教団編_7
はあ……っ、はぁ……っ」
「はあ……クソ、本当に死ぬかと思ったぞ。学者様、あんたがあんな無謀なことしなきゃこんな目には合わなかった」
「はぁ……っ、すまない……今回ばかりは……はぁ……っ」
私の息は未だ日常に帰らない。そのことをしっかりと察していたようで、探偵は言葉を制した。
「いい、いい。落ち着いてから喋れ。あんたは体が強くないだろう」
「っ……すまん」
久々の全力疾走。それは私の筋肉どころか循環器系すら疲労させ、足取りはおぼつかなかった。探偵の肩を借りて、近くのベンチまで歩いた。探偵が私の様子を伺い、そして服越しにも私の容態というのは伝わったのだろう。探偵は私をベンチに座らせると、言った。
「ああ、真冬だってのにすげえ汗だ。なにか飲み物を買ってこよう。……待ってろ学者様」
情けない、という感情を覚えるのは何年ぶりだろう、私はただすまないと謝ることしかできなかった。
背もたれに体重を預ける。今回ばかりは私が悪かった。私も高揚してたのか、冷静さを欠いていたようだ。……いや……本当にそうか? 私はあの時、高揚というよりも焦燥を感じていた。早く、早く、と。ここまで感情を制御できなかっただろうか、改めて自分の未熟さを感じる。
探偵が私を責めるのも最もだ。私たちはあの教団について散々下調べをして、その危険性をよくよく分かっていたはずだ。それなのに、私の独断ですべては水の泡だ。
「……はあ」
頭を抱えたくなるような失態と、責任感。加えて襲い来る罪悪感。私は探偵を危険にさらすところだったのだ。もしかしたら二人とも殺されていたかもしれない。
私は背を丸めて顔を覆った。丸めた背中に、重い十字架がのしかかったような……実際にそんな感覚があったらどれだけ楽だったろう? 実のところは私の罪は私の体内でぐるぐると不快な靄を撒き散らしているのだ。
「……頭は冷えたか、学者様」
コツンとこめかみになにかが当たる。顔をあげるとすぐ横にペットボトルがあった。それを持つのは、もちろん探偵だ。
「……ああ、すまなかった。私はお前を殺すところだった」
すると、探偵は、ふ、と笑い、お茶を私の手元に落とした。探偵は私の隣に腰を落とすと、
「分かってるならいい。それに本当にやばかったのは逆儀式頼んできたわけわからん馬鹿のせいだ」
と、低い声で言った。今までに聞いたことのないような、優しい響きだった。この男は、こんな声も出すのか、と少し呆然とした。
探偵は手元のペットボトルからお茶を一口飲むと、どこか遠くを見ながら言う。
「……それにしたって珍しいもんだ。いつも冷静で臆病な学者様が単独で潜入するとは。そんなにあれが気になったのか」
「……そこのところ、私もわからない」
「そうか」
探偵は追及してくることはなかった。ただ静かに私の言葉を待っているようだ。私は続ける。
「ただ、焦ってた。急がないと、なんてな」
私は空を見上げる。光度の高い北極星だけはすぐに見つかるが、それ以上は見当たらない。私は地面に目を落とした。
「私も、未熟だな。教育者として失格だ」
探偵は、はっ、と短く笑う。
「そんなことねえだろ。……あんたはよくやってる」
いつにもない言葉に、私は戸惑った。それを誤魔化そうと、それを茶化す。
「優しいな、どうした」
「さあ? あんたが珍しくしょげてるもんだから」
この探偵は不器用極まりないと思っていたが、こういう時の察しの良さはなかなからしい。私はその言葉通り、心を負の感情に冒されている。
「おい、学者様。後ろ見てみろ」
探偵に促されて後ろを振り替えると、大規模なイルミネーションが点灯していた。
「平和なもんだ。ここから少し進んだ先が死地だったなどと誰も想像しない」
「はは……そういえば今日はクリスマスイブだったか」
探偵はしばらくそれを眺めているようなので、私もイルミネーションを眺める。
「イルミネーションは平和の象徴かもしれないな。いや、違うか。表面上の平和だな」
「感傷か?」
「そうだな。あんなもん見た後だとそういうことを考えたくもなるさ。……オカルトに限った話じゃないが。皆、常に危険に晒されている。それはなにも身体的な意味だけじゃあない」
「そうだな。人間は安全なように見えて……殺される。どんなものからも殺される。殺されているその痛みを忘れるために、もしかしたら平和を気取っているのかもしれない」
