悪魔憑き編_4

 俺は牧瀬という青年と向かい合って座布団に座った。目の色が変わったら警戒しろ、そして私に知らせろ、と言っていたが、今日それが起こることはないだろう。牧瀬は……正確には悪魔だが、博士さんにも太刀打ちできないくらいの力量、つまり並みの人間だということだ。数だけで言えばこちらの方が勝っている現状。そして俺が見張っているという状況。悪魔がいたとして、そいつはそう易々と出てはこれないはずだ。

「この状況、気分はよくないだろうが、耐えてくれよ。……俺も詳しく聞きたいことがある。なに、あの学者様のようにオカルティックな話じゃない。むしろもっと現実的な話だ」

「現実的な……?」

「ああ。もっと詳しく言えば、あの血まみれの包丁だとか、そこいらのお話だ。まあ覚えている範囲でいい」

 牧瀬がしっかりと頷く。上出来だ。

「まず、その包丁とやら。そいつには……前回の血が残っていたりしたか?」

「……いえ。多分残っていなかったと思います」

「じゃあ次だ。三回とも同じ包丁だったか?」

「……自信はないですけど、多分同じものだったと思います」

「オーケー」

 包丁には血が残っていなかった、とするなら凶器はこの家のどこかで洗われた可能性がある。血液検出のためにクソ高い薬液を持ってきて正解だった。

「じゃあ次だ。あの鉄パイプだが……」

「鉄パイプ?」

「ああ、覚えてねえのか。昨日、あんたに憑いた悪魔が使ったらしい凶器だ」

「ああ、それですか。はい、理解しました」

「うん、あれなんだがな。どこの物か、心当たりねえかと思ってな」

「……うーん、すみません。流石に」

「そうか。オーケー。ちなみにあの鉄パイプ、奥谷教授が持ってったんだっけか?」

「はい。少し調べたいことがあるだとか……」

 博士さんのことだ、なにか見込みあっての行動だろう。そいつはそっちに任せるか。

「学者様、そっちはなにか見つかったか?」

 牧瀬と話している目の端で、学者様がまるで亀のようにじっとしているのを見て、声をかけた。しかし、彼女は目的の物品を見つけた歓喜ではなく、もう少し違った喜びだった。

「ああ、気になるものがあってな。いや、気になるとは言っても本件とは何ら関係ない個人的な興味なんだが……」

 牧瀬が振り返り、学者様の方を見ると、その手には数冊の本がそこにあった。『信仰の重要性』『神が生まれ、そして消える』『未開拓領域 UMAの存在可能性』など如何にも学者様の興味を惹きそうな題名だが、それがこいつの動きを止めた原因とは思えなかった。それにしてはありふれたものだろう。

「ああ。呂本幽玄の本ですね。オカルトについての著書っていうのは基本的に胡散臭いものが多いんですよ。胡散臭いっていうのは、説明しきれないから胡散臭いんです。説明しきれないというのに、存在を断言してしまうから殊更ひどい。しかし、呂本先生の著書は理論を語っても飽くまで『仮説』であるという域を脱することなく、オカルトの存在に真摯に向かい合った良作であると思います。……ただ、呂本先生の本は難解、というか分かり易く書かれているのですが強い求心力がなかったんです。それこそ、一般人を引き込むようなインパクトが。それも真摯な態度の表われであると思うんですけど、とにかくそのせいで売れ行きは悪く、その三冊以来、本は出ていません。なんなら自費出版ですし、呂本先生も生活があったんでしょうね」

 牧瀬は呂本先生とやらについて評論家のように冷静な感想を述べてはいたが、その目は明らかに熱意を灯していた。しかし、その炎も後半になるにつれて小さく萎んでいき、彼はいずれ、残念です、と小さく言った。

 対する学者様はというと、はじめ目を丸くしていたものの、いずれ戦隊ヒーローと出会えたかのようなキラキラした瞳で彼の話を聞き続けていた。学者様も呂本先生とやらのファンなのだろうか。

