悪魔憑き編_2

 とりあえず今日のところは学生を家に帰し、後日詳しい話を聞くこととなった。つい先ほど狙われた奥谷教授を送りにつけることは少し心配ではあったが、すみませんねとぼやきながら手を縛り上げていたところを見ると、まあ平気だと思う。通報されないかだけが心配だが。

「やっぱあんたといるとろくな事が起きねえな」

 車のハンドルを握った探偵がやれやれといった感じでぼやく。

「オカルトが私に引き寄せられているのかもしれないな。幽霊たちは怪談話をしている者らの所へと集まるとも言われているくらいだ」

「嬉しそうに言ってんじゃねえぞ。博士さんじゃなきゃ死人が出てもおかしくはなかった」

 そう言われ、私は緩んでいた口元を引き締めた。ああ、と返答した声が妙に張った。

「だが、奥谷教授が狙われてよかったとも思う。もし……もし彼が悪魔に憑かれた哀れな青年だとしたら、証明不可能な冤罪で牢に入れられていたことだろう。それはあまりに哀れな話だ」

「そうかい。……確かに悪魔が憑いてるなんて話、よくても精神病院送りだ。いや、そっちの方が平和な結末だがな」

 私は探偵の言葉に頷く。しかし、私にとってはチャンスでもあった。悪魔の知識は人間のものを遥かに越える。ラプラスの悪魔という例えが出るように、ややもすれば神に匹敵するような智を掲げる。私は、その悪魔がもしかしたら人を蘇らせるような手法を知っているかもしれないと思ったのだ。

 私がオカルトの中でも最も惹かれるもの。その鱗片に触れることができれば。そういった下心があったのも、否定はできない。そのせいで口を歪めてしまったことも事実なのだ。

 しかし、あくまでも私の行いには倫理が存在する。越えてはいけないボーダーを易々と破ることなどはしない。してはならないのだ。私は軽く頬を叩き、気を引き締めた。

「しかし悪魔ね。学者様、悪魔ってのは危険なのか?」

「死ぬほど長い話になるぞ。まずキリスト的な悪魔の語源は――」

「『はい』か『いいえ』で頼む」

 うんざりしたような顔で探偵が言葉を差し込む。私は無意識に乗り出していた身を背もたれに預けた。ふう、と息を吐いた。こいつはほとほと私の話に興味がないらしい。

「まあ、『はい』だろうな、概ね。今回のケースに関しては、だが」

 私はあの青年の挙動を思い出しながら答える。彼の挙動からしてよく言われる悪魔憑きだと見て間違いないだろう。現代社会においても悪魔憑きに対して悪魔祓いは未だに行われているが、私が過去に見学させてもらった悪魔祓い(これは宗教によっては陰惨な歴史に繋がるものであり、詳細は極力避ける)では、まだ年端もいかない少年が獣のように狂暴で、しかしその暴力には単純な悪意のみが宿っていた。その悪意に理由などない。強いて言うのならば、善人の破壊とでも言えばいいだろうか。

「これからどうする? 依頼をするなら今のタイミングだが」

 そうだな、と軽く考える。今回、あちこちを調査する必要は出てくるだろうか? 例えば彼がどこで悪魔に出会っただとかそのルーツだとかを調べる必要は出てくるだろう。知り合いの悪魔祓いが日本に来てくれれば話は早いのだが、彼は多忙な人間であるからどうなるかは分からない。

「ううむ。やはりお前の手を借りる必要もありそうだ。無駄に終わるかもしれないが、保険はかけておいて損はない」

「了解。じゃあ首を突っ込ませてもらおうか」

 すんなりと受け入れた探偵に、私は疑問を投げかける。

「やけに……友好的じゃないか。命の危険は少ない方がいいんじゃないのか?」

 すると探偵はすっと息を吸い、やがて静かに吐いた。

「ああ、平和がいいさ。それがいい」

 でもな、と探偵は続けた。

「俺だって馬鹿じゃない。はっきりと言うがな、明らかにこの町は盤石な平和を失っている。オカルトによって、だ。それもつい最近の話じゃない。影から脅かされていたんだ」

「……教団の件か」

 緩いカーブを流しながら、探偵は答える。

「ああは言ったが、正直誰かがやらねばならない話だった。それにあれはあんたの軽率さを咎めたおちょくりだしな」

「お前……」

 呆れた声が口から洩れたが、探偵は気にすることなく続けた。

「それでやらねばならないのが偶然とはいえ、俺とあんただった。あれに気づいていたのが俺らだけだったとしたら、あの気の狂った延命治療は続けられていただろうし、犠牲は水面下で増え続けていただろう。……それに気は進まんが、あんたが死んだとあっちゃあ胸糞悪い」

