでも持ってきてくれればいいものを」
「饅頭が好きなのか?」
「嫌いだね」
「……意地の悪い男だ」
不平を述べながらも、私はいつか正式な礼をしたいと思っていた。しかし、この男が喜ぶ礼というものが一向に思いつかず、私は頭を唸らせるばかりだった。
「まあ……構わんさ。報酬は受け取っているし、仕事を回してくれるという意味ではこれ以上の恩義はない。感謝してるぜ。オカルトさまさまだ」
「また軽口を」
「仕事が有難いのは事実だからな。……ああ、だがもしも機会があれば俺のところを紹介してくれ。いい探偵事務所があるってな」
「破格でボディガードが雇えると言っておこう」
「それは勘弁してくれ。平和が一番なんだ」
軽口を交わしているうちに、奥谷教授の家に着いた。インターホンを鳴らすと、Yシャツにセーターを被せた格好の奥谷教授が出てきた。瑠美子が奥谷教授の足の間をするりと抜けて、私へと駆け寄ってくる。私はこの愛らしい転生猫を抱えた。
「……学者はYシャツがトレンドなのか?」
私と奥谷教授を見比べながら探偵がぼやいた。私は聞こえなかったことにして、瑠美子の頭を撫でた。瑠美子が嬉しそうに喉を鳴らす。なんと可愛らしい。
奥谷教授は私の腕の中の瑠美子を見て、にっこりとした表情をしてから、声をかける。
「わざわざすみません、お二人とも。鉄パイプを持って歩くわけにもいきませんでしたので、僕の家に集まっていただきました。……さ、どうぞ」
確かに、鉄パイプを持ってファミレスやらに入店する中年男性は少し恐ろしいものがある。
私と探偵が玄関に上がると、食欲をそそる匂いがした。ダイニングルームに通された私たちの目に、高級レストランのビュッフェかと思える料理たちが目に入った。
「お昼がまだだとお聞きしましたので用意いたしました。お二人とも、遠慮なくどうぞ」
お昼、と聞いて、そういえば探偵とメールのやり取りをしていた時に、昼食の話を少ししたのを覚えている。私から奥谷教授にそのような旨を伝えた覚えはないので、恐らく探偵からだろう。探偵の方を見ると、彼は耳打ちをしてきた。
「いや、確かに博士さんに聞かれたさ。お昼は食べましたか?と。でもこうなると誰が思う? これじゃほんとにVIPだ。……まあ、ありがたい話だがな」
探偵は奥谷教授との付き合いがまだ浅いから、この予測が立たないのも当然と言える。
奥谷教授は自らの家に人を招く時、その事情がなんであれ、客人を出来るだけもてなすことを矜持としている。恐らく、探偵が昼飯を食っていたとして、この豪華な料理たちが中世イギリス貴族のお茶会にすげ変わるだけだ。ここまでされると、大概の人間はなんだか気負いをしてしまう。私も始め、彼のもてなしにさてなにを返したものかと考えていたが、いずれ諦めた。相手はノーベル受賞者だ。手の打ちようもない。
その点、久留宮の事が羨ましい。今思うと、彼女の生い立ちが特殊なせいなのだろうが、全くの遠慮を見せず奥谷教授の施しを受けていた。その姿を見て嬉しそうにしていた彼の姿も印象深い。根本にはやはり「喜んでもらいたい」という想いがあるのだろう。
「我々のような低所得者と彼は違うんだ。遠慮なくいただこう。彼の友人に慣れたことに感謝して、な」
探偵に耳打ちを返し、席に着く。やけに高そうな、しかし決して悪趣味でない取り皿が目に入った。どうやら本当にビュッフェのようだ。私は手近にあった白身魚のムニエルを取った。
「奥谷教授、この魚は?」
「ソール……舌平目ですね」
「一瞬、靴底に敷くアレかと思った」
「食事の場で臆面もなく靴底なんて単語を出せるな、探偵」
探偵を軽く睨みつけるが、奴は悪びれもせず、サーモンのマリネを口に放り込んでいる。こいつはこいつで遠慮がないようだ。