呟いて、私はこんなにしっかりとイルミネーションを見たのは初めてだと伝えた。探偵は、ああ、興味なさそうだもんな、と笑う。
「……探偵、イルミネーションは好きか」
探偵はイルミネーションを見ながら、
「いや、あまりいい思い出がない」
と苦い顔をした。
「ほう?」
「……なんだ? 興味あるのか?」
探偵が心底嫌そうな顔をしながらこちらを見る。そんな顔をされたら嫌でも気になるだろう。そう伝えると彼は頭を掻いた。
「ああ、まあ……言い出したのは俺だしな。良いだろう。その昔、高校生時分にな、好きな女がいてそいつをデートに誘ったんだ。しかし断られた。それがショックで、クリスマスイブに都会とは逆方向の電車に乗った」
「傷心旅行か?」
茶化すように言うと、彼は笑って静かに首を横に振った。
「そんな優しいものでも大人っぽいものでもない。……怒りと苛立ち、悲しみの混沌に身を任せてた。その時に俺は天体望遠鏡を担いでいてな。一人で星を見てた。うまくいったやつらがイルミネーションを見てる間、ずっと。都会の光なぞ、人工の光なぞ全く灯らない場所で」
「なんとまあ……ロマンチックじゃないか」
探偵は軽く首をかしげる。
「ロマンチックか? ……ともあれそんな嫉妬とか羨望とか憎しみとか、そういうものを感じながら星を見てた思い出があるんだ。だからあまり……いい思い出ではない。血気盛んというか自分勝手というか」
「未熟、か?」
私がそう聞くと、彼はにやりと笑った。
「ああ、そうだ。俺はそういう部分に向き合いたくないからな。……その分あんたは自分の非と向き合える。それが人を教える人間の最良の姿じゃないのか?」
ははん、なるほど。この探偵はこれを言うために餌をちらつかせたのだ。そうは思ったが、論理的にはアウトだろう、とも思った。ベクトルが違う話だし、なによりそれが最良の姿だという保証はない。評論文の試験ならば、40点ほどだろうか。
……ともあれ、嫌な気分はしないな。
「……ふふ」
全く、この探偵は。身を切らずとも、普通に言えばいいものを。
「不器用だな? いや、ここまでくると器用だ」
「……さて、なんのことだか」
彼はわざとらしく、頭の後ろに手を回し、そっぽを向く。下手くそ、そう心のなかで呟き、
「ああ、わかった、わかったよ。そうだな。私は教育者失格ではないらしい。……精進するよ」
「そうかい」
それだけ言って、彼は立ち上がる。まったくこいつはどうしてこうも素直じゃないのか。こういうところを不器用と言うのだ。しかしまあ、この探偵はそういう人間だものな。仕方ないやつだ。
私も立ち上がる。筋肉は疲労しているが、歩くことぐらいは出来そうだ。その背を追いながら、私は一つ提案をする。
「なぁ、探偵。せっかくのクリスマスイブだ。パーティーとでも洒落こまないか?」
彼は立ち止まり、こちらを向き、肩をすくめた。すると口の端を歪めながら、言う。
「ああ、そうだな。生還記念パーティーとでもするか」
「ぐっ……悪かったと言っているだろう。その分最良の振る舞いをしてやろう。……そうだ! 私の家……はやめておこう」
「ああ、懸命な判断だな、学者様。あんたのひどく汚い部屋なぞこちらからお断りだ」
「……容赦がないな、探偵。しかしその通りだ。仕方ない、外食といこう」
私は少し思案して、この間久留宮が連れていってくれた店を思い出した。少々値は張るが、この聖夜くらいは許されていいだろう。
「……そうだ探偵、イタリアンは好きか? とびきり美味しいところを知っているんだ」
「ほう? ……まあ、たまにはそういうこじゃれたものも悪くはない。付き合ってやるよ」
あの騒動から三週間。亡者たちが人目に触れたことで警察沙汰にすらなったようだが、亡者の形跡は綺麗さっぱり消えてしまったらしく、警察は結局お手上げであった。ただ地下室はどうやらなにかの法律に引っかかったようだが責任者の一人も出ず、どこかの誰かがその責任を負ったようだった。詳しい事は分からないが、廻戸に「亡者が湧いて出る」なんて都市伝説が広まるのは時間の問題だろう。
私は、大学のうちの一つの建物、その屋上で、久留宮にもらったお守りを眺めていた。守られたのかどうかは微妙なところだが、結果としては守られたのだろう。