「縁起でもないことを」

「いいや、あんたは死んでもおかしくない件ばかり首を突っ込む」

 探偵はそう言いながら、車をほとんど通りのない道で止めた。

「……なんだ? か弱いレディをこんなところで降ろす気か?」

探偵が、あー、いや、とだるそうな声を出してから言った。

「あんたの家がどこか聞いてなかったな。いや、聞こうと思ったんだが、すっかり忘れていつもの道を走らせちまったんだ。住所を教えてくれ」

 私も、完全に失念していた。


 私 が家に着き、時間を確認すると既に零時を回ったところだった。メールを確認すると、つい先ほど飛ばしたメールの返信が帰ってきていた。件のエクソシストの知り合いだ。

『宮本さん、ご連絡有難うございます。今現在、仕事でニューヨークにおり、帰国までは少しかかりそうです。何かご用でしょうか』

 ニューヨークか。それならば現在10時くらい……電話を掛けても大丈夫だろう。私は電話帳の中から伊良樹菟駒という名前を引っ張りだし、発信ボタンを押した。

 伊良樹菟駒。彼とはイギリスで悪魔について調べている時に偶然出会った。あの頃の私は血の気も多く手段を選ばない若者であった故、悪魔と契約して死についての知識を得ようとしていた。そんな私を止めたのが彼であった。

 彼の風貌は聖職者のようにさっぱりしたものではない。髪は揃えられておらず、伸びきった癖のある前髪がその目を隠していた。私は彼を一目見て、放浪者かと思ったが、その考えが、立ち居振る舞いを見た途端に間違いであると知った。彼は、全く手入れをされていない、というよりは成るべくして成ったという正に『自然』を体現しているような男で、そこに不潔さなどは感じられなかったのだ。周りに溶け込み、しかしその気品を失わない――伊良樹菟駒はそういう不可侵性を纏っていた。

 しかし、西洋は『管理』の文化だ。植え込みを刈り、形を整え、美しい幾何学を展開する。自然を成した伊良樹とはひどく折り合いが悪い文化だと思った。そのことを彼に聞いたとき、彼は笑ってこう答えた。

「そんなこと、考えてもみなかったです」

 真の『自然』故、こういう回答になるのだろう。学会だとか世間体だとか、そういった物に縛られる立場の私には、正直羨ましいところがある。

 話を戻そう。出会った瞬間、彼はしっかりとした足取りで、なんの迷いもなく私の方へと歩を進めてきた。長身細見の言ってしまえば不気味な外見の男が急に迫ってきたものだから、私は萎縮した。そんな彼の一言目が、これだった。

「悪魔はあなたの望みを叶えやしない」

 それから彼は、私のことを詳しく聞いてきた。その後、私の目的がオカルトに対する知識の深化だと分かると、彼はほっとしたようで息を優しく吐いた。そして、滅多に笑わない口元をほころばせて言った。

「あなたには先がある」

 彼は自分の知っている様々な知見を私に提供してくれた。異国の地で日本人に親近感が湧いた故かと当初は考えていたが、彼が言うには同業者は『分かる』から教えてくれたようだった。そして、悪魔に関することがあれば、と連絡先をくれたのだった。

数回の呼び出し音の後、男の声が聞こえた。

「もしもし」

「もしもし。いきなりで申し訳ありません。今お時間大丈夫でしょうか」

「ええ、構いませんよ。なんでしょう」

 私がこれまでの経緯を話すと、彼はううんと唸り声を挙げた。

「そうですか、悪魔憑き、ですか」

「まだ確定ではないですからなんとも言えませんが。もし、悪魔憑きであれば……仮定の話で構いません、情報が欲しいのです」

 そうですね、と呟く。五つほど秒針が打たれたあたりで伊良樹さんは口を開いた。

「まず、その悪魔ですが、力が弱いように思えますね。宿主……という表現はいささか不適切ですが、彼に抑え込まれてしまっている。まだ憑いたばかりであるか、それとも力が単に弱いのか……」

「ふむ」

「それに気になるのは、いかにも一般的な暴力の度合いである、ということ。悪魔憑きの周りで暴力的な超常現象……まあポルターガイストと言うと分かりやすいでしょうか。あれは厳密には悪魔とはまた分類せねばならないものなので、表現としては不適でしょうが……」

「その辺りは理解しています。ご心配なく」

「ご理解ありがとうございます。……つまり、本件の悪魔は力が弱いということだけは覚えておいてください。しかし、力が弱いからと油断も出来ないのが悪魔です。悪魔というのはご存じの通り、人を誘惑し、騙し……我らよりも賢い存在です。なにを仕掛けてくるかも分からない」

 電話口で息を吐く音が聞こえた。

「正直なところ、関わるのは危険です。しかし……手をこまねくのも得策ではない」

「と、言いますと?」

「……少し、出来すぎかと。襲われたのはあなたのご友人だ。しかし、そのご友人はオカルトに理解があり、オカルトに詳しいあなたとも繋がっている。現に彼はあなたを呼んだのでしょう? そして悪魔に憑かれた者はあなたに助けを求め、エクソシストである僕に電話を掛けている」

