悪魔憑き編_1

 紅葉の秋。私には残念ながら紅葉狩りをするような相手はどこにもいないのだが、そういった風情あるものは好きだ。そもそも風情を感じる心とオカルトを信じる心は一種近しいものがあると思う。何がどう近いんだ、と聞かれると難しいのだが。

 ‎この頃は紅葉狩りをするような相手を探すようになった。詰まるところお見合いというやつだ。私もそろそろ若くない。三十路半ばのオカルト女に買い手が着くかなどと言われるとそいつは耳が痛い話だが、行動せずに手に入るものはないだろう。

 車が目の前に止まる。どうやら待ち人が来たようだ。運転席の窓が開く。

「俺をタクシー代わりに使うのもいかがなもんだ、学者様」

「……仕方ないだろう。まさか終電を寝過ごすとは思わなかったんだ」

「はあ、まあいいがな。俺が起きていなかったらどうするつもりだったんだ。この近くにタクシーなんてないだろ?」

 確かに廻戸から少し行った赤井町は田舎も田舎。周囲は真っ暗で入れるような店もない。探偵の心配も一理ある。

「……まあ、ここらへんで一夜を明かすのも考えていた」

「馬鹿か。……ほら乗れ」

 後部座席に行こうとすると探偵に止められる。

「すまんが後ろは荷物が大量なんだ。助手席にしてくれ」

 言われて中を覗いてみると段ボールやら鞄やらが所狭しと積まれていた。積み木のように積まれたこの荷物は、後ろから激突でもされたら崩れそうだ。どうあってもこの後部座席に乗ることは無理だろう。

「なんだ、後ろのこれは」

 助手席に座りながら聞くと、ああ、と探偵は答える。

「リツカの荷物だ。実家から引き取るように頼まれたのがいくつか」

「なるほど、引っ越し業者か」

「はっ、笑えねえな」

 言葉と裏腹ににやりとした探偵が車をゆっくりと発進させる。

「……見合いの帰りか?」

 車が走り出してからすぐに、ぶっきらぼうに探偵が聞いてきた。私はその言葉につい探偵の方を見てしまう。探偵はいつも通りの無気力な顔をしていた。

「……なんでわかった」

 探偵は、簡単なことを、と吐いた。

「いつもよりめかしこんでる。あんた、普段はそんなに身なり気にしてないだろ。だが、そのよく分からんネックレスはそのままなんだな?」

「ペンデュラムだ、覚えてくれ。……ああ、お見合いだよ」

「手応えは?」

「……まあ、それなり」

「へえ」

 探偵の返事は気の抜けた、興味がなさそうな相槌だけだった。何で聞いたんだ、こいつ。

「そんなによくなかった、ってことか」

 心内を見透かされ、顔が自然と歪む。ちらりと探偵の方を窺うと、赤信号で車を止めた探偵と目が合った。探偵は眉を上げて、やっぱりな、と言った表情を見せた。

「……なんでわかった」

 お前の疑問の言葉はテンプレートでも組まれているのか? と探偵がおちょくる。

「なんとなく。学者様との付き合いも長くなってきたからかな。あんた、分かりやすい性格してんぞ」

「……そうか」

 そう言って目線をそらすと同時、車が走り出す。走行音がなんだか気まずく感じた。この男は、私が慣れない媚売りで疲れていることも見透かしているのだろうか。そうだとしたらきっと気を遣わせているのだろう。こんな女のことは気にしなくてもいいぞ、などと頭のどこかで過る言葉は口に出せなかった。

 がたん、と車がすこし揺れる。

「前も言ったが、なんだ、そこまで焦らなくとも」

「これについては、すまないが焦らざるを得ない」

 私は食い気味に探偵に回答した。

「……あんたがそういうなら仕方ねえが、何度もお迎えには上がれないからな」

 探偵の声の調子が、少し低くなったのを感じた。

 そんなことは分かっている。探偵、お前のことをそこまで引っ張りまわすつもりはない。ただ、今回のこれは事故だ。

私が口をつぐんでいると、探偵は言葉を続けた。

「それに、今の廻戸は安穏とした状況でもない。夜間の外出は控えとくんだな」

「どういうことだ?」

 探偵は、研究者っていうのはニュースをまったく見てないのか、と小言を漏らす。

「廻戸で連続失踪事件が起きているんだよ。三人の男女がいなくなってな。ああ、あんたのところの生徒だぞ」

 そう言われて、ピンと来る。確か大学構内の注意喚起の張り紙のようなものに、警戒を促す旨の文章が掲載されていたのを思い出した。

「その学生らには深い関係性は認められていなくてな。ただどいつも飲み会だとかの夜遊びの後で行方が分からなくなっている。警察は躍起になって犯人探しをしているみたいだが、どういうことか尻尾も掴めないでいる。……だから、夜間の外出はお勧めしないぞ、学者様。特にあんたのような人間はな」