「実際、靴底の形からその名前が付きましたしね。朧月さんの言うことも間違えていませんよ」
そう言われると私の立つ瀬がない。私は話題を変えることにした。
「ところで奥谷教授、例の鉄パイプから何か分かったんですか?」
彼は私の言葉を聞くなり、隣の椅子に立てかけてあった鉄パイプを嬉しそうに手に取った。
「もちろんですよ、宮本さん。いやね、僕はこの鉄パイプを見た時に思ったんですよ。なぜこの青年は僕の事を鉄パイプで襲ったんだろうと、ね。凶器ならもっと手近なものがあるじゃないですか。鉄バットですよ、その方が手に入れやすい。彼が剣道の有段者だとか手練れの殺し屋でそれが一番馴染むだとかなら話は別ですよ? しかしその選択肢のどちらかが当てはまるのだとすれば僕のような人間は一たまりもなかったはずです。つまりですねえ、この世に溢れているお手軽な武器よりも鉄パイプが手に入りやすい環境だったということなんです」
「ふむ。それでその環境に心当たりがあったと」
「ええ」
奥谷教授は頷く。
「この鉄パイプに見覚えがあったんですよ。ほらこれ、よく見ると細工がされているんですよ」
「細工だと? 見せてくれ」
私が身を乗り出すと、奥谷教授は私に見えやすいように鉄パイプを縦にし、ここです、と指をさした。そこには丸や四角などの穴が開いており、何らかのパーツがそこに組み込まれることが察せた。しかし、注意をしなければ見落としそうな小さなもので、その直径は一センチメートルを越えるか否かというところであった。
「よく分かったな、奥谷教授」
「ええ、正に見覚えがあった、ということですね。無意識のうちにこのパイプの特徴を覚えていたんですよ。この鉄パイプを見かけたのはとあるビルの建設現場でした。しかし、中止になって今は廃墟になっています」
「……? そんなところがあるのか?」
私が首を傾げると、ラザニアを食っていた探偵が口を挟んだ。
「ああ、あるさ。しばらく前の話だが、そのビルを建設していた会社が麻薬取引に関わっているということが分かり、一階も建設されていないビルがそのまま廃墟と化したんだ。しかもこの会社、暴力団のフロント企業だったもんで後処理もうやむや。まあ何かしらの面倒があるらしいな。そんなわけでもう五年も経つが、あそこはそのままなわけだ」
「詳しいな、探偵」
「……ああ、まあな」
探偵の顔が心なしか曇ったように見えた。しかし、その真意を確認する間もなく、彼は話を続ける。
「ええ、そこです。実はそこにツバメが巣を作りまして少し見に行ったんですよ。心優しい小学生が『ツバメの巣があるけどあの建物が壊されちゃう』って言うもんですから一緒にね。別に行く必要もなかったんですが、やはり実物を説明材料に使うことは理解を深めますからね。その子にはツバメは巣が壊されてもまた巣を作れるから大丈夫だと伝えておきましたが。……まあこれはおまけ話です。さて、本題ですが、その時に工事の際の資材も吹き曝しになっていて、ああこれも生き物の住処になるだろうか、等とぼんやり考えていたらいてもたってもいられなくなって、まあちょっと漁りました。その時に鉄パイプが特別な形をしていることに気づいたのです」
なんとも奥谷教授らしい話だ。生物のこととなると躊躇がない。
「なるほど、そこに手がかりがあるかもしれないというわけか」
「そうと分かれば、善は急げだな」
そう言いつつも、探偵の手はソーセージに伸びている。
「急ぐんじゃないのか」
「なに、急がば回れだ。腹ごしらえぐらいはさせてくれ」
ソーセージにかぶりつく姿は、ただの休日の中年男性だった。
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