「宮本教授!」
声に振り返ると、久留宮がこちらに手を振っていた。弾んだ足取りでこちらへ来ると、
「明けましておめでとうございます! あと、教団もどうにかなったんですね!」
「ああ、心配かけたな」
「ほんとですよ~。それで、ご用って何でしょうか」
そう、私には気になることがあった。それを聞くために、久留宮をこんなところへ呼び出したのだ。
「おかしいんだよ。教団は、黒ローブを纏うのは呪文を唱えるときだけであったと聞いたんだ。それなのに、黒ローブを纏って移動している姿がカメラに写っているのは妙な話だ。バレやすくなる」
「……? はい……そうなんですか?」
「ああ。それにな、今回死体が四つも出てしまったことには他の者の介入があったから、だそうだ。つまり、教団に対抗する個人がいたってことだ」
私は目の前の彼女の目を見つめた。
「……久留宮ちとせ。お前なんだろう?」
久留宮はしばらく目を丸くしていたが、にこりと笑う。
「そんなわけないじゃないですか~。悪い冗談ですよ」
「……お前にもらったお守り。中を開けたんだよ」
お守りを開け、手の中に出す。中には札と、黒い機械。それを見て、久留宮の表情が少し変わった。
「GPSだったよ。私の位置を把握するための。私はこのお守りをお前の言う通り肌身離さず持っていたんだ。多少の誤差は生じるかもしれない。しかし、探偵に協力したときのような手法を使えば正確な位置を掴むのも可能なはずだ。全ては"信仰"だからな」
「……ばれちゃいましたか」
久留宮は観念したように、しかし、いつもの笑顔で笑う。
「やっぱり宮本教授って察しがいいですね。……まあ宮本教授にならばれてもよかったんですけど」
久留宮は柵に寄り掛かった。
「あのタイミングで協力者が現れるのは都合が良すぎる話だ。あの地下室で携帯の電波が繋がり続けるのも不自然……だいたい携帯は既に圏外だった。それにそこで取引を持ち掛けたというのもまるで納得がいかなかった。そこでほとんど確信したんだが……久留宮は最初から、あの神を還すつもりで私に噂を教えたんだろう?」
「ええ。……もっと言えば、宮本教授に接触した理由がそれですよ。神を還すための逆儀式。宮本教授ならきっとできると思ったんですよ」
久留宮は、あ、と言葉を発する。
「でも、宮本教授のこと、大事に思ってますよ。それは……分かってください。宮本教授にGPSをつけたのは教団員からの呪文を防ぐ意味もあったんですから」
「防ぐ?」
「ええ。私も呪術は扱えますからね。逆呪文、分かりますよね」
「まあ様々あるが……元の呪文を打ち消すためのものだな」
久留宮はうんうん、と頷く。目の前の彼女はいつも通りなのに、その話すことがまるで様変わりをしていて、私の頭は多少混乱していた。
「噴水広場で狙われていたときも逆呪文でどうにか防いでたんですよ。あのままだったら普通に魂抜かれてましたからね」
「ぞっとしない話だ。……私と接触したときから、神を還す計画を立てていたのか?」
「はい。あの儀式、教団員にはできないんですよ。だから外部の人を呼ぶ必要があったんです」
「……ということは、久留宮、お前も教団の一員だったのか?」
「うーん、半分正解で半分間違いです。私はあそこを追い出された身ですから」
破門、といったところだろうか。しかし私はそれを聞いて新たな疑問を感じずにはいられなかった。
「それなら、久留宮。君でも逆儀式は行えたはずだ。それに……教団を追い出されたならなぜ呪術を使える? 私の知らない例外……なのか?」
久留宮は、ふふ、と無邪気に笑った。心底、私の事を好いて、そして尊敬している目。久留宮が初めて私に向けた目と同じであった。
「宮本教授の疑問はもっともですよ。先生のオカルトに関する理論も、限りなく正解に近い。……ただ、例外中の例外が存在しますよ。でもそれは宮本教授も分かっているはずです」
私も知っている例外……? 呪術を使える例外など他には……。
私はそこまで考えて、後ずさりをした。それが正しければ、今、私の目の前にいるのは―。
「そうですよ、宮本教授。私は人間じゃないです。ほぼ悪魔と同等の存在なんですよ」
そもそも、なんで私があの神を還すことに執心したか分かりますか? 確かに教団を追い出された腹いせ、と動機づけることは出来ますが、私は残念ながら人の身ではないので復讐とかいう非効率なことはしません。……あの神は正に邪神です。しかし、同時に私の父親なんですよ。ふふ、そんなに驚かなくても。神が人と子を成す話なんて世界中の神話に残っている話じゃないですか。
お母さんは異端とされて、私は忌み子として捨てられたんですよ。ただ、人の身じゃないんで土に埋めるぐらいじゃあ甘いですよね。生き残れてしまいます。そしてその間、ずっとお父さんと話をしてました。神とその子なんですから物理的に会わなくたって話せるんですよ。お父さんは苦しんでいました。この現世に縛り付けられ、契約通りの加護を与えることに。
お父さんが苦しんでいることを知った私はお父さんを元の場所へ還してあげようと考えたのです。でもお父さんを呼んだのは人間。還すのも人間じゃないといけなかったんです。そこで私が目をつけたのは……宮本教授。あなたなんですよ。
あなたに会った時、感動しました。こんなにも超常的な存在を理性的に信じている人間がいるのだと。そして、それを世界に広めようとしていることに。惚れこんだも同然です、宮本教授。私は宮本教授のことが大好きになりました。だから、仲良くなろうといっぱい頑張って……そしたら根っこから人間ぽくなっちゃったんですけど。そのお陰で睦月くんともちゃんと付き合えて……宮本教授には感謝しているんですよ。
今まで、与太話に付き合ってくれる、ただの大学院生だと思っていた。だが、実際は神と人間の間に生まれた子であったのだ。そのことに驚愕する。膝から崩れそうなほどショックを受けている。現実にそういった存在があるのは知っている。しかし、実際に目の前に現れ、そして長い間私の目を欺いてきた……そのことに驚きが隠せないのだ。
「だから、ほんとは逆呪文とかも必要ないです。ただ……あの探偵さんはちょっと驚きましたね」
「やはり……白ローブの女も……」
「はい、私です」
間髪を入れずに久留宮は返答した。
「あの探偵さん。魔法が効きませんでした。だから電子機器へのハッキングを魔術で行ったんですけど……いるんですね。あんなに信念が固い、立派な方」
「………………」
返す言葉もなかった。なにを言えばいいのか分からない。なにを返せばいいのか、分からなかった。
「宮本教授? ……はは、別にいつも通りでいいんですよ? って、そんな風にはいかないですよね」
久留宮は地面に腰を下ろし、私を見上げた。私はしばらく彼女から目を逸らしていたが、意を決して、彼女の目を見た。
久留宮はその瞳に、涙を湛えていた。そのことに私はひどく驚いてしまった。
「命がけで助けるつもりでした。宮本教授もあの探偵さんも、大変なことになったら助けるつもりでした。でも……嫌だったんです。私が人じゃないってバレるのが。それが嫌で、だから、頑張って小細工して、宮本教授に分からないようにして……ただの女の子として接してほしかったんです。私は……私には宮本教授はお母さんのような、大事な人なんです。だから……」
「久留宮、すまない」
私は、小刻みに震える彼女の身体を抱きすくめ、その頭を撫でた。久留宮の腕が強く私を抱き返してくるのが分かった。
「ごめんな、久留宮。久留宮は、久留宮だ。人じゃなかろうがなんだろうが、私の、かわいい生徒だ」
私は、人じゃないと知って、久留宮を遠ざけようと、わずかながら思ってしまった。壁を築いてしまった。久留宮にはそれが分かったのだ。それはなんら超常的なものではない。愛を知らないが故の敏感さでしかないのだ。
「ううっ……うう……」
「ごめんな。ごめんな。私は変わらずお前のそばにいるさ。だから大丈夫だ」
泣きじゃくる久留宮は、やはり普通の女の子であった。私は、そんなことも、今さっきまで見抜けなくなっていたのだ。生徒の感情を見抜き、正しく導くのが、我ら教育者の役目だというのに。これでは久留宮を追い出し、迫害したなんの理解もない大人たちと同等だ。
やはり教育者としてあまりに未熟なのだろうか、私という人間は。
……いや、精進せねばならないのだ。これ以上、誰も悲しまないように。
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