「……気を付けておこう」

再びの沈黙の中、私は車窓から外の景色を眺める。田舎とだけあって夜道はひどく暗い。信号機が明かりの代わりになるような場所では見るような景色もない。私は気を惹くようなものも何もない緩慢とした空間の中で意識がぼやけていくのを感じた。ああ、疲れたのだろうな、私は。お見合いの緊張がほどけ、どっと眠気が押し寄せた。そもそも電車の中でも快適な睡眠などは取れずに、はっと目が覚めたときには全身にひどく汗を掻いていた。

今ならゆったりと眠れそうだ。私は目を閉じて、暗闇に身を預ける。

と、スマホがポケットの中で震え始めた。緩み切っていたところに来た急な知らせ。私は身体がびくりと震えた。こんな時間に一体誰だろうか、画面を見ると奥谷教授からの電話だった。珍しい。私は探偵に断りを入れてから電話に出る。

「はい、もしもし」

「ああ、宮本さん。夜分遅くにすみません。早急にお伝えしなければならないことがございまして」

 早急に、という割に彼の声は落ち着いている。

「なんでしょう?」

「今、公園でフィールドワーク中なんですけどね、突然襲われました」

「……は?」

聞きなれない文言に、つい聞き返してしまう。

「いやあ、鉄パイプを持った青年だったんですが、とりあえず拘束して話を聞いたんですよ。そしたらうわ言のように『助けて』と繰り返していましてね」

「……奥谷教授、冗談で?」

 数秒の沈黙の後、軽快な笑い声が聞こえた。奥谷教授らしい、純粋な笑い声。

「まさか僕がこんなつまらない冗談のために電話を掛けますか? はは、宮本さんこそ冗談きついですよ。続けますね。それで拘束された手の痛みでそんなことを言っているのかと思ったらどうやら違うようで。『悪魔が……俺に……』って言うんですよね。いやあ、はてどうしたものか。この青年は果たして精神異常を患っているのか、と思ったんですが、私は宮本さんに近いおかげで悪魔の存在も考慮したのです。しかし、私は専門家ではない。本当に悪魔云々が正しいのかも分からない。……ついでに身元を確認したら廻戸大学の学生でした。彼を警察に突き出すのもいささか引っかかるものですし、もし悪魔に何かされて人生を台無しにされるというのも悲しいじゃないですか。それで宮本さんに話を伺おうと思ったのです」

「今どこの公園にいらっしゃいます? すぐに向かいます」

「ああ、すみませんね。廻戸第三公園のグラウンドエリアにいます」

「了解」

探偵にこの事を伝えようとそちらを向くと、探偵が丁度ハンドルを切っていたところだった。

「聞こえてたぞ。スピーカーの音量をもう少し下げとくことをおすすめしとく。廻戸第三公園だな?」

私は頷く。

「すまないが頼む」

「人が絡む案件にはあまり関わりたくないんだがねぇ……」

その探偵の発言にくすりと笑う。

「おいおい。探偵というやつはいつだって人を扱うものじゃないか」

探偵は、いや、と発した。

「訂正しよう。あんたのオカルト系の話は人が絡むと面倒で危ない。だから関わりたくないんだ」

「はは、すまないな。だがやってくれるよな」

私をちらりと見、彼は苦笑した。

「学者様、最近開き直ったな。結婚もそんぐらいで頼む」

 耳の痛いことを言う。私はそっぽを向いた。

「うるさい。それとこれとは話が違うんだ」


現場に到着した。廻戸公園は樹木が多く植わっており、自然の多い公園だ。休日などは家族連れなどの暖かな人の集まりが見られるのだが、今は静まり返った不気味な森でしかない。奥谷教授はきっとこういうところは大好物なのだろうが。

指定された場所へと向かうと、奥谷教授と解放されてすっかりうなだれている青年がいた。解放して大丈夫なのだろうか、などと不安に思いながら探偵を先に行かせる。私などは襲われたらひとたまりもない。