「確かに。それに、普通であれば牢に入れられてしまうし、例え力が強かろうと愚行だ」

「そこが、ひどく気になったんです。もしかしたらこれは悪魔が仕掛けてきた罠なのかも。そうだとしたら……目的を探る必要があります」

「放っておくのも危険、そう言いたいんですね」

「そういうことです。……出来れば知り合いのエクソシストを寄越したいところですが、日本に悪魔憑きは非常に少ないです。つまりエクソシストもまた少ないのです」

 その言葉に、私はふと気になる。

「そういえばですが。日本における悪魔憑きの前例は存在するのですか?」

「いることにはいます。しかし、日本でキリスト教はメジャーではありません。信仰の自由があるといっても、宗教への意欲が薄い日本において悪魔憑きはほとんど発生しません。もちろんキリスト教的な悪魔でない可能性も十分に考えられますが……」

 流石に専門外というわけか。こればかりは自分で調べるしかないだろうと、頭の中のメモに書き留めておく。

「ふむ。ところでエクソシストを派遣するとして、どれくらい日を要するでしょうか」

「仕事の状況にもよりますが……僕より早く行けるものは居ないでしょう」

 くれぐれもお気をつけて。そう彼は言い残して電話を切った。私は何を悪魔憑きの彼に聞くべきか、状況を整理すべきだと思った。この疲労した身体は、オカルトのためなら簡単に動けるものだった。私はノートとペンを取り出し、今日のこと、そして伊良樹から聞いたことを書きながらまとめていく。

 

・青年は瞳孔が青く光った

・彼は助けを求めたが、彼の意志だろうか

・悪魔は何か企んでいる可能性がある

・一週間。悪魔が先か、伊良樹氏が先か


「ふむ……大方はこういうことか」

 私はノートを眺めながらするべきことを考える。


・悪魔の正体を調べる(そもそも悪魔なのだろうか?)

・悪魔の企みを探る

・悪魔から身を守る方法を探る


「……こんなものか」

 私はノートに書いたシンプルな作業がどれだけ大変な事か、よくよく知っている。瑠美子の件や、教団の件よりは掴みどころはあるが、悪魔と対峙するとして私のような一般人がどれほど耐えられるものか。悪魔の力が弱いのが幸いではあるが、何を隠しているものか分かったもんじゃない。

 現実的な考えとして、久留宮が対抗できそうというぐらいではあるが、悪魔を変に刺激しないかが不安だ。彼女は最終手段として、とりあえずの事情だけは説明しておこう。また、美麻にも一応連絡を入れておくとしよう。彼女ならば何か対策を取れるかもしれない。

 さて、現在考えられる対抗策が人任せ、というのがなんとも心許ないが、手立てがない以上仕方ない。次に進むのが賢い選択だろう。


「悪魔、ですか……」

 食堂でハンバーグを食べていた久留宮は、その単語を聞くと少し苦い顔をした。

「なにか嫌な事でもあったか?」

「いえ、別にそういうわけではないんですけどもね。ただ……対峙したことのない相手っていうのは、力が通じるか分からないので……。宮本教授を守れる保証はないとだけ言っておきますね」

 久留宮は淡々とそう語った。あれから数度、久留宮とはオカルトに関わる話をしているが、彼女はオカルトが自分の中核に近いことをしっかりと自負しているせいか、時折、当初の彼女のイメージとはかけ離れた無感情な声を私に投げかけてくる。いや、そもそも彼女のような超常的な存在において感情などというものは元々存在していないのかもしれない。彼女も人間っぽくなった、という表現をしていた。……ま、彼女の半分は人間なのだが。

 久留宮は、笑顔を自然に作ってみせた。その笑顔が自然であるかどうかは分からないが。

「まあ、安心してください! やれるだけはやりますし、お手伝いだってしちゃいますよ~。私が他に出来ることってありますか?」

「そうだな、極力バレないようにしてほしい」

「なんもできないじゃないですかぁ……」

 久留宮はがっくりと項垂れたあと、すっと顔を起こした。彼女は何かを思案しているようだった。

「でも正直なところを申しますよ、宮本教授。相手方がなにを行ってくるか分からない以上、私という存在でブラフを張ることは有効だと思いますよ。私は半神ですからね、そう簡単に手出しは出来ないはずです」

「……確かに。しかし、悪魔というやつは神への反逆を図るものでもある。それに私になにかするのが目的ならもうそれは遂行されているはずだろう。悪魔は私に……何かを求めている。それがある以上はまだ冷戦状態に持ち込むべきではないだろう」

「一理ありますね……」

 久留宮はため息を吐いた。分かりました、と頷くと、食器を片付け始めた。

「では私はその……牧瀬さんの前に姿を現さないようにしますよ。丁度調べ物も必要でしたし、国立図書館でおとなしく研究しときますよ」

「ああ、頼む。……私はこれから件の生徒に対して事情を聞いてくるよ」

 久留宮が眉根を寄せた。

「一人で、ですか?」

 久留宮の心配はもっともだが、私は首を横に振り微笑んで見せた。

「いいや。奥谷教授も一緒だ。単純な暴力程度なら彼が抑えてくれるだろう」

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