 牧瀬が語り終わり、少しの間があったあと、学者様は牧瀬の手を取った。牧瀬が戸惑った顔を見せる。

「ありがとう……!!!」

「へ……?」

 予感がした。戦隊ヒーローと会えたのは学者様の方じゃなく牧瀬だろう。

「……学者様。それ、あんたが書いた本か」

 学者様が数度力強く頷く。難しい形容が何一つとして必要ないくらい嬉しそうな顔だ。

「この本は私がしがない准教授時代に書いたものだ。オカルトへの風当たりは厳しいものだ。そんな人間が学問の場にいたなら大学関係者は皆ちゃぶ台を返してしまうだろう。だからペンネームが必要だったんだな」

「宮本のうかんむりを取って、幽の後に玄なんて堅い文字を続けたのか」

「そうだ。最初の一冊は運よく出版社から出せたんだが、あまりの返本率に続巻を出せなかった。だが、私は絶対いけるとの確信の下、貯金を切り崩して残りの二冊を自費出版したんだ。……結果は知っての通りだ。通販サイトにおいて一円で扱われてた時は泣いた。それでも未だ持ってくれている人がいるとは……しかもオカルトへの理解のある人の下に……感動だ」

 かの呂本先生は牧瀬の手を感謝の意を込めて幾度か振った。それに牧瀬も力強く応える。

「いえ、僕こそ呂本先生に会えるなんて感動です! まさか自分の大学の教授だったなんて!」

「私も自分の大学にオカルトに理解のある生徒がいるとは――」

「おう、お楽しみのところ悪いが」

 俺は極力通る声で遮りを入れた。ここでオカルトの話が始まったら夜が明けてしまう。特に学者様なんかは誇張無しに朝まで語り続けるだろう。俺は二人の目が俺に向いたのを確認すると、一つ咳払いをした。

「本題に戻らないか? 不明瞭な時間で青年を助けなければならないんだ。出来るだけ急ぎたい」


 私は彼の言葉に頷いた。まだ緩みそうな頬を引き締めるために顔を覆って、強く押し込む。

「気合入れるのはいいが無様に化粧崩すのはやめろよ」

「平気だ。ノーメイクだからな」

 私は答えながら、手を離し、牧瀬が見たという血まみれの包丁を再び探すことにした。

 しばらくこの狭いワンルームを漁った。ベッドの下を探ったり、本棚の裏を非力ながらもずらしながら覗いたり、トイレの貯水槽なんかも確認したが、包丁は見つからなかった。

「大体は探したが見つからなかった」

 探偵の伝えると、そうか、と頷き、仰々しいアタッシュケースの中を探り始めた。中を覗き込むと黒塗りの機械から伸縮性の網など様々なものが入っていた。あの網は恐らく今日の猫の捕獲に使われた代物だろう。その中から、探偵は霧吹きのようなものを取り出した。

「こいつを洗面台、シンク、あとは……トイレに吹きかけてみてくれ」

 私は霧吹きを受け取ると、数回揺らしてみた。ほとんど使われてないようで中からたぷたぷと音が聞こえた。

「なんだこれは? あまり使われていないみたいだが……」

「血液に反応する薬液だ。流石にこの種のものはほとんど使わないが、今回は必要かもしれないと思ってな」

「ルミノールっていうやつだな?」

 自信たっぷりにそう言って見せる。しかし、探偵は首を振った。

「いいや、ルミノールだと不安だったからな……もっと精度の高いものだ。俺は鑑識にいたことはないからしっかりは覚えてないが、ルミノールは野菜の何らかの栄養素にも反応するらしいんだ」

「ほう、なるほど。シンクに使うと血液以外に反応してしまうというわけか。機転が利くじゃないか、探偵」

「なんとなくの予想はしてたからな。さて、頼むぞ」

 シンクへと霧吹きをかけ、受け取ったブラックライトで照らすと早速反応があった。思わず眉間に皺が寄った。青白く光る痕跡は点々と、しかし飛沫のようではなく、何度か垂らしてしまった、という具合に見えた。しかし、よくよく見れば、濃く光ってるその点の後ろ――つまりシンクの底面に、薄く、青空のように反応が出ていた。この反応の意味が安穏としたものではないことは、誰にでもよく分かることだ。

「探偵、反応が見つかった」

「そうか」

 探偵と、そして牧瀬もシンクを確認する。牧瀬が複雑な表情をする。自分の家のシンクが他人の血液で青白く光っている光景は気持ちのいいものではないだろう。しかし、探偵はシンクの様子を見て、

「悪魔も科学には疎いらしい」

 と、笑った。

「どうやら悪魔はここで包丁を洗ったようだな。肝心の凶器をどこにやったかは知らんが、わざわざ洗うってことはそれなりに理由があるはずだ」

 言いながら、探偵は台所の包丁を取り出し、置いてあった霧吹きをかける。ブラックライトで照らしてみるも反応はなかった。

「まあ、流石にか。だが凶器を捨てるだけなら洗う必要もなかろう。なにかあるはずなんだがな……」

「他に心当たりはあるか? 牧瀬」

 牧瀬は首を振った。それが分かれば苦労はしない、そう分かっているが、私は肩を落とした。

「博士さんのところで何もなければ、他のアプローチを考えよう」

 その日はそれで解散だった。

 牧瀬は駅まで送り届けると申し出てくれたが、それを丁重に断り、探偵と帰路についた。

 しばらく無言で歩いていたが、唐突に探偵が、すまなかったな、とぶっきらぼうに言った。

「何の話だ」

「いいや。感動のオカルト仲間との邂逅を邪魔してしまったからな。そんなに売れなかったのか、その本とやらは」

 私は当時の事を思い出し、胸が鬱屈とした感情でつっかえた。

「ああ、そんなにだ。話では二十冊も行かなかったと聞いている。その二十冊の中でも幾つかは言った通り通販サイトで売り飛ばされていた。なんなら売れてなかったしな」

「その十数冊……あー、下手すりゃ数冊か? その中の一人に会うとは正に星の巡り合わせだな」

 探偵の口から出たやけにロマンチックなワードに、皮肉かとその顔を見たが彼はいたって真面目な顔つきをしていた。揶揄うのはやめた。

「そうだな。……正にオカルトがオカルトを引き寄せた結果であるとも言える。そういう意味では星の巡り合わせという表現は適切だな。今回、この件に巻き込まれたのも必然かもしれない」

「巻き込まれた? よく言うぜ」

 探偵は鼻で笑った。

「あんたは自分から首を突っ込んでるんだよ」

 私もそう思う、そう伝えると、彼はにやりと笑った。苦笑にも似た微笑は、もはや諦めに近いものがあると感じた。私は彼に呆れられているのだろう。

「しかし……よかったじゃないか。あんたのやってること評価してくれている人間がいたってことは」

 私は頷く。

「そうだな。妙に物分かりがいいとは思っていたが……。彼とはこの一件が終わったらじっくりと話したいものだ。なんなら助手にしてもいい」

 探偵は私の顔を覗き込んで、眉を上げた。なんだ、と聞くと、奴はふっと笑う。

「いいや、嬉しそうだな、と思っただけだ。あんたのその願いを叶えるためにはしっかりと本件を解決する必要があるな。……さて、そういうわけで聞きたいことがあるんだが」

「なんだ?」

「あのオカルト本以外に、悪魔関連のものは見つかったのか?」

 私は首を横に振った。

「悪魔を呼ぶための書だとか、一種の黒魔術的なものは全く見つからなかった。そもそも彼のオカルトへの姿勢を見るに悪魔を呼び出すということはまずないだろう」

「ほう、それはなんでだ?」

「私が悪魔を呼び出していないことがなによりの証拠だ。いいか? 私は確かに怪しいものは調査する。リスクのある選択も取る。しかし、悪魔を降ろすというのは百パーセントのリスクを伴うことなのだ。……あの青年がそれを行うとは考えにくい。あれは悪魔に魅入られたパターンだろう」

「なるほど。あっちは巻き込まれた側だな」

 私は苦笑する。

「そういうことだ」

「……そうなるといよいよ博士さんの心当たりに祈るしかないな」

 その通りだった。祈りとは、まさにこの時のためにある言葉だろう。

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