‎奥谷教授はこちらに気づくと、朗らかに手を振ってきた。先程自分を殺そうとした人間を目の前に、大した精神だ。

「いやはやこんな遅くにすみませんね」

「博士さんも災難で」

 探偵がとりあえずの謝辞を述べると、奥谷教授は屈託ない笑みを浮かべた

「いや、ほんと。こういう時のために護身術を学んでおいてよかったですよ」

「用意周到ですな、奥谷教授」

「ああ、宮本さん」

「生徒の前だ」

 すっかり気力を失っている青年を気にかける必要があるかは微妙だが、それでも学生に教授以外の呼び方を聞かれるのは私のこだわりが許さなかった。奥谷教授はわざとらしく口元を押さえる。

「これは失敬、宮本教授。いやあ、未熟とはいえ名のある学者が研究中に凶刃に倒れる……というのもいかがなものかと思いまして」

 探偵はこちらを見て、ふっと鼻で笑った。明らかにその目は私を見下している。

「いい心がけだ。学者様も見習うべきだな」

「教団の時は悪かった。あれから少しジムに行こうか悩んでいる」

「護身術にしておけ。……力なんて使わずともどうにかなることの方が多い」

「ご忠告どうも」

 私はへたりこんでいる生徒と目線を合わせるために屈んだ。

 生徒はある程度の顔立ちの良さと、まだ拭いきれぬ垢が残る顔だった。その顔つきからまだ一年生か二年生であることが分かる。生徒は目が合うとこちらを品定めするように、しかし怯えた様子でこちらを見つめてきた。それは正にペットショップで、こいつは自分を大事にしてくれるだろうか、判断する子犬にも似ているが、どうしようとも買われるときは買われる不自由さが伺えもした。

 活殺は自在というわけか、ならばなおさら私は彼に集中せねばならなかった。全てのバイタルサインに注意を向け、そして決定的に変わる部分を探す。それが来るまで私はじっと待たなければならないのだ。

 呼吸、心拍、脈。瞳孔、血管の浮き具合、その他諸々。バイタルサインの変化など些細であるかもしれないが、オカルト的に決定的な場面は必ずある。私はこの学説には確信を持っている。

 しかし、悪魔とは言っても久留宮のような出鱈目なオカルトレベルの存在であることは少ない。大抵は精神疾患だ。そのため精神療法でどうにかなる。オカルトのやっていることもある意味では精神療法である。オカルトは人間の価値観を宗教の世界観─まあ宗教以外でも世界観というのは存在するが便宜上そうであるとして─に引き込み、そして有用とされる方法を、本当に有用とするのだ。

 つまりプラセボにも近いわけで、あなたの精神異常に効く聖水です、と組成上は普通と変わらぬ水を振りかけたりするのだ。ただそこには間違いなく”説得力”と”信仰”が必要であり、そしてこれは時に予期され得なかった、しかし当人たちには自然な超常現象を起こす。悪魔祓いの数々の例の内には、自分に悪魔が憑いていると信仰されたおかげで本当に悪魔が憑いた例も存在するだろう。

 だから私は今ニュートラルに、つまり完全な客観よりこの青年の状態を判断するのだ。

 青年の目を見て5分は経っただろうか。それは起こった。

 青年の目、瞳孔の色が青色へと変わり、そして元に戻ったのだ。私はそれを見て、つい後ずさった。人間の瞳孔というやつは本来色が変わることはない。光彩の部分は後天的に色が変わった事例が存在する。しかし、それは数年をかけた方法であり、そもそも今回は瞳孔だ。人間の瞳孔は皆黒であるはずなのだ。

 出鱈目だ、出鱈目なレベルのオカルトだ。私は緩みそうになった口を引き締め、立ち上がった。

「本物だ。悪魔かどうかはさておいて……なにか超常的なことが彼の身に起きていることは間違いない」

「悪魔……」

 青年が絞り出すような声を出した。その目の怯えの色がより一層増している。

「ああ。……安心してくれ。私は、君の理解者だ。警察に突き出しはしない」

「僕はまた……」

 探偵の方を見ると、彼はつい、とそっぽを向いて煙草をふかし始めた。見てなかったことにするらしい。

「……奥谷教授。この青年を家までお願いできますか? あなたの護身術を見込んでの事です」

「ええ、構いませんよ、宮本教授。……さ、歩けますか